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細川ガラシャ夫人

【著者】 三浦 綾子    【装丁】 新潮文庫 (上)292頁 (下)327頁
【価格】 (上)514円+税 (下)552円+税    【発行】 (上)(下)昭和61年3月

明智光秀の娘にして細川忠興の妻、絶世の美女と謳われた細川玉子の生涯を綴る。
物語は、光秀と凞子の結婚から始まる。凞子は婚礼を目前にして疱瘡を患いあばた顔になってしまうが、光秀は頓着することなく凞子を妻に迎える。著者の光秀に対する目は、あくまでも好意的である。
玉子が15歳のとき信長のすすめにより、忠興と結婚することになった。忠興の父・藤孝と光秀は、ともに足利将軍に仕えた旧知の仲である。二人の結婚は両家にとって歓迎すべきものであった。忠興は妻思いである。戦続きの世の中とはいえ、幸せな結婚生活が続いた。
事態が一変したのは、本能寺の変である。
果たして光秀がそのまま天下を掌握することができるのか、はたまたほかの誰かが光秀にとって代わるのか。予断を許さない日々が続く。
結果、光秀は討ち取られ、秀吉の天下が到来する。玉子は逆臣の娘ということになった。玉子を愛しているだけに窮地にたった忠興は、彼女を味土野という丹後の山奥へ隔離すことにした。このとき力になったのが、侍女でキリシタンの清原佳代(マリヤ)であった。ここで玉子は、佳代からキリストの教えを学んだ。
その後、秀吉の許しがでて、2年に及んだ幽閉生活から開放され、大坂屋敷に住むことになったのだが、とにかく絶世の美女である。忠興とすれば世間の、とりわけ秀吉の目にふれさせたくない。文字通り箱入り状態の日々が続いたが、玉子は屋敷を抜け出して神父の話を聴くなど、キリストの教えに傾倒していった。
1958年(慶長3)、秀吉が亡くなると新たな権力闘争が始まった。関が原の戦いを前に、細川家は東西どちらにつくか決断を迫られる。忠興は玉子に、決して家を離れないよう言い残して戦場へ向かう。玉子は夫との約束を守り、壮絶な最期を遂げることになるのだが・・・。
本書は、戦国の歴史絵巻であり、キリスト教受難の書であり、夫婦愛の物語である。
読み始めたらとまらない要素がつまった一冊だ。



2011.2.10

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