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2012.10.23

文庫ライブラリ
男子の本懐

【著者】 城山 三郎         【装丁】 新潮文庫  401頁
【価格】 440円+税         【発行】 昭和58年11月

第一次大戦後の経済不況を金解禁により乗り切ろうとした首相・浜口雄幸と蔵相・井上準之助の生涯を綴る。
浜口雄幸は1870年(明3)、高知市で林業を営む水口家3人兄弟の末子として生まれた。1889年(明22)、安芸郡田野村、浜口家の夏子と結婚し養嗣子となった。
高知中学、三高、東京帝大を卒業して大蔵省入り、専売局長官、逓信次官、大倉次官などを務め、1915年(大4)、衆議院議員に当選して政界へ進出した。
1929年(昭4)7月、張作霖爆殺事件で総辞職した田中義一内閣の後をうけて総理大臣に就任し、井上準之助を蔵相に起用して緊縮財政を進めるとともに金解禁を断行した。
井上準之助は1869年(明2)、現在の大分県日田市に生まれた。
東京帝大卒業後、日本銀行へ入行。営業局長のあとニューヨーク勤務を経て、横浜正金銀行へ招かれる。その後、高橋是清の計らいで古巣の日銀総裁に任命された。
経済界でも辣腕をふるい第二の「渋沢」と称されるほどの存在になったが、浜口内閣の大蔵大臣に招かれ、金解禁の立役者になった。
無口な浜口と饒舌な井上は、性格は違うもの志の高潔さは共通している。
それぞれ自分の信念を貫いた結果、浜口は1930年(昭5)、東京駅で狙撃されて翌年亡くなり、井上は1932年(昭7)、血盟団の標的になって暗殺された。

二人の意図は、財政面から軍事費を抑制しようとしたことだが、軍国化の道を突き進んでいた当時の日本の趨勢をとめることはできなかった。
今日の我々が、浜口や井上のような政治家を待望するのは、「ないものねだり」なのだろうか。




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