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信長と秀吉と家康

【著者】 池波 正太郎  【装丁】 PHP文庫 301頁
【価格】 543円+税    【発行】 1992年8月

池波正太郎が、年少の読者向きに書いた歴史入門書である。戦国時代の英傑3名の事跡をエピソードを交えながら綴っている。
信長の行動は常軌を逸している。父の葬儀の際、位牌に抹香を投げつけたり、妻の父である斎藤道三との会合で、道中はこじきのような格好をしながら対面時は正装で礼儀正しくあいさつしたりと、やることすべてが意表をついている。
秀吉は出自がいやしいだけに、“人たらし”といわれる人心掌握力により他人の心をつかむ統べは抜群だ。小牧長久手の戦いの後、家康へ妹の朝日姫を妻として送り込むなど、使う手立ては徹底している。一方、成り上がり者らしく、城の造作などへの金のかけ方は半端ではない。
家康の力を決定付けたのは関が原の戦いだ。家康の天下人としての度量の大きさを示すとともに、情報力と諜報力の強さを証明したといえるだろう。
信長は14歳ではじめて戦場にでたとき、父親に対し、「人間は生まれたときから、はっきりわかっていることがある。それは、死ぬことだ」と言ったという。そういえば、この3人の死に方はそれぞれ特徴的である。
信長は武田を滅ぼした直後、本能寺の変で死ぬ。同時に長男の信忠も亡くなったことが痛い。これで、秀吉天下取りの道が開けた。
秀吉は幼い秀頼を残して死なざるをえなかった。五大老、五奉行に後事を託すが、不安にさいなまれながらこの世を去る。
家康は大阪の陣で豊臣家を滅ぼしてから1年後、徳川将軍の支配体制が固まるのを見届けて亡くなる。75歳という高齢である。タイの天ぷらで腹をこわしたのが死因だというが、真相は分からない。
家康は、信長、秀吉に仕え、その良いところも悪いところも見極めて、自らの力を大きくすることに役立てた。
若い信長が言ったように、人間は必ず死ぬのだが、この3人を見ていると、それぞれが死ぬべきときに死んだように感じるのが歴史の偶然ではないような気がするから不思議である。





2011.5.1

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