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散るぞ悲しき−硫黄島総指揮官・栗林忠道−

【著者】 梯 久美子   【装丁】 新潮文庫 302頁 
【価格】 476円+税   【発行】 平成20年8月

本書は硫黄島の戦いで勇名を馳せた栗林忠道中将の実像に迫る伝記で、2006年の大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。著者は関係者や親族への直接取材をとおし、栗林がいかなる思いで死地に赴き、戦い、死んでいったかを克明に描写している。
当時、陸軍高官への道はふたつあった。陸軍幼年学校から陸軍士官学校、陸軍大学校へと進む道と、中学校から陸軍士官学校、陸軍大学校へと進む道である。栗林は長野中学校(現在の長野高校)を卒業して後者のルートをとり、陸軍大学校を次席で卒業した。成績優秀な「軍刀組」で、3年間アメリカ留学を経験することになるのだが、この経験が彼のアメリカに対する認識を確かなものにした。
一方、陸軍内では幼年学校卒が中枢ポストを占めており、栗林は終生現場指揮官を努めることとなった。
栗林が硫黄島へ向けて出発したのは昭和19年6月8日。ほどなく米軍のサイパン上陸とマリアナ沖海戦が始まり、硫黄島が本土防衛の最前線になることが確実になった時期だ。しかしながらこの時、軍中央では本土決戦論が台頭し、すでに硫黄島は見捨てられた状態にあった。
本書を読むと、同じ陸軍高官とはいえ、本流を歩き中央で旗を振る者と現地で困難な局面に対峙している者とでは現状認識に大きな開きのあることが分かる。
決戦を前にした訣別電報で栗林は精一杯思いのたけを伝える。しかしながら「国の為 重きつとめを果し得で 矢弾(やだま)尽き果て 散るぞ悲しき」という辞世の歌さえ「散るぞ口惜し」と改ざんされ発表されるに至っては、なんとも言いようがない。
死を覚悟した軍隊の長は、常に部下と同じ苦しみを味わいながら、ただ東京空襲を1日でも遅らせるためにのみ、2万人の兵を統率したのだ。そして決死の軍隊は、5日で落ちるという米軍の予想を大幅に覆し、36日間持ちこたえた。
著者は、栗林が戦場から家族へ宛てた手紙を数多く紹介している。死を覚悟しながらも妻と3人の子どもたちを思う父親の心情に胸を打たれる。
もっとも戦いたくない国、アメリカと戦いながら最後はアメリカ軍の圧倒的物量の前に倒れた栗林の無念さがひしひしと伝わる。
平和な時代であれば別の道で一家をなした人であろうと思うとき、あらためて戦争の罪深さを思う。
今年もまた「終戦記念日」が近づいてきた。





2010.8.3

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