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トップページ不定期刊・きょうのトピックス不定期刊・きょうのトピックス2014年(平成26年)分今年期待されること・今年注目したいこと

今年期待されること・今年注目したいこと(2014年〔平成26年〕1月3日公開)

 新年の夜(現在は元日の夜を指すが、大晦日〔おおみそか〕の夜を指す説や1月2日の夜を指す説があり、定説はない)に見る夢を初夢といい、「一富士二鷹三茄子(なすび)」というように富士山や鷹、ナスの夢(どんな夢なのだろうか…?)を見ると縁起が良いとされているようですが、そこで今回の「不定期刊・きょうのトピックス」では今年中国地方で期待されることや今年注目したいことを本サイトが対象とする分野について書いてみることに致しました。どうぞご覧下さい。

今年中に開通する可能性のある中国地方を通る道路

※ここで取り上げる道路は2013〜2014年度(平成25〜26年度)に開通する可能性がある中国地方を通る道路(取り上げないものもありますがご了承願います)を国土交通省公式サイトの道路開通情報などを参考に紹介しております。また、開通が2015年(平成27年)になると思われる路線は取り上げておりません。

県名路線名称開通予定時期コメント
鳥取県国道9号線
駟馳山バイパス
(鳥取・豊岡・宮津自動車道)
2013年度
(平成25年度)
岩美郡岩美町と鳥取市の境がある駟馳山(しちやま)峠付近の渋滞や冬期の通行の安全の確保を目的として企図されたバイパス。地域高規格道路鳥取・豊岡・宮津自動車道(山陰・近畿自動車道ともいう)に指定されている部分(岩美インターチェンジ〔仮称。岩美郡岩美町浦富〕〜福部インターチェンジ〔仮称。鳥取市福部町湯山〕間)と、国道9号線と岩美インターチェンジを結ぶ連絡道路(岩美郡岩美町本庄)で構成されており、この両部分が開通する予定になっている。地域高規格道路鳥取・豊岡・宮津自動車道(山陰・近畿自動車道)に指定されている部分の途中には大谷インターチェンジ(岩美郡岩美町大谷。鳥取市方面との出入りのみ)が設置されることになっている。
国道180号線
南部バイパス
2013年度
(平成25年度)
西伯郡南部町阿賀〜米子市吉谷間に計画されているバイパスで、そのうちの西伯郡南部町阿賀〜西伯郡南部町清水川間は2011年(平成23年)6月29日に開通している。今回残りの西伯郡南部町清水川〜米子市吉谷間が開通することになっているのだが、これにより全線開通となり、国道180号線米子バイパス(米子市吉谷〜米子市陰田町間)と接続することになる。西伯郡南部町から米子市中心部にかけての国道180号線の渋滞緩和や西伯郡南部町阿賀〜西伯郡南部町清水川間で並行し、道路状況が芳しくない県道1号溝口・伯太線の迂回路としての機能が期待されている。なお、南部バイパス全線開通を契機に県道路線再編が行われるのではないかという噂がある(私も現地で見たのだが西伯郡南部町清水川にある案内標識に不審な細工がしてあるため。地域住民の感情に配慮して詳細はここでは触れないでおく)が、現在のところどうなるかははっきりしていない。
県道325号岩美インター線2013年度
(平成25年度)
国道178号線と国道9号線駟馳山バイパス(鳥取・豊岡・宮津自動車道)岩美インターチェンジ(仮称。岩美郡岩美町本庄)を結ぶ路線。2003年(平成15年)7月1日鳥取県告示第423号により認定されていたのだが、認定から10年以上経過してようやく実体が姿を現すことになる。国道9号線駟馳山バイパス(鳥取・豊岡・宮津自動車道)と県道325号岩美インター線が開通すれば交通量が多く、見通しも悪いのに信号機がなぜか設置されていない国道178号線と国道9号線との交差点(岩美郡岩美町大谷。国道178号線はそこで終点となる)を通らずに済むためにこの交差点を通って国道178号線と国道9号線を往来する方には朗報になるものと思われる。
島根県国道9号線
仁摩・温泉津道路
(山陰自動車道)
2013年度
(平成25年度)
大田市仁摩町大国〜大田市温泉津(ゆのつ)町今浦間に計画されているバイパスで、そのうちの湯里インターチェンジ(大田市温泉津町湯里)〜石見福光インターチェンジ(大田市温泉津町今浦)間が2014年(平成26年)春までに開通することになっており、2013年(平成25年)12月19日には2014年度(平成26年度)開通予定区間を含めたインターチェンジの名称が決定した。途中には温泉津インターチェンジ(大田市温泉津町小浜)が設置されることになっている。なお、終点のインターチェンジの名称に旧国名の「石見」を付けたのは富山県内の東海北陸自動車道に福光インターチェンジ(南砺〔なんと〕市山田)があり、混同を回避したかったことや島根県西部にあることを印象付けたかったことがあったからではないかと思われる(余談だが1974年〔昭和49年〕まで富山県と島根県には「福光停車場線」という同名の県道路線が存在した。現在は島根県側の福光停車場線は石見福光停車場線に改称されている)。
国道9号線
仁摩・温泉津道路
(山陰自動車道)
2014年度
(平成26年度)
大田市仁摩町大国〜大田市温泉津(ゆのつ)町今浦間に計画されているバイパスで、そのうちの仁摩・石見銀山インターチェンジ(大田市仁摩町大国)〜湯里インターチェンジ(大田市温泉津町湯里)間が開通することになっている。これにより国道9号線仁摩・温泉津道路は全線開通となるが、出雲市方面・江津市方面とも山陰自動車道は建設中または計画中の段階であり、国道9号線仁摩・温泉津道路は自動車専用道路としては当面の間孤立する格好になる。なお、起点となるインターチェンジの名称が仁摩インターチェンジではなく仁摩・石見銀山インターチェンジになったのは中国地方では原爆ドーム(広島市中区大手町一丁目)・厳島(廿日市市宮島町)に次いで世界文化遺産に指定された石見銀山(大田市大森町)への最寄りのインターチェンジであることを印象付けたかったことがあったものと思われる(仁摩・石見銀山インターチェンジは石見銀山に通じる県道31号仁摩・邑南線に接続することになっている)。
国道9号線
浜田・三隅道路
(山陰自動車道)
2014年度
(平成26年度)
浜田市原井町〜浜田市三隅町三隅間に計画されているバイパスで、そのうちの熱田インターチェンジ(仮称。浜田市熱田町)〜西村インターチェンジ(仮称。浜田市西村町)間が開通することになっている。原井ランプ(仮称。浜田市原井町)で国道9号線浜田道路と接続することになっており、2013年(平成25年)12月17日には原井ランプ建設に伴う通行形態変更が実施されているのだが、今のところ原井ランプ〜熱田インターチェンジ間の開通予定時期は公表されていない(恐らく熱田インターチェンジ〜西村インターチェンジ間と同時になるのではないかと思うのだが…)。
県道339号熱田インター線2014年度
(平成26年度)
2005年(平成17年)4月8日島根県告示第494号で認定された路線で、県道34号浜田・美都線と山陰自動車道(国道9号線浜田・三隅道路)熱田インターチェンジ(仮称。浜田市熱田町)を結ぶことになっている。山陰自動車道(国道9号線浜田・三隅道路)熱田インターチェンジの正式名称が決定していないので仮称の段階であり、県道330号嘉久志(かくし)インター線→県道330号江津インター線(2003年〔平成15年〕9月19日島根県告示第788号により改称)や県道332号三刀屋(みとや)インター線→県道332号三刀屋木次(みとやきすき)インター線(2002年〔平成14年〕5月10日島根県告示第502号により改称)のように供用開始を前に改称する可能性がある。今のところ開通予定時期ははっきりしていないが、山陰自動車道(国道9号線浜田・三隅道路)熱田インターチェンジ〜西村インターチェンジ(仮称。浜田市西村町)間開通と同時になるのではないかと思われる。
岡山県県道397号寒河・本庄・岡山線2013年度
(平成25年度)
備前市日生(ひなせ)町寒河(そうご)と岡山市東区金田を結ぶ路線で、そのうちの備前市蕃山(しげやま)以西は岡山ブルーラインという愛称を持つ。しかし、東備西播開発有料道路構想の挫折(山陽自動車道が赤穂市中心部の近くを通過することになったことが主たる理由)や岡山県道路公社(岡山市北区蕃山町〔ばんざんちょう〕。2006年〔平成18年〕解散)の経営不振で長らく備前市蕃山以東は未開通状態にあった。ようやく最近になって備前市日生町寒河〜備前市蕃山間の建設が始まり、2013年度(平成25年度)に開通する予定になっているが、開通すると認定から43年経過してようやく名称通りの路線になるだけでなく備前市日生地区で渋滞しやすい国道250号線のバイパスとしても機能するために赤穂市方面と岡山市方面を往来するのに有用な道路になる。
国道2号線
玉島・笠岡道路
2014年度
(平成26年度)
倉敷市玉島阿賀崎〜笠岡市西大島新田間に計画されているバイパスで、そのうちの唐船(とうせん)インターチェンジ(仮称。倉敷市玉島阿賀崎)〜金光インターチェンジ(仮称。浅口市金光町佐方)間が開通することになっている。唐船インターチェンジで国道2号線玉島バイパスと接続することになっており、唐船交差点の渋滞解消が期待されるが、金光インターチェンジは国道2号線からかなり離れたところにあり、迂回路としては遠回りになるため効果を発揮するのは少なくとも鴨方インターチェンジ(仮称。浅口市鴨方町六条院西)まで開通した時になるものと思われる(鴨方インターチェンジまで開通すれば県道431号六条院東・里庄線を介して笠岡市方面に抜けることが可能になるから)。また、途中には水玉ブリッジライン(県道398号水島港・唐船線)に通じる道路(都市計画道路勇崎・大谷線)を分岐する水玉ジャンクション(仮称。浅口市金光町大谷)が計画されているが、現在のところ勇崎・大谷線の建設は進んでおらず、唐船インターチェンジ〜金光インターチェンジ間開通と同時の供用開始はないのではないかと思われる。
県道60号倉敷・笠岡線
船穂・玉島バイパス
(未定)倉敷市船穂(ふなお)町船穂〜浅口市金光町下竹間に計画されているバイパスで、これまでに倉敷市玉島長尾〜倉敷市玉島道口間が開通している。近く開通する可能性があるのは倉敷市船穂町船穂/船穂橋西詰交差点(交差点名標なし)〜倉敷市船穂町船穂/県道281号大曲・船穂線交点間で、既に船穂橋西詰交差点付近には新しい案内標識が設置されている。ところが案内標識の伏せてある部分をよく見ると行き先の代わりに大型車が通れない旨の記載があり、更に船穂橋の船穂側の取り付け道路の舗装も進まないままになっている。もし開通したとしても生活道路でしかなくなることや生活環境が破壊される恐れがあることが開通に消極的になっている理由なのだろうが、ならば最低限有用になる部分、すなわち倉敷市船穂町船穂〜倉敷市玉島長尾間が開通するのを待つとしてもかなり先の話になり、「なぜ開通させないのか」という苦情が生じる恐れがある。岡山県が今後どのような態度をとるかは分からないが、生活道路と化すことを承知で開通させるのか、それとも有用になる時期まで放置するのか、今後が注目される。
広島県尾道自動車道2013年度
(平成25年度)
尾道自動車道は中国横断自動車道尾道・松江線のうちの中国自動車道以南の名称で、既に尾道ジャンクション(尾道市美ノ郷町三成)〜世羅インターチェンジ(世羅郡世羅町川尻)間が開通しているが、2013年度(平成25年度)中に今度は吉舎(きさ)インターチェンジ(仮称。三次市吉舎町矢井)〜三次東インターチェンジ(三次市四拾貫町)間が開通する予定になっている。途中には三良坂インターチェンジ(仮称。三次市三良坂町長田)が設置されることになっており、尾道・世羅方面だけでなく三次市南部地域(吉舎・甲奴・三良坂・三和各町)と中国自動車道・松江自動車道との往来が楽になる。
広島高速3号線2013年度
(平成25年度)
広島市街地南方の広島湾に沿って延びる都市高速道路で、これまでに仁保ジャンクション(広島市南区仁保沖町)〜吉島ランプ(広島市中区南千田西町)間が開通しているが、更に吉島ランプ〜西部ランプ(仮称。広島市西区扇一丁目)間が開通する。厳密には広島高速3号線と呼ばれる有料区間は観音ランプ(広島市西区観音新町四丁目)までで、観音ランプ〜西部ランプ間は広島市道の自動車専用道路として建設されている。暫定上下2車線で開通することや吉島ランプは東広島市・呉市方面との出入りしか、観音ランプは廿日市市方面との出入りしかそれぞれできないこと、途中の広島市中区江波地区では出入りできないこと(ランプ建設計画はあるが当面見送りになった)がどのような結果をもたらすかが注目される。
国道2号線
東広島バイパス
2013年度
(平成25年度)
広島市安芸区上瀬野町〜広島市安芸区船越南四丁目間に計画されているバイパスで、これまでに側道部分(県道276号矢野・海田線)を含めて中野インターチェンジ(広島市安芸区中野東町)以西の部分が開通している。今回は瀬野西インターチェンジ(仮称。広島市安芸区上瀬野町)〜中野インターチェンジ間が開通することになっているが、中野インターチェンジは国道2号線からいくらか離れた高いところにあっただけに使い勝手が格段に向上する。広島市安芸区内の国道2号線は瀬野地区を中心に渋滞が頻発していることから開通後どのように変化するかが注目されるところである。
国道2号線
広島南道路
2013年度
(平成25年度)
安芸郡海田町日の出町〜廿日市市地御前二丁目間に計画されているバイパスで、全線開通すると広島市街地南方の広島湾に沿って延びる幹線道路になる。今回開通するのは広島市中区光南三丁目〜広島市西区観音新町四丁目間で、並行する広島高速3号線を補完する役割を担うことになる。
国道54号線
可部バイパス
2014年
(平成26年)
2月8日
(予定)
広島市安佐北区可部南四丁目〜広島市安佐北区大林町間に計画されているバイパスで、これまでに広島市安佐北区三入二丁目以南の区間が開通している。2014年(平成26年)2月8日に開通することになったのは広島市安佐北区三入二丁目〜広島市安佐北区大林町間で、ようやく国道54号線現道(国道183号線重用)と直接接続することになる。本来は広島市安佐北区大林町で上根バイパスと接続する計画になっているのだが、現在のところ着手しておらず、様子を見てから建設するかどうか判断するものと思われる。
国道313号線
神辺バイパス
2013年度
(平成25年度)
福山市神辺町下御領〜福山市神辺町上御領(広島・岡山県境)間に計画されているバイパスで、今回は福山市神辺町下御領/湯野口交差点(起点)〜福山市神辺町上御領/県道102号下御領・井原線交点間が暫定上下2車線で開通することになっている。この区間の建設が早く進められた背景には県道102号下御領・井原線の起点である国分寺口交差点(福山市神辺町下御領)で県道102号下御領・井原線上り線の渋滞がよく起きることがあるのだが、この区間が開通することで国分寺口交差点の渋滞が解消することが期待されている。なお、全線開通は2017年度(平成29年度)の予定である。
県道34号矢野・安浦線
大峠バイパス
2013年度
(平成25年度)
安芸郡熊野町萩原〜東広島市黒瀬町津江間に計画されているバイパス。県道34号矢野・安浦線は広島市安芸区矢野地区と呉市安浦地区をほぼまっすぐに結んでいることや沿線に団地が相次いで建設されたことから早くから整備が推進され、全線の上下2車線化が実現しているのだが、安芸郡熊野町と東広島市黒瀬地区の間にある大峠は勾配がきついことや屈曲がいくつもあること、積雪・凍結の危険があることなどから難所として残っていた。そこでトンネルを掘ることになったのだが、そのトンネルを含む大峠バイパスが2014年(平成26年)春までに開通することになった。開通すると広島市と東広島市南部地区(安芸津・黒瀬両町)や呉市安浦地区との往来が楽になることや国道2号線や山陽自動車道の迂回路として有用になることといった効果が生じるとのことであるが、県道34号矢野・安浦線は安芸郡熊野町中心部で渋滞が頻発しており、次はその解消が課題になるものと思われる。
尾道自動車道2014年度
(平成26年度)
尾道自動車道は中国横断自動車道尾道・松江線のうちの中国自動車道以南の名称で、既に尾道ジャンクション(尾道市美ノ郷町三成)〜世羅インターチェンジ(世羅郡世羅町川尻)間が開通している他2013年度(平成25年度)に吉舎(きさ)インターチェンジ(仮称。三次市吉舎町矢井)〜三次東インターチェンジ(三次市四拾貫町)間が開通する予定になっている。残ったのは世羅インターチェンジ〜吉舎インターチェンジ間であるが、この区間も2014年度(平成26年度)中に開通する予定であり、中国横断自動車道尾道・松江線は中国横断自動車道としては広島・浜田線に次いで二番目に全線開通を果たすことになる。途中には甲奴インターチェンジ(仮称。三次市甲奴町小童〔ひち〕)が設置されることになっている。
東広島・呉自動車道2014年度
(平成26年度)
山陽自動車道と呉市を結ぶ自動車専用道路で、現在は中間部の馬木インターチェンジ(東広島市西条町馬木)〜黒瀬インターチェンジ(東広島市黒瀬町津江)間が建設中である。2014年度(平成26年度)に馬木インターチェンジ〜黒瀬インターチェンジ間が開通する予定で、これにより東広島・呉自動車道は全線開通することになる。途中には大多田インターチェンジ(仮称。東広島市黒瀬町大多田)が設けられることになっている。
山口県県道15号岩国・玖珂線
玖珂東バイパス
2013年度
(平成25年度)
岩国市玖珂町欽明路〜岩国市玖珂町柳井田上間に計画されているバイパス。県道136号上久原・藤生停車場線のバイパス的な役割も担っており、今回開通するのは山陽自動車道の南側を並行する部分と思われる。まだ県道15号岩国・玖珂線(欽明路道路)との接続には時間がかかりそうな情勢だが、県道15号岩国・玖珂線は前身の県道110号岩国・周東線時代(1958〜1994)から岩国市中心部〜岩国市玖珂地区間で遠回りをしている国道2号線のバイパス的役割を担ったことを考えるとこの道路を県道15号岩国・玖珂線に指定したのはいかなる意図があるのかが気になる。ただ、2012年度(平成24年度)版の「山口県管内道路図」では玖珂東バイパスは一般県道路線の予定線となっており、県道136号下久原・藤生停車場線として開通する可能性も残されている。
国道191号線
下関北バイパス
2014年度
(平成26年度)
下関市汐入町〜下関市富任町一丁目間に計画されているバイパスで、これまでに下関市汐入町(起点)〜下関市武久町二丁目間が開通している。2014年度(平成26年度)に開通するのはその残りの部分であり、これにより全線開通することになる。開通すると大規模な団地や下関市立大学(下関市大学町二丁目)があることで下関市の商業集積地の一つになった山の田地区を経由せずにJR山陽本線下関駅(下関市竹崎町四丁目)・彦島方面と下関市の響灘沿岸地域を往来できるようになり、山の田交差点(下関市山の田本町)の渋滞が解消されることや垢田沖人工島(長州出島。現在のところ一般人の立ち入りは禁止されている)へのアクセスが容易になることなどの効果が生じる他、下関市川中・安岡地区では海岸(海水浴場になっている箇所もある)のすぐそばを通ることになり、注目の場所になる可能性がある。下関北バイパスに並行する国道191号線現道は下関北バイパスの全線開通後も下関市中心部(特に唐戸地区)と下関市の響灘沿岸地域を結ぶ幹線道路として有用であり続けるために県道路線になるのではないかと考えているのだが、その再編の状況も注目されるところである。

今年期待されること・今年注目したいこと

1 岡山県道の新路線は発足するか

 昨年の中国地方を通る県道路線の異動は鳥取市内を通る鳥取県道184号樗谿(おうちだに)神社線が鳥取県道184号樗谿公園線に改称した件(2013年〔平成25年〕12月20日鳥取県告示第891号による)だけであったが、今年は下表に示すように中国地方各県で県道路線の異動が発生する要素がいくつか出ている。

県名異動が発生する要素備考
鳥取県東伯郡琴浦町槻下以西の国道9号線の経路の複数化現道に並行して山陰自動車道(国道9号線バイパス)が建設されていたが、昨年12月21日に赤碕中山インターチェンジ(西伯郡大山町八重)〜名和インターチェンジ(西伯郡大山町名和)間が開通したために東伯郡琴浦町槻下〜島根県境間について国道9号線の経路が複数生じることになった。鳥取県としては国道9号線を山陰自動車道に移行させる方針を持っていることが2006年(平成18年)に新聞で報じられており、東伯郡琴浦町槻下〜島根県境間の国道9号線の現道の処遇が注目されるところになっている。
国道9号線駟馳山バイパスの全線開通国道9号線駟馳山バイパスは地域高規格道路鳥取・豊岡・宮津自動車道と、国道9号線と地域高規格道路鳥取・豊岡・宮津自動車道岩美インターチェンジ(仮称。岩美郡岩美町本庄)を結ぶ連絡道路で構成されている。今のところ地域高規格道路鳥取・豊岡・宮津自動車道にあるインターチェンジの名称は決定していないため岩美インターチェンジと国道178号線を結ぶ県道325号岩美インター線の名称が変わる可能性をはらんでいる。
国道180号線南部バイパスの全線開通国道180号線南部バイパスの全線開通で処遇が注目される路線は国道180号線のうちの西伯郡南部町阿賀〜米子市古市間(このうち米子市吉谷〜米子市古市間は既に米子市に移管)と県道254号清水川・福成線の二つである。現在の開通区間の終点(西伯郡南部町清水川)にある案内標識にある不審な細工がされているのを見たことから気にしているのだが…。
島根県山陰自動車道(国道9号線浜田・三隅道路)熱田インターチェンジ(仮称。浜田市熱田町)〜西村インターチェンジ(仮称。浜田市西村町)間の開通今のところ山陰自動車道(国道9号線浜田・三隅道路)にあるインターチェンジの名称は決定していないため県道34号浜田・美都線と熱田インターチェンジを結ぶ県道339号熱田インター線の名称が変わる可能性をはらんでいる。
国道9号線出雲バイパスの全線開通国道9号線出雲バイパス自体は既に2007年(平成19年)暮れに全線開通しているのだが、その結果旧道になった出雲市斐川町併川〜出雲市高松町間は未だに国道9号線のままになっている。島根県公式サイトの「県民ホットライン」にこの旧道、すなわち国道9号線出雲旧道は近く島根県に移譲されるというようなことが書かれているのだが、その後全く動きがない。国道9号線出雲旧道は途中で国道1路線・主要地方道3路線・一般県道3路線と接続するためそれらの路線をどのようにするかも考えなければならないことや斐伊川放水路建設に伴う県道26号出雲・三刀屋線の付け替えがまだ終わっていないことが動きがない理由と思われるが…。
岡山県国道2号線玉島・笠岡道路唐船(とうせん)インターチェンジ(仮称。倉敷市玉島阿賀崎)〜金光インターチェンジ(仮称。浅口市金光町佐方)間の開通国道2号線玉島・笠岡道路に並行して浅口市金光町大谷〜浅口市鴨方町六条院東間に都市計画道路金光・鴨方線が計画されているのだが、現在のところ県道471号南浦(なんぽ)・金光線という路線名称になっている。県道471号南浦・金光線は1995年(平成7年)に倉敷市玉島黒崎の西端の集落である南浦地区と浅口市金光町佐方を結ぶ目的で認定された路線であり、浅口市金光町大谷と浅口市鴨方町六条院東を結ぶ県道路線の名称とするのは不適切と言える。よって、開通までに新たな県道路線を認定することが求められる。
広島県尾道自動車道世羅インターチェンジ(世羅郡世羅町川尻)〜吉舎インターチェンジ(仮称。三次市吉舎町矢井)間の開通今のところ尾道自動車道の未開通区間にあるインターチェンジの名称は決定していないため三次市甲奴町宇賀と三次市甲奴町西野を結び、途中の三次市甲奴町小童(ひち)で甲奴インターチェンジ(仮称。三次市甲奴町小童)を介して尾道自動車道と接続する県道424号甲奴インター線の名称が変わる可能性をはらんでいる。なお、県道424号甲奴インター線は既に品農免農道として全線開通しているのだが、甲奴インターチェンジの供用開始まで区域決定はお預けになっている。
山口県国道191号線下関北バイパスの全線開通国道191号線下関北バイパスの全線開通によって下関市汐入町〜下関市山の田本町〜下関市富任町一丁目間の国道191号線現道は旧道になるが、この旧道は途中で一般県道3路線と接続していることや国道191号線下関北バイパスが全線開通した後も下関市山の田本町〜下関市富任町一丁目間は下関市の響灘沿岸地域と下関市中心部を結ぶ道路としての役割を担い続けることから新たな県道路線が発足する可能性が高い。

 恐らく鳥取県・岡山県・山口県で何らかの異動が起きるのではないかと考えているのだが、注目したいのは岡山県に新たな県道路線が発足するかどうかである。岡山県では平成時代唯一の国道・主要地方道再編を受けての県道路線再編が実施された1994年(平成6年)以降深刻な財政難に陥ったこともあり、1996年(平成8年)11月15日岡山県告示第670号で県道703号備前・柵原(やなはら)自転車道線(同和鉱業片上鉄道〔1923〜1991〕の跡地を利用して建設)が認定されたのを最後に新規認定路線は17年間出ていないのである。17年間の路線の異動も下表に示す通り少なく、いかに深刻な財政難が県道路線の認定に影響したかをうかがわせている。

異動年月日異動内容備考
2002年(平成14年)4月19日岡山県告示第252号により県道458号勇崎・入江線が廃止される。県道458号勇崎・入江線は玉島・笠岡有料道路の受け皿路線として1975年(昭和50年)に認定されたが、岡山県道路公社(岡山市北区蕃山町〔ばんざんちょう〕。2006年〔平成18年〕解散)の経営不振や通過予定地域の住民の強硬な反対などが元で着手が見送られ続けた。結局国道2号線玉島・笠岡道路が企図されたこともあって2001年(平成13年)11月に計画の白紙撤回が決定し、全く実体を現さないまま廃止に追い込まれた。玉島・笠岡有料道路は国道2号線玉島・笠岡道路より南側を通り、途中鴨方・寄島の二つのインターチェンジが設置されることになっていた。もし開通にこぎ着けても玉島側・笠岡側とも国道2号線からいくらか離れたところに出入口があることや有料道路であることから利用は低迷し、岡山県の財政事情を更に悪化させる元凶になった可能性が高い。
2006年(平成18年)4月1日2006年(平成18年)3月31日岡山県告示第199号により下記の2路線の改称が実施される。
・県道124号宮原・上月線→県道124号宮原・力万線
・県道368号吉永・南光線→県道368号吉永・下徳久線
2005年(平成17年)10月1日に佐用郡上月・佐用・南光・三日月各町が統合して改めて佐用郡佐用町が発足したことに伴う路線名称変更。兵庫県側も2006年(平成18年)4月1日兵庫県告示第418号の2で改称を告示している。

 岡山県は面積・人口こそ広島県に次ぐ中国地方第2位であるが、県道路線数は広島県を上回って中国地方第1位である(2014年〔平成26年〕1月3日現在で広島県は361路線〔主要地方道76路線・一般県道285路線〕あるのに対して岡山県は373路線〔主要地方道68路線・一般県道305路線。なお、津山市と鳥取県八頭郡智頭町を結ぶ目的で鳥取県が認定したが岡山県が未だにその存在を認めないでいる一般県道大高下・口波多線も認定されていると見なして路線数に計上している〕ある)。なぜ岡山県のほうが県道路線数が多いのかを挙げると次の通りになる。
・岡山県には財政事情が良好な市町村が少ないから。
・岡山県には人口が多い都市が少ないから(人口10万人以上の都市は岡山市・倉敷市・津山市の三つ。鳥取県〔鳥取市・米子市〕・島根県〔松江市・出雲市〕よりは多いが、広島県〔広島市・尾道市・呉市・廿日市市・東広島市・福山市・三原市〕・山口県〔山口市・岩国市・宇部市・下関市・周南市・防府市〕よりは少ない)。
・岡山県の県道路線の中には岡山県が区画整理の支援をする見返りに認定されたのではないかと思われる路線がいくつかあるから(代表的なものとしては県道421号総社停車場線や県道470号柳井原・上二万線がある)。

 

県道421号総社停車場線(左)と県道470号柳井原・上二万線(右)の起点付近。どちらも区画整理が実施された地域を通り抜けていく路線である。

・大規模な工場が少ない岡山県では建設業が主要な産業になっているから。
 都道府県道路線の整理は三重県や大阪府で最近よく行われているし、山口県でも1990年代中期に鉄道路線の駅を起点とする路線が22路線も廃止され、市町村に移管されているのだが、岡山県が一切手を付けないのは今書いた事情があるからであろう。「財政事情が厳しくなったので引き取ってくれ」と言われても財政事情が厳しいところが多い市町村側は困るだろうし、納得できる理由がないと誰も受け入れようとはしないであろう。更に沿線住民の感情に配慮しなければならないという問題もある。
 つまり、岡山県が県道路線の整理を行わず、一方で県道路線の新規認定を行わなかったのはそういう事情があったからであろうが、県道路線の整理はともかく県道路線の新規認定は今後も行わないでいられるとは考えられない。その第一号となるのではないかと思うのが浅口市金光町大谷〜浅口市鴨方町六条院東間の国道2号線玉島・笠岡道路に並行し、現在建設が進められている都市計画道路金光・鴨方線である。岡山県としては県道471号南浦・金光線に指定しているのだが、本来の県道471号南浦・金光線は倉敷市玉島黒崎の西端の集落・南浦と浅口市金光町佐方を結ぶ路線であり、国道2号線玉島・笠岡道路に並行する道路を指定するのは不適切である。更に都市計画道路金光・鴨方線の終点のある浅口市鴨方町六条院東から県道284号東安倉・鴨方線を南下すると県道431号六条院東・里庄線が右に分岐していく。この県道431号六条院東・里庄線を都市計画道路金光・鴨方線の起点のある浅口市金光町大谷まで延長することは考えられないものであろうか。県道431号六条院東・里庄線のうちの浅口市鴨方町六条院東/県道284号東安倉・鴨方線交点(起点)〜浅口市鴨方町六条院西/県道64号矢掛・寄島線交点間の改良が困難という問題はあるが、都市計画道路金光・鴨方線と県道431号六条院東・里庄線を統合して発足した県道431号大谷・新庄線(仮称)は浅口市の国道2号線以南の地域を東西に結ぶ新たな幹線道路として有用になるのではないのだろうか。
 この他にも岡山県には県道路線になっても良いと思う道路がいくつかあるし、近い将来には国道路線のバイパス開通に伴う旧道処分が取り沙汰されるところも出てくる。そこで注目したいのは岡山県では2012年(平成24年)11月に知事が石井正弘氏から伊原木隆太氏に交代したことである。岡山県で最後の新規認定路線である県道703号備前・柵原自転車道線が認定されたのは石井正弘前知事が就任してすぐのことだったので県道703号備前・柵原自転車道線の認定議案が岡山県議会の定例会で出されたのは長野士郎知事(1917〜2006。在任期間:1972〜1996)の時代になることは確実であり(岡山県議会のサイトで議事録を検索すると1996年〔平成8年〕2月定例会で県道路線認定議案が出されたとあるので長野知事の時代に議案が提出→可決されたことが確定する)、石井知事の時代には一切県道路線の認定議案が岡山県議会で出なかったことになる。伊原木知事は岡山を代表する企業の一つであり、岡山・広島両県では知名度が高い天満屋(岡山市北区内山下二丁目。全国的には女子陸上競技部の強豪として有名)の社長から知事に転身したし、深刻な財政難の中で県政運営を行わざるを得ないので長野知事の時代のような積極策に出るとは考えにくいのだが、果たしていつ岡山県議会で久しぶりの県道路線の認定議案が出されることになるのだろうか。今後に注目したい。

2 安芸郡府中町は本当に市制施行するのか

 2014年(平成26年)1月1日付中国新聞朝刊に広島市に取り囲まれながら自動車製造会社のマツダ(安芸郡府中町新地)の本社があるために財政事情が良好なために独立を保っている安芸郡府中町が日本の自治体としての町村で最多の人口を抱える自治体になったという記事が掲載された。この日、盛岡市に隣接し、盛岡市のベッドタウンとして人口を増やした岩手郡滝沢村が市制施行して滝沢市に移行したからであるが、これにより2010年(平成22年)10月1日実施の国勢調査で人口が5万人を超えた町村は府中町だけになった。
 人口が5万人を超えているということは市制施行要件の一つを満たしているということであり、市制施行が課題になってくるのだが、府中町は1990年(平成2年)10月1日実施の国勢調査で初めて人口が5万人を超え、以後4回の国勢調査では5万人を堅持している。しかし、2010年(平成22年)まで市制施行の「し」の字も出てこないという状況であった。やっと2010年(平成22年)12月に府中町議会で和多利義之町長が町議会が市制施行する方向でまとまるなら本格的に進めたいと発言したことでいよいよ市制施行するのかと思ったのだが、今に至るまで進展は見られないままになっている(実は 本サイトの別のページ でこの件を書いたことがある。併せてご覧頂きたい)。
 ならば市制施行は断念してしまったのか。実は前記の記事には次のようなことが書かれているのである。
・府中町では2011年(平成23年)2月に町議会特別委員会が「町とともに市制施行に向けた機運の醸成に力を注ぐ」とする報告をまとめていること。
・和多利町長は市制施行に前向きであること。
・和多利町長としては広島県などに理解を得てもらうために時間をかけて道筋を探るとしていること。
 つまり、これまで3年以上市制施行問題は表立った報道はなかったものの断念することなく準備していたということになるのである。しかし、 こちら でも書いているように広島市に取り囲まれていることや広島県が定めている「市としての要件に関する条例」(1948年〔昭和23年〕3月31日条例第28号)に定められている「学校教育法(1947年〔昭和22年〕3月31日法律第26号)に規定する高等学校若しくはこれに準ずる学校又は中等教育学校が、三以上設けられていること」(一部改変して記載)という要件を満たしていないこと(府中町には広島県立安芸府中高等学校〔安芸郡府中町山田五丁目〕しかない)から広島県議会では市制施行については消極的になっているという印象を受けていて、積極的に話を進められる状況にはないのだという(前記の和多利町長の「広島県などに理解を得てもらうために時間をかけて道筋を探る」という発言はこのことを受けていると思われる)。「学校教育法に規定する高等学校若しくはこれに準ずる学校又は中等教育学校」が二つ以下しかない状態で市制施行したところ(因島市〔1953〜2006〕・竹原市・府中市・松永市〔1954〜1966〕など。但しいずれも複数の町村が統合して発足した市である)は過去にあることを考えるとそれを楯に「市としての要件に関する条例」を改正することはできるだろうが、上下水道など広島市に依存するものが少なくないことや「いつまで意地を張り続けているのか。いい加減に広島市と合併したらどうか」という目で府中町を見る人が少なくないことを考えればやはり難しいのだろう。
更に「やはり広島市と合併すべきだ」と主張する人が出てきてかつての佐伯郡五日市町(1911〜1985)のように町民が合併派と市制派に分かれてしまう恐れも考えられる。
 そして最も考えて頂きたいことは次の国勢調査の時期が刻一刻と迫っていることである。次の国勢調査は2015年(平成27年)10月1日に実施される予定であるが、2016年(平成28年)1月頃までに発表される速報値でもし府中町の人口が5万人を下回っていた場合、そこで市制施行はお預けになってしまうのである。府中町は平地はともかく丘陵部もかなり開発し尽されており、人口が増加する要素がなくなり始めているのだが、たださえ5万人を少し上回っているだけの府中町の人口が5万人の大台を割ることは考えられないことではない。市制施行か町制堅持か広島市への編入か。府中町の未来にとって今年は正念場になることは間違いないと思われる。

3 岡山市の行政区再編問題は浮上するのか

 昨年9月15日に岡山県立図書館(岡山市北区丸の内二丁目)に行った時、岡山市北区内のある場所(国道180号線沿線だったと思う)で見かけたポスターに「岡山市北区を北区と中央区に分区する」というようなことが書かれているのを見た。その3週間後の10月6日に岡山市では市長選挙が実施されており、岡山市長選挙に立候補する予定の人物のポスターだったのだと思う(その人物が誰で結果はどうなったのかは分からない)のだが、中区または中央区(どちらもないところがあるが…)に中枢機関があるのが常識とされている政令指定都市で北区に中枢機関があるのは岡山市だけであることに違和感を抱いている人は少なくない。
 なぜ岡山市の場合、北区に中枢機関が集中することになったのか。それは岡山市の行政区の設定に問題があった。問題点は次の通りである。
・北区に相当する区域は国道53号線・JR津山線方面と国道180号線・JR吉備線方面、そして両方面の出発点となる岡山市中心部からなるが、岡山市中心部を中心として二つの方面を無理やりまとめたこと。人口が均等になるように分けようとした場合岡山市中心部を分割しなければならないなどの問題があってそのようにしたのだろうが、「なぜ国道53号線・JR津山線方面(あるいは国道180号線・JR吉備線方面)と同じ行政区なのか」と思う人は少なくないのではないのだろうか。
・岡山市の行政区名は公募にかけたにもかかわらずそれを無視したこと。しかもその公募には「岡山市が編入した自治体の名称は使ってはならない」という条件があった。岡山市の北部を占めるということで北区が妥当ということになったのだろうが、「公募を無視した。けしからん」とか「いくら岡山市が編入した自治体の名称を使ってはならないといっても吉備など岡山を象徴する地名くらいは使っても良いのではないか(吉備も実は岡山市が編入した自治体の名称にある)」という不満が残る結果になった。ちなみに私も公募に応募しており、私の応募したものとそのような名称にした理由は下表の通りである。

現在の区名私の案読み方命名理由
北区旭北区きょくほく/く区内を岡山県三大河川の一つである旭川が流れていることと、かなり奥(北方)まで区域が延びていること。
中区旭東区きょくとう/く区域が岡山県三大河川の一つである旭川の東側にあること。
東区吉井区よしい/く区内を岡山県三大河川の一つである吉井川が流れていること。
南区児東区ことう/く区域が児島半島の東にあることと、合併協議から離脱した玉野市が将来岡山市と合併することを想定したこと。

 岡山市北区の人口は2010年(平成22年)10月1日実施の国勢調査によると30万2,685人であり、岡山市の行政区の平均人口(17万7,396人)の約1.7倍である。人口面から考えても行政区分割問題は避けては通れない問題になるのは確実である。そこでこれまでの政令指定都市の行政区分割事例を下表で示すことにしたい。

都市名移行年月日再編前の区名状況
札幌市1972年(昭和47年)4月1日白石区1989年(平成元年)11月6日に一部区域が厚別区として分離。
豊平区1997年(平成9年)11月4日に一部区域が清田区として分離。
西区1989年(平成元年)11月6日に一部区域が手稲区として分離。
仙台市1989年(平成元年)4月1日(なし)
さいたま市2003年(平成15年)4月1日(なし)
千葉市1992年(平成4年)4月1日(なし)
横浜市1956年(昭和31年)9月1日港北区1969年(昭和44年)10月1日に一部区域が緑区として分離。
1994年(平成6年)11月6日に一部区域が青葉区として分離。
戸塚区1969年(昭和44年)10月1日に一部区域が瀬谷(せや)区として分離。
1986年(昭和61年)11月3日に一部区域が泉区と栄区として分離。
保土ヶ谷区1969年(昭和44年)10月1日に一部区域が旭区として分離。
緑区1994年(平成6年)11月6日に一部区域が都筑(つづき)区として分離。
南区1969年(昭和44年)10月1日に一部区域が港南区として分離。
川崎市1972年(昭和47年)4月1日高津区1982年(昭和57年)7月1日に一部区域が宮前区として分離。
多摩区1982年(昭和57年)7月1日に一部区域が麻生(あさお)区として分離。
相模原市2010年(平成22年)4月1日(なし)
新潟市2007年(平成19年)4月1日(なし)
静岡市2005年(平成17年)4月1日(なし)
浜松市2007年(平成19年)4月1日(なし)
名古屋市1956年(昭和31年)9月1日昭和区1975年(昭和50年)2月1日に一部区域が天白区として分離。
千種区1975年(昭和50年)2月1日に一部区域が名東区として分離。
京都市1956年(昭和31年)9月1日右京区1976年(昭和51年)10月1日に一部区域が西京(にしきょう)区として分離。
東山区1976年(昭和51年)10月1日に一部区域が山科区として分離。
大阪市1956年(昭和31年)9月1日城東区1974年(昭和49年)7月22日に一部区域が鶴見区として分離。
住吉区1974年(昭和49年)7月22日に一部区域が住之江区として分離。
東住吉区1974年(昭和49年)7月22日に一部区域が平野区として分離。
東淀川区1974年(昭和49年)7月22日に一部区域が淀川区として分離。
堺市2006年(平成18年)4月1日(なし)
神戸市1956年(昭和31年)9月1日垂水区1982年(昭和57年)8月1日に一部区域が西区として分離。
兵庫区1973年(昭和48年)8月1日に一部区域が北区として分離。
広島市1980年(昭和55年)4月1日(なし)
福岡市1972年(昭和47年)4月1日西区1982年(昭和57年)5月10日に一部区域が早良(さわら)区と城南区として分離。
北九州市1963年(昭和38年)4月1日小倉区1974年(昭和49年)4月1日に小倉北区と小倉南区に分割。
八幡区1974年(昭和49年)4月1日に八幡西区と八幡東区に分割。
熊本市2012年(平成24年)4月1日(なし)

 政令指定都市の行政区分割は人口が多くなったことを理由として実施することが多いが、上表からいずれの例も政令指定都市移行から10年以上経過して実施していることがうかがえる。最短なのは(上表では示さなかったのだが)福岡市西区のうちの旧早良郡早良町域(1975年〔昭和50年〕3月1日福岡市に編入→1975年〔昭和50年〕3月1日福岡市西区の一部に編入→1982年(昭和57年)5月10日福岡市早良区の一部に移行)となるが、いくら福岡市西区の人口が多くなっていたとはいえわずか7年2ヶ月で行政区が変わることになったことを早良郡早良町時代から早良郡早良町だった地域に住んでいる方はどのように感じたのであろうか。
 このように考えると岡山市の行政区の再編はまだ早いと言えよう。まだ政令指定都市に移行して5年しか経っていないし、岡山市が管理することになった国道路線や県道路線の補助標識にようやく政令指定都市移行後の地名が記されるようになったことを考えると前記の福岡県早良郡早良町の例ではないが混乱を招く恐れがある。確かに北区の範囲の問題は岡山市の課題の一つであろうが、恐らく今年で決着する話ではなく、もう何年か議論・検討を重ねて決まるのではないのだろうか。今後この問題はどうなっていくのか、長い目で見ていきたいと考えている。

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