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八甲田山死の彷徨

【著者】  新田 次郎   【装丁】 新潮文庫 267頁
【価格】  400(税込み) 【発行】 昭和53年1月


日露戦争前夜、第8師団参謀長が主宰する会議が開催された。参加者は、同師団第4旅団長をはじめ、同旅団に属する第31連隊から連隊長以下第1大隊長、同大隊第2中隊長(徳島大尉)、第5連隊から連隊長以下第2大隊長(山田少佐)、同大隊第5中隊長(神田大尉)という、縦割り二系列で構成されている。極めて異例の会議といっていい。
席上、参謀長から「対露戦に備え、寒地装備、寒地教育を研究したい。参謀長の希望として厳寒積雪の八甲田山踏破の可能性を試してほしい」との発言がある。要するに、第31連隊と第5連隊でやってみろ、ということである。参謀長が“希望”と言ったのは、何かあった場合、責任回避するための予防線に過ぎない。
弘前第31連隊の実践部隊は、徳島大尉の中隊である。徳島大尉は行軍に先立ち、計画の立案から準備・実施に至るまで、すべて自分の権限で行えるよう上申する。人員は将校を主力に37人、11日間の日程で計画した。
青森第5連隊の実践部隊は、神田大尉の中隊である。神田大尉は研究熱心で慎重に計画を進めるが、自分の意思を押し通すことができない。大隊長である山田少佐の発言を受け入れざるをえず、210人の大部隊で3日間行軍することになった。
徳島隊は青森を出て十和田湖の南を回り、三本木(十和田市)から青森へ抜ける。まさに雪地獄の中の行軍だが、見事に目的を達成する。
一方、神田隊は青森を出て三本木を目指したものの、指揮系統の乱れなどにより、199人の死者を出す。
本書から見えてくるのは、現場を知らない権力者の無定見と無責任さであり、本書から学ぶべきは現場のリーダーのあり方である。
徳島大尉に理想のリーダー像をみるのだが、とはいえ自身を省みれば、どうも神田大尉的要素が強い、と思う読者が多いのではないだろうか。
本書は、現代サラリーマン社会の構造に共通するテーマを内包しているだけに、長い間読み続けられているのだろう。



2010.6.8

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