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ベラ・チャスラフスカ 最も美しく
【著者】 後藤 正治 【装丁】 文春文庫 431頁
【価格】 781円+税 【発行】 2006年9月
オリンピックは、そのときどき多くのスターを生み出すが、団塊世代の記憶に残っている選手といえば、東京オリンピック女子体操のチャスラフスカが、その筆頭であろう。
1964年(昭39)、テレビが各家庭に普及し、私たちは始めてオリンピックなるものに触れることができた。それまで見たこともないような様々な競技がもの珍しく、驚きの連続だったが、とくに印象深かったのが女子体操である。
チェコ代表、チャスラフスカの演技はしなやかで素人目にも群を抜き、女性美の極みといってもよい素晴らしさだ。この大会で彼女は、個人総合優勝の座をソ連から奪いとった。
「ベラ・チャスラフスカ 最も美しく」(後藤正治著・文春文庫)は、東京オリンピック以後のチャスラフスカの半生を、関係者のインタビューなどをもとにまとめた力作である。
1968年(昭43)、「プラハの春」を象徴する「二千語宣言」への署名、プラハへの侵攻軍からの避難、黒いレオタードによるメキシコオリンピックへの参加、連覇、そして結婚。
しかし帰国後、彼女を待っていたのは過酷な現実であった。チャスラフスカは、“正常化”を進める政府から再三にわたり、「二千語宣言」への署名の撤回を迫られるが応じない。このため、何年も満足な職に就くことができない状態が続いた。また、この間、夫とも別れている。
1989年(平1)、チェコは「ビロード革命」によって共産党体制が崩壊した。チャスラフスカは復権し、大統領顧問やチェコオリンピック委員会委員長を務めることになる。
署名を撤回しなかったことについて彼女は、「節義のため。それが正しいとする気持ちが変わらなかったから」と答えている。
権力に屈しなかった彼女もその後、息子がおこした思わぬ事件で精神を病むことになる。そして今・・・。
日本人の多くを魅了し、また日本をこよなく愛したチャスラフスカ。
決して忘れることのできない「東京の恋人」。
今年は、「プラハの春」から42年になる。
2010.6.1
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