このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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朽ちていった命 −被曝治療83日間の記録−
【著者】 NHK「東海村臨界事故」取材班 【装丁】 新潮文庫 221頁
【価格】 438円+税 【発行】 平成18年10月
1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工施設JCO東海事業所で“臨界事故”が発生した。ウラン燃料加工作業中の出来事だ。二人の作業員が、バケツに入ったウラン溶液をロウトを使って移し替えているとき「チェレンコフの光」が発し、その瞬間、中性子線が身体を突き抜けた。
彼らが行っていた作業は、ウラン235の高濃縮燃料をつくるという特殊なもので、臨界に達する可能性が高かった。このため、臨界にならないよう形状を工夫した容器を使うことになっていたが、洗浄に手間がかかるため、ステンレス製のバケツを使うという違法行為が始まった。こうした作業手順は「裏マニュアル」として公然の秘密になったが、今回の作業では、この「裏マニュアル」さえ無視したさらに安易な方法がとられていた。もちろん、作業に当たった二人には、作業の危険性(臨界に達する可能性)は、まったく知らされていなかった。
本書は、この作業員のうちのひとり、大内久(35歳)が被曝してから83日目に亡くなるまでの治療の記録である。
10月2日、大内は東大病院救急部集中治療室へ搬送される。医療スタッフの話では、見たところ右腕の腫れなどは目立つものの、それほど重篤には感じられなかったという。しかし、顕微鏡で彼の細胞を見た医師は、思わず口をつぐんだ。放射線で分断された染色体は砕け散ってバラバラになっている。「生命の設計図」が失われた以上、細胞の再生は不可能だ。再生能力を失った大内の身体は、日を追うごとに朽ちてゆく。東大病院の知恵と技術を結集した最新医療も、放射線の持つ力の前にはまったく無力である。
前例のない治療に医療スタッフの苦悩は深まるばかりだ。いよいよ死期が迫った日、看護婦は顔を覆っていたガーゼを薄手のものに取り替えて、幼い息子に面会させる。今できることといえば、なるべくきれいな顔でお別れをさせるという心配りだけである。
大内の被曝量はおよそ20シーベルトと推測されている。
言葉を発することのできなくなった大内が“生への意欲”を訴えていたのだろうか。あらゆる細胞が破壊されたなかで、心臓の筋肉細胞だけは正常な形を保っていたという。
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