このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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自己紹介

項目記事
ハンドルネーム
筆名
深津安那(ふかつやすな)
性別男性
本名非公開
生年月日非公開
出身地
在住地
広島県福山市

ハンドルネーム・筆名の由来

 私のハンドルネーム・筆名を見て「ネカマをやっているのか?」とか「なぜ女性の名前のようなハンドルネーム・筆名を付けたのか?」と思われた方も多いかと思います。実は私のハンドルネーム・筆名は私の住んでいる広島県福山市内にかつて存在した郡名の一つで、1898年(明治31年)10月1日に統合して深安郡に移行した深津郡と安那郡から付けたものです。
 「つい最近まで存在した深安郡なら知っているけれど、深津郡と安那郡というのがあったのですか? 全く知りませんでした」恐らくほとんどの福山市民はこのように言うのではないかと思います。しかし、この二つの地名は奈良時代初頭前後から存在した由緒ある地名なのです。その概要を記すと次の通りになります。

(深津郡)

 福山市のうちの芦田川以東の地域(但し現流路の東側にあった旧流路で境界を画しているため芦田川以東の地域でも深津郡ではなく沼隈郡に属していた地域がある)に存在した郡。721年(養老5年)4月(旧暦)に安那郡から分離して成立した(故に1898年の深津・安那両郡に統合による深安郡成立は事実上の再統合ということになる)。深く陸地に食い込んだところにある港という意味を有するが、昔は日本鋼管福山病院や英数学館小学校・中学校・高等学校、備後ハイツのある丘と近畿中国四国農業研究センターや福山暁の星学院のある丘がそれぞれ半島になっており、現在の福山市蔵王町付近に備後国府(府中市)への海側からの玄関になる港があったものと思われる。「万葉集」に「道の後(しり)/深津島山/暫(しまし)くも/君が目見ねば/苦しかりけり」という歌が収録されていることや「日本霊異記」に深津市という地名が出てくること、付近に奈良時代の寺院の跡(宮の前廃寺跡)があることからその辺りは奈良時代初頭頃から栄えていたことが推察される。地名についても戦後の大合併や戦災復興後の住居表示実施で消滅してしまったが、昭和時代中期までは市村(現:福山市蔵王町など)や深津町(現:福山市宝町の一部)という地名があり、かつての繁栄の様子を伝えていた。現在は町名(西深津町・東深津町)や西深津・東深津両町にある施設名で深津という地名を見ることができる。

(安那郡)

 福山市のうちの加茂・神辺・山野各町全域と駅家町法成寺(ほうじょうじ)に存在した郡。地名はかつては瀬戸内海が神辺平野にまで入り込んでいたとされ、その海が穴の海と称されていたことにちなむ。福山市神辺町北部の中条(ちゅうじょう)地区には「中条いわしと人魚」という伝承もあるのだが、本当に神辺平野まで瀬戸内海が入り込んでいたかどうかは疑わしい。もしそれが事実だったとしても人が住み着いていたかどうか定かではない相当昔のことになるものと思われる。とにかく、穴から安那(あな)、そして安那(やすな)と表記漢字や読み方が変わっていったようだ。
 安那郡について注目すべきことといえば「備後国安那郡の茨城、葦田郡(芦田郡、現在の福山・府中両市及び神石郡神石高原町の各一部)の常城を停む」という記事が「続日本紀」719年(養老3年)12月(旧暦)の条に見えることであろう。ここでいう安那郡とは前記の範囲だけでなくその約1年半後に分離することになる深津郡の領域を含んでいることである。だから当時は安那郡域にあり、その後深津郡域に編入された蔵王山(標高225.5m)にあったとする説も生まれているのだが、未だに常城ともども明確な遺構が発見されていない。私は茨城は蔵王山にはなかったのではないかと考えているのだが、もし茨城・常城について明確な遺構が発見されれば特徴的な城跡の多い福山市域に新たな注目すべき城郭遺構が出現することになるし、広島県の古代史における謎の一つが解明されることになるため、早期の調査実施を望みたい。
 それはさておき、福山市が旧安那郡域を編入したのは1975年(昭和50年)以降と比較的最近のことになるのだが、町名などで残っている深津に対して安那という地名を見ることは少ない。私が確認した範囲内では社会福祉法人や少年サッカーチームの名称に見える程度である。

 前にも記した通りこの二つの郡が郡の規模適正化を目的に統合され、深安郡になったのは1898年(明治31年)10月1日のことでしたが、その深安郡も2006年(平成18年)3月1日、最後まで存続した神辺町が福山市に編入されたことをもって一世紀以上の歴史に終止符を打ちました。その全域が福山市の一部になったわけですが、旧深津郡域に居住する私としては深安郡とその前身の深津・安那両郡の存在と由来を知って頂きたく、このようなハンドルネーム・筆名を使用することに致しました。どうかこれからも末永くよろしくお願い致します。

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