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毎日が日曜日

【著者】 城山 三郎   【装丁】 新潮文庫 509頁
【価格】  520円     【発行】 昭和54年11月

私たち庶民が生涯かけても、個人的に体験できる世界は案外狭い。せいぜい、携わった職業を通じて見聞きした範囲を大きくはみ出すものではない。そこへゆくと小説は、私たちが体験したことのない見知らぬ世界を、あたかも身近な出来事のように教えてくれるありがたい先生だ。
本書の舞台は扶桑商事という総合商社である。山梨県の一地方に住む小生にとって、地球規模で事業展開する総合商社は眩いばかりの存在であるが、現実感をもって抵抗なく受け入れることができるのは、著者の筆力によるものであろう。
読み進むにしたがって、私たちが日常抱えている問題は、職業や時代にかかわらず共通の部分が多いことに気付く。30年以上も前の作品でありながら、本書が今日も輝きを失わない所以である。
物語は、海外勤務から帰ってきた沖直之が京都支店長を命じられ、赴任するところから始まる。京都支店は、「毎日が日曜日」という社内評の業績不振店である。どう考えても栄転とは言い難い。その一方で、御室に住む会長のお相手も京都支店長の職掌と聞かされれば、媚びることの苦手な沖には気の重い旅立ちであることは間違いない。
物語は、沖の家族を背景に置きながら、沖の苦闘を軸に展開する。ビジネスマン社会の厳しさは、昔も今も変わらない。体外的にも社内的にも、表があれば裏もある。これらすべてを上手く乗り切っていくのは容易ではない。
ここにもう一人、扶桑商事のOBで本書の準主役ともいうべき笹上丑松が登場する。こちらは退職者だけに、真の意味で「毎日が日曜日」だ。
彼は現役時代、老後に備えて蓄財に励んでいたため経済的な不安はない。反面、そのつけとして身近に親しくつきあえる人間が見当たらない。設計どおりの人生といってよいのだが、果たして正解だったと言えるかどうか。
私たちは人生のさまざまな局面で、それぞれ“最善の選択”をして今日に至ったのだ。されば、今の自分のあり方に悔いはないはずなのだが、実際はそうでもない。
私たちにとって“幸福な人生”とは何か、改めて問いかける一作である。


2010.4.27

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