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アラスカ物語


【著者】 新田 次郎     【装丁】 新潮文庫 467頁
【価格】 629円+税     【発行】 昭和55年11月

安田恭輔は1968年(明元)、宮城県石巻町で代々医業を営んできた名家に生まれたが、15歳のとき両親を亡くし、幼くして人生の転機を迎えることになった。
子どもたちの今後について親族会議が開かれた。長男はすでに東京医学校を卒業していたため家を継ぐことになり、次男も勉学を続けることになった。しかし恭輔の身の振り方は等閑にされ、彼は自身で生きる道を考えなければならなかった。
恭輔は、三菱汽船石巻支店職を得た。
19歳のときのことだ。三菱汽船が外国航路の見習船員を募集したので応募したところ合格し、アメリカ航路の船に乗ることになった。
アメリカへ渡った彼は、そのままアメリカに留まった。アメリカでは、フランク安田と名乗る。
やがて安田は、沿岸警備船ベアー号へキャビンボーイとして乗務することになるのだが、当時、黄色人種への差別は激しく、不都合なことが起きるとあらぬ疑いをかけられるのが当り前だった。
物語は、食料窃盗の濡れ衣を着せられた安田が、遭難したベアー号からエスキモー部落への連絡役を務めさせられる場面から始まる。
安田は立派に役目をはたしたが船に復帰することはなく、この部落へ落ち着いた。その後、この部落のエスキモーを救うことになるのだが、明治時代、アラスカの果てにこんな日本人がいたのかと、改めて感心してしまう一作である。
エスキモーとは、インディアン語で「生肉を食う人」という意味である。したがって今ではイヌイットと呼ぶのが通常である。本書でもイニュートと紹介されている。
エスキモーの食生活について興味深いのは、食料を計画的に保管することができず、あればあるだけ食べてしまう、ということだ。このため、不猟が続くと餓死してしまうことになりかねない。
生活習慣について特徴的なのは縁戚関係の強さである。部落全体が親戚といってよい。子どもを養子としてやりとりしたり、妻をやりとりしたりする。
性に関する考え方は、我々の理解を越えている。自宅へ泊まる客には、妻か嫁に相手をさせるという。彼ら特有のもてなしである。
安田は、エスキモーの生活様式を取り入れる一方で、正すべきところは正しながら指導し、「日本人(ジャパニーズ)モーゼ」と謳われ、アラスカのサンタクロースと称された。
彼は一度も石巻に里帰りすることなく、90歳の生涯を彼の地で閉じた。1958年(昭33)のことである。



2011.6.1

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