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定年ゴジラ

【著者】  重松 清    【装丁】 講談社文庫 435頁
【価格】  695円+税  【発行】 2001年2月

昭和40年代、日本は高度成長の波に乗り、地価の上昇が続いた。とりわけ東京など大都市近郊の宅地価格上昇は著しく、サラリーマンが家を持とうとすると、都心からはるか離れた場所にせざるをえない、という状況にあった。
ちなみに、当時と現在の人口を比較してみると、神奈川、千葉、埼玉はほぼ2倍になっており、東京も200万人以上増えている。東京の地価が上がるわけである。
本題に戻ろう。舞台は、開発から30年(今日に引き直せば40年)を経たニュータウンである。勤務先まで2時間かかる“くぬぎ台”という架空の町だが、読んでいるうちに、これはどう見ても京王電鉄高尾線の“めじろ台”がモデルに違いない、と思ってしまう。
本書のくぬぎ台は、武蔵電鉄が開発したニュータウンである。一丁目から五丁目までそれぞれ400戸、計2000戸が20年間かけて分譲された。当初は若い夫婦が子どもを連れて歩く風景が似合う町だったが、今日になると、次第に退職者の姿が目立つようになった。
銀行に勤めていた山崎さんも、そうした退職者の一人である。退職し、一日中この町の中で暮らすようになり、あらためてこの町を見直してみると、生活に不便はないものの、なぜか物足りなく感じてしまう。住みよさというのは人々が生活の中でつくるものであり、計算して人工的につくれるものではないらしい。生活水準も年代も似かよった住民が集まってつくった町というのは、なにかにつけ自然さに欠けるのかも知れない。
さて、ニュータウンの住民に限らず、老後をいかに生きるか、は誰にとっても大事なテーマである。とりわけサラリーマンの場合、定年により“職縁社会”から断ち切られることがはっきりしているだけに、しっかりとした気構えが必要だろう。
職縁社会の出口が“無縁社会”の入口にならないよう、心してかからねばならない。


2010.5.27

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