このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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ポーツマスの旗
【著者】 吉村 昭 【装丁】 新潮文庫 320頁
【価格】 360円(発行時) 【発行】 昭和58年5月
日本の命運を賭した日露戦争。日本は優位に戦いを進め、最後は日本海海戦で決定的な勝利を収めた。しかし、国力は疲弊し、これ以上戦争を継続することは不可能な状態に陥った。
小村寿太郎は、戦勝国の全権としてポーツマス講和会議に臨むのだが、国民が期待するようにことは単純に進まない。
教科書では数行ですんでしまう史実も、その経緯をみると実に興味深い。講和会議の場所をどこにするかから始まって、対面の際の席次、会議の進め方など、実に多くのことに労力を割いて会議が始まった。ここに至るまで、とりわけ開催国アメリカのルーズベルト大統領の尽力が大きかった。
ロシア側全権のウイッテは、老獪な外交官である。守秘義務を誓い合いながら、平気で親露派の新聞社に会議の内容をリークする。戦争と外交が同じだけのウェイトをもっているヨーロッパの歴史の前で、未熟な日本外交は、あくまで正攻法を貫いた。
会議では、日本から提示された12箇条の要求に対し、ひとつひとつ検討が加えられた。最終的に樺太の割譲と賠償金の支払いについての2項目が残ったが、なかなか一致点を見いだせない。いよいよ会議決裂か、というぎりぎりのときになって日本の情報力が力を発揮する。
しかし、講和を成立させて帰国した小村を待っていたのは、歓迎の声ではなかった。国の指導者は国際社会を冷静に見ていたのだが、国民は世界の大きさを知らず、講和の内容に満足できない。考え方が、まだまだ未熟だったのだ。
ところが日露戦争後、太平洋戦争への道程において、指導者の側の目が著しく曇ってしまった。日露戦争の勝利が不敗神話をうみ、破滅へ進んだとしたら残念としか言いようがない。
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