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今年期待されること・今年注目したいこと(2015年〔平成27年〕1月3日公開)
新年の夜(現在は元日の夜を指すが、大晦日〔おおみそか〕の夜を指す説や1月2日の夜を指す説があり、定説はない)に見る夢を初夢といい、「一富士二鷹三茄子(なすび)」というように富士山や鷹、ナスの夢(どんな夢なのだろうか…?)を見ると縁起が良いとされているようですが、そこで今回の「不定期刊・きょうのトピックス」では今年中国地方で期待されることや今年注目したいことを本サイトが対象とする分野について書いてみることに致しました。どうぞご覧下さい。
今年中に開通する可能性のある中国地方を通る道路
※ここで取り上げる道路は2014〜2015年度(平成26〜27年度)に開通する可能性がある中国地方を通る道路(取り上げないものもありますがご了承願います)を国土交通省公式サイトの道路開通情報などを参考に紹介しております。また、開通が2016年(平成28年)になると思われる路線は取り上げておりません。
県名 | 路線名称 | 開通予定時期 | コメント |
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鳥取県 | 国道178号線 岩美道路 | 2015年度 (平成27年度) | 地域高規格道路に指定されている鳥取・豊岡・宮津自動車道(山陰・近畿自動車道ともいう)の一部を構成する道路で、岩美郡岩美町陸上(くがみ)〜岩美郡岩美町浦富(うらどめ)間に計画されている道路である。2015年度(平成27年度)に開通する予定なのは浦富インターチェンジ(仮称。岩美郡岩美町浦富)〜岩美インターチェンジ(岩美郡岩美町浦富)間である。岩美インターチェンジでは昨年3月22日に開通した国道9号線駟馳山(しちやま)バイパスと直接接続することになっており、国道178号線岩美道路→国道9号線駟馳山バイパス→国道9号線鳥取バイパスと連続して走ることによって鳥取市中心部と岩美郡岩美町中心部の往来が更に楽になる。なお、岩美道路の全線開通は2010年代末期の予定となっている。 |
島根県 | 国道9号線 仁摩・温泉津道路 (山陰自動車道) | 2015年 (平成27年) 春 | 大田市仁摩町大国〜大田市温泉津(ゆのつ)町今浦間に計画されているバイパスで、そのうちの仁摩・石見銀山インターチェンジ(大田市仁摩町大国)〜湯里インターチェンジ(大田市温泉津町湯里)間が開通することになっている。国道9号線仁摩・温泉津道路は湯里インターチェンジ〜石見福光インターチェンジ(大田市温泉津町今浦)間が昨年3月15日に開通しているのでこれにより国道9号線仁摩・温泉津道路は全線開通となるが、出雲市方面・江津市方面とも山陰自動車道は建設中または計画中の段階であり、国道9号線仁摩・温泉津道路は自動車専用道路としては当面の間孤立する格好になる。 |
国道9号線 浜田・三隅道路 (山陰自動車道) | 2015年 (平成27年) 春 | 浜田市原井町〜浜田市三隅町三隅間に計画されているバイパスで、そのうちの原井インターチェンジ(浜田市原井町)〜西村インターチェンジ(浜田市西村町)間が開通することになっている。起点の原井インターチェンジは国道9号線浜田道路の途中にあるインターチェンジであるが、浜田道路江津方面と浜田・三隅道路益田方面が本線になるように改築されるため浜田道路と浜田・三隅道路は連続して走れるようになる。また、途中に設置される浜田港インターチェンジ(浜田市熱田町)は浜田港の最寄インターチェンジと位置付けられており、県道339号浜田港インター線や臨港道路の整備が進められている(このうち県道339号浜田港インター線だけは浜田・三隅道路と同時に開通する予定)。なお、浜田・三隅道路の全線開通は2016年度(平成28年度)の予定となっている。 | |
県道339号浜田港インター線 | 2015年 (平成27年) 春 | 2005年(平成17年)4月8日島根県告示第494号で県道339号熱田インター線として認定された路線で、終点がある国道9号線浜田・三隅道路(山陰自動車道)のインターチェンジの名称が昨年9月30日に浜田港インターチェンジ(浜田市熱田町)になったことを受けて2014年(平成26年)10月31日島根県告示第602号に基づいて2014年(平成26年)11月1日に県道339号浜田港インター線に改称した。今回開通するのは単独部分(県道34号浜田・美都線交点〜浜田港インターチェンジ間)であるが、単独部分の途中で浜田港から延びてくる臨港道路(建設中)と合流することになっており、臨港道路開通後は浜田港や浜田市中心部西部と浜田港インターチェンジを結ぶ重要な幹線道路になる予定である。 | |
岡山県 | 国道2号線 玉島・笠岡道路 | 2015年 (平成27年) 春 | 倉敷市玉島阿賀崎〜笠岡市西大島新田間に計画されているバイパスで、そのうちの唐船(とうせん)インターチェンジ(仮称。倉敷市玉島阿賀崎)〜金光インターチェンジ(仮称。浅口市金光町佐方)間が開通することになっている。唐船インターチェンジで国道2号線玉島バイパスと接続することになっており、唐船交差点(倉敷市玉島阿賀崎)の渋滞解消が期待されるが、金光インターチェンジは国道2号線からかなり離れたところにあり、迂回路としては遠回りになることから期待したほどの効果は得られない可能性が高い。効果を発揮するのは少なくとも鴨方インターチェンジ(仮称。浅口市鴨方町六条院西)まで開通した時になるものと思われる(鴨方インターチェンジまで開通すれば県道431号六条院東・里庄線を介して笠岡市方面に抜けることが可能になるから)が、その時期は未定である。また、途中には水玉ブリッジライン(県道398号水島港・唐船線)に通じる道路(都市計画道路勇崎・大谷線)を分岐する水玉ジャンクション(仮称。浅口市金光町大谷)が計画されているが、現在のところ勇崎・大谷線の建設は全く進んでおらず、開通はかなり先の話になるのではないかと思われる。 |
県道471号南浦・金光線 | 2015年 (平成27年) 春 | 県道471号南浦(なんぽ)・金光線は本来は倉敷市玉島黒崎字南浦と浅口市金光町佐方を結ぶ路線であるが、なぜか浅口市金光町大谷〜浅口市鴨方町六条院東間の国道2号線玉島・笠岡道路の側道も県道471号南浦・金光線に編入されている。今回開通する予定なのは浅口市金光町大谷〜浅口市金光町佐方間であり、県道430号玉島黒崎・金光線と県道471号南浦・金光線を結ぶ道路が開通することになる。今回の開通予定区間は浅口市金光町内で収まるため県道471号南浦・金光線の支線として位置付けられることであろうが、問題は浅口市金光町佐方〜浅口市鴨方町六条院東間が開通した時である。浅口市金光町佐方〜浅口市鴨方町六条院東間についても県道471号南浦・金光線にするには無理が生じるからであるが、果たして岡山県はどのようにこの問題を解決させるのだろうか。私としては新規に県道路線を認定したほうが良いと考えているのだが…。 | |
備前・日生大橋 | 2015年 (平成27年) 春 | 本土(備前市日生〔ひなせ〕町寒河〔そうご〕)〜鹿久居島(備前市日生町日生)間に建設されている橋で全長は765m。鹿久居島〜頭島(備前市日生町日生)間には2004年(平成16年)に頭島大橋(全長:218m)が開通しているので頭島まで自動車で渡れるようになる。ただ、陸続きになる島々はいずれも備前市に属していることや岡山県の財政事情が厳しいことから県道路線に認定される見込みはなく、頭島の先にある日生諸島の島々(注1)に延びる計画もないのがどうかというところである。なお、橋の正式名称は「備前(ハートマーク)日生大橋(読み方は「びぜんひなせおおはし」)」であるが、ハートマークはパソコンでは機種依存文字に指定されていることから・(中点)で代用している。 | |
国道180号線 総社・一宮バイパス | 2015年度 (平成27年度) | 岡山市北区楢津〜総社市井尻野間に計画されているバイパスで、現道重用部分の全区間(岡山市北区門前〜総社市窪木)と総社地区の一部区間(総社市窪木〜総社市総社間)がこれまでに開通しているが、今回は一宮地区(岡山市北区楢津〜岡山市北区門前間)の一部区間、すなわち岡山市北区楢津〜岡山市北区一宮山崎間が開通することになっている。開通区間の終点では県道路線との接続はないため地域住民の生活道路としての利用しか見込めないのでは…と見る向きもあるようであるが、開通区間の終点の少し先には山陽自動車道吉備サービスエリア・吉備スマートインターチェンジ(岡山市北区今岡)があり、山陽自動車道吉備スマートインターチェンジへのアクセス改善を念頭に置いた可能性が考えられる。せめて岡山空港(岡山市北区日応寺)に通じる県道61号妹尾・御津線に接続するところ(岡山市北区福谷)まで開通すれば有用な道にはなるがその時期がいつになるかは今のところはっきりしていない。 | |
国道374号線 湯郷・勝央道路 | 2015年度 (平成27年度) | 地域高規格道路に指定されている美作(みまさか)・岡山道路の一部を構成する道路で、勝央ジャンクション(仮称。美作市上相〔かみや〕)〜勝央インターチェンジ(勝田郡勝央町黒土)間が開通し、中国自動車道と接続することになっている。既に勝央インターチェンジ〜湯郷温泉インターチェンジ(美作市位田)間は開通しているので京阪神地方から美作三湯(注2)の一つとして知られる湯郷温泉(美作市湯郷)に行きやすくなるように思う方がいるかもしれないが実は湯郷温泉インターチェンジは湯郷温泉から南西に少し離れたところにあり、どれくらいの利用があるか疑問が残る(注3)。もっと有用な道になるには湯郷温泉インターチェンジ以南への延伸が望まれるが今のところそのメドは立っていない。 | |
広島県 | 尾道自動車道 | 2015年 (平成27年) 春 | 尾道自動車道は中国横断自動車道尾道・松江線のうちの中国自動車道以南の名称で、既に尾道ジャンクション(尾道市美ノ郷町三成)〜世羅インターチェンジ(世羅郡世羅町川尻)間と吉舎(きさ)インターチェンジ(三次市吉舎町矢井)〜三次東インターチェンジ(三次市四拾貫町)間が開通している。今回開通するのは世羅インターチェンジ〜吉舎インターチェンジ間でこの区間の開通により尾道自動車道は全線開通となる。更に中国横断自動車道尾道・松江線のうちの中国自動車道以北の部分を構成している松江自動車道も2013年(平成25年)3月30日に全線開通しているので中国横断自動車道尾道・松江線は中国横断自動車道としては広島・浜田線に次いで二番目に全線開通を果たすことになる。新直轄方式で建設されたため尾道自動車道尾道北インターチェンジ(尾道市御調〔みつぎ〕町大町)〜松江自動車道三刀屋木次(みとやきすき)インターチェンジ(雲南市三刀屋町三刀屋)間が無料で通行できるのが魅力であり、広島県南東部と広島県北部、更に島根県東部との交流が推進されることが期待されるが、その間の本線には全く休憩施設は設置されないことになったこと(注4)が難点であり、今後課題になってくるものと思われる。 |
東広島・呉自動車道 | 2015年 (平成27年) 春 | 東広島・呉自動車道は山陽自動車道と呉市を結ぶ自動車専用道路で、既に高屋ジャンクション・インターチェンジ(東広島市高屋町溝口)〜馬木インターチェンジ(東広島市西条町馬木)間と黒瀬インターチェンジ(東広島市黒瀬町津江)〜阿賀インターチェンジ(呉市広横路一丁目)間が開通している。今回開通するのは馬木インターチェンジ〜黒瀬インターチェンジ間でこの区間の開通により東広島・呉自動車道は全線開通することになる。開通には間に合わない見込みだが途中には大多田インターチェンジ(仮称。東広島市黒瀬町大多田)が設けられることになっている。東京・名古屋・京阪神方面と広島県第三の都市・呉市が高速道路で直結される点は大きいものがあるのだが、阿賀インターチェンジから呉市中心部まではいくらか離れており、阿賀インターチェンジと呉市中心部を結ぶ国道185号線には上下2車線のままのところもあるため上下2車線のままの箇所、すなわち休山トンネル(全長:1,706m)が上下4車線化されるまでは十分機能を発揮できないままになる恐れがある(注5)。また、先に呉市に到達した自動車専用道路である広島・呉道路との間も自動車専用道路としては途切れており、広島・呉道路との連携も将来の課題になるものと思われる。 | |
山口県 | 国道191号線 下関北バイパス | 2015年 (平成27年) 春 | 下関市汐入町〜下関市富任町一丁目間に計画されているバイパスで、これまでに下関市汐入町(起点)〜下関市武久町二丁目間が開通している。今回開通するのはその残りの部分、すなわち下関市武久町二丁目〜下関市富任町一丁目(終点)間であり、これにより全線開通することになる。だいたい国道路線のバイパスは暫定2車線で開通することが多いのだが、この下関北バイパスは上下4車線で全線開通を果たすことになっており、その点でも注目される存在である(注6)。開通すると大規模な団地や下関市立大学(下関市大学町二丁目)があることで下関市の商業集積地の一つになった山の田地区を経由せずにJR山陽本線下関駅(下関市竹崎町四丁目)・彦島方面と下関市の響灘沿岸地域を往来できるようになり、山の田交差点(下関市山の田本町)の渋滞が解消されることや垢田沖人工島(長州出島。現在のところ一般人の立ち入りは禁止されている)へのアクセスが容易になることなどの効果が生じる他、下関市川中・安岡地区では海岸(海水浴場になっている箇所もある)のすぐそばを通ることになり、注目の場所になる可能性がある。下関北バイパスに並行する国道191号線現道は下関北バイパスの全線開通後も下関市中心部(特に唐戸地区)と下関市の響灘沿岸地域を結ぶ幹線道路として有用であり続けるために県道路線になるのではないかと考えているのだが、その再編の状況も注目されるところである(注7)。 |
今年期待されること・今年注目したいこと
1 福山市の小学校・中学校統廃合問題はどうなるのか
昨年10月、福山市は今春での福山市立走島小学校(福山市走島町)と福山市立走島中学校(福山市走島町)の廃校を決定した。今春で福山市立走島小学校の児童と福山市立走島中学校の生徒が一人もいなくなるためである。福山市立走島中学校は今春福山市立走島小学校を卒業した児童が入学することになっているし、福山市立走島小学校は一年後に福山市立走島幼稚園(福山市走島町)を卒園した園児が入学することにはなっているが、いずれも児童または生徒は一人だけになるためもう存続させる必要はないと判断したのであろう(注8)。
これまで福山市は市立小学校・中学校の統廃合には全くと言って良いほど取り組まないできた。1966年(昭和41年)5月1日に福山・松永両市が統合して改めて福山市が発足してから現在までの間に福山市が廃校または休校にした小学校・中学校はわずか3校である(下表参照。まだ廃校になっていない福山市立走島小学校と福山市立走島中学校を除く(注9))。反対に1966年(昭和41年)5月1日に福山・松永両市が統合して改めて福山市が発足してから現在までの間に福山市によって設置された小学校・中学校は何と26校(小学校19校・中学校7校)に及び、急激な人口増加と財政規模の増大が背景にあることをうかがわせている(注10)。
学校名 | 所在地 | 状況 |
---|---|---|
福山市立本郷中学校 | 本郷町 | 1970年(昭和45年)に廃校になり、福山市立大成館中学校(福山市神村〔かむら〕町)に統合される。 |
福山市立山野北小学校 | 山野町山野 | 2002年(平成14年)に休校する。休校状態は現在も継続されているが建物の一部は現在福山市民病院付属田原診療所として使用されている。 |
福山市立中条小学校三谷分校 | 神辺町三谷 | 深安郡神辺町時代の2003年(平成15年)に休校する。深安郡神辺町は2006年(平成18年)3月1日に福山市に編入されたが休校状態は管理者が代わっても継続されている。 |
現在も休校状態になっている福山市立山野北小学校(左)と福山市立中条小学校三谷分校(右)
一方で福山市は市立幼稚園を多数休園させている(注11)のだが、少子化の中で多数私立の幼稚園や保育園、保育所があることを思えば致し方ないことと言える。反対に小学校と中学校は市立学校が圧倒的に多いから市立小学校・中学校の統廃合に取り組むことはないだろうという見方が強かったが、ここ最近になって雲行きが怪しくなってきた。その要素を挙げると次の通りになる。
・公立学校の耐震化に取り組まざるを得なくなったが、財政事情が厳しいこともあって進んでいないこと(注12)。
・若年層を中心とした人口流出や少子・高齢化、経済事情の変化などにより福山市の人口が減少に転じ始めていること。
・過疎化や少子・高齢化などの事情により児童の少ない小学校や生徒の少ない中学校が増えていること。
既に福山市より人口の多い岡山市や広島市、福山市に隣接する自治体(岡山県…井原市・笠岡市、広島県…尾道市・府中市・神石郡神石高原町)では公立小学校・中学校の統廃合を進めており、福山市も取り組むようになるのは時間の問題と化していた面はあるのだが、福山市立走島小学校と福山市立走島中学校を廃校にすることを決めたことを契機に市立小学校・中学校の統廃合に乗り出す可能性が浮上しようとしている。
福山市—その他の小学校・中学校の統廃合を進める自治体も同じであるが—としては財政事情が厳しくなったことや子供は大勢の中で揉まれたほうが好ましいと感じること、児童数または生徒数が少なければクラブ活動が不可能になることなどを大義名分として市立小学校・中学校の統廃合を推進するのだろうが、私は次に挙げる理由から慎重に臨んで頂きたい(できればしないで頂きたい)と考えている。
・学校は地域の象徴的存在であり、中核施設でもあると考えているから。
・学校がないことを理由に移住を躊躇(ちゅうちょ)したり断念したりする方が出る恐れがあるから。
・統合先の学校までの通学費用がかさむ家庭が増えるから。
・統合先の学校までの交通事情が良くないところが多いから。
・統合対象となった学校に関係する方が理不尽な思いを抱く恐れがあるから。
・下手をすればまだ数百人の児童または生徒がいる学校も対象にされる恐れがあるから。
・規模が大きくなることで教職員の心労も増大する恐れがあるから。
・大勢の中で揉まれたほうが好ましいとは言うが同時にいじめなどの問題も起きる恐れがあるから。
私として願うのはもう少し児童または生徒と教職員、そして地域住民の思いを考えて頂きたいことと、上から目線で臨まず、きちんと説明・討議を尽くして結論を出して頂きたいことである。自分の小学生・中学生時代を振り返った時、上が決めたことは決して児童または生徒と教職員にとって好ましい結果をもたらさなかった(注13)と思っているし、同時に児童または生徒と教職員に不利益を与えるようなことはきちんと説明してからやって頂きたかったと思っているからである。財政事情が厳しいことや児童数または生徒数が少なければ立ち行かなくなることは理解するが良かれと思ってやったことが児童または生徒と教職員にとって不幸になることや関係者の大半が釈然としない思いを抱くことになることだけは避けて欲しいと思うのである。
そして私としてもう一つ訴えたいことはもう少し一般市民はこの問題に関心を持ち、声を上げて欲しいということである。昭和時代末期に人口減少に転じた下関市(注14)では2008年(平成20年)3月、市立小学校・中学校の適正規模・適正配置に関する答申を公表したのだが、それから7年経った今、学校の統廃合はあまり進まないでいる(注15)。市民が学校の統廃合に反対する声を上げたことが理由の一つである(注16)。福山市でも神辺地区の中学校の統廃合(1966年〔昭和41年〕実施)の際は反対運動が起きたことが福山市立神辺東中学校(福山市神辺町下竹田)の開校20周年記念誌「安那の里」に記されているが、今同じようなことを上(行政)から突き付けられたとしてどのくらいの方が声を上げるのかが気になる。福山市内の市立小学校・中学校の中には長い歴史と多くの卒業生を持つのに未だに同窓会組織すらないところがあると聞くし、毎年3月に福山市内で開催される中国新聞社旗少年少女親善球技大会(注17)に児童数が少ないわけでもないのに出場を見合わせている小学校区(チーム)もあるというが、そういう状況のところが統廃合の対象になったら誰も反対しなかったり悲しまなかったりするのだろうか。こんな状況はあまりにも悲しすぎるしもっと危機感を持って欲しいと思う。
財政事情が厳しいことは理解する。大勢の中で揉まれたほうが良いことは理解する。けれど子供に理不尽な思いを植え付け、地域を破壊する学校の統廃合が「適正」を大義名分に強行されて良いものであろうか。福山市がどのような形で学校の統廃合を進めるか、現時点では分からないが、できるならしないで頂きたい、もしするのであればしっかり市民の声を聴き、多くの方を不幸にしないようにして頂きたいと願うばかりである。
2 中国横断自動車道岡山・米子線の米子インターチェンジ以北への延伸問題はどうなるのか
今春、いよいよ中国横断自動車道尾道・松江線が全線開通する。4路線計画されている中国横断自動車道としては二つ目の全線開通となる(一つ目は広島・浜田線で1991年〔平成3年〕12月7日に全線開通した)。残る2路線のうち姫路・鳥取線については一般道路を挟む区間(注18)はあるものの2020年度(平成32年度)全線開通を目指して建設が進んでいるのだが、問題は岡山・米子線である。「『岡山・米子線』は既に全線開通しているのでは…?」と思っている方も多いかもしれないのだが、岡山・米子線の終点は実は米子市ではなく境港市である。つまり、中国横断自動車道岡山・米子線は米子インターチェンジ(米子市赤井手)〜境港市間が未開通のままになっているのである。
中国横断自動車道岡山・米子線が米子インターチェンジ止まりになっている理由としては次のようなことが挙げられる。
・米子インターチェンジで山陰自動車道(国道9号線米子道路)と接続しているから。
・米子インターチェンジ以南は京阪神方面と山陰地方中央部を結ぶ幹線道路として交通量が見込めたが、米子インターチェンジ以北は交通量が見込めなかったから。
・米子市と境港市を結ぶ幹線道路としてはどちらも整備が進んでいる国道431号線と鳥取県道47号米子・境港線があるから。
・米子市〜境港市間は住宅密集地が多く、建設が難航する恐れがあったから。
・並行して通るJR境線の存廃問題が浮上する恐れがあったから。
そんな中、2004年(平成16年)に米子インターチェンジ〜米子北インターチェンジ(仮称。詳細な場所ははっきりしないが米子市北部の皆生〔かいけ〕温泉の近くではないかと考えられる)間約5kmについて新直轄方式での建設が決定した。同時に姫路・鳥取線の佐用ジャンクション(兵庫県佐用郡佐用町口金近)〜西粟倉インターチェンジ(岡山県英田郡西粟倉村影石)間と智頭(ちづ)インターチェンジ(鳥取県八頭郡智頭町市瀬)〜鳥取インターチェンジ(鳥取市本高)間、尾道・松江線の尾道ジャンクション(尾道市美ノ郷町三成)〜三刀屋木次(みとやきすき)インターチェンジ(雲南市三刀屋町三刀屋)間も新直轄方式での建設が決定したのだが、姫路・鳥取線と尾道・松江線の新直轄区間は今春までに全て開通することになったのに対し岡山・米子線のそれは全く音沙汰がない。住宅街を貫くために経路選定で難航しているとか費用対効果が見込めないとか鳥取県としては山陰自動車道や中国横断自動車道姫路・鳥取線に力を入れていて岡山・米子線の米子インターチェンジ以北への延伸に取り組むのはそれらの高速道路が全線開通した後にしているとか理由はいろいろ考えられるところであるが新直轄区間が山陰地方の主要都市と大都市を直結するのに必要な部分(注19)であるか否かが明暗を分けたと言えるのではないのだろうか。
(私の意見ではないことをお断りしておくが)中には「中国横断自動車道岡山・米子線は米子インターチェンジで打ち切り、米子インターチェンジ以北の計画は白紙撤回すべきだ」とか「米子市と境港市が合併すれば中国横断自動車道岡山・米子線の終点は『米子市』になるので都合が良いのではないか(注20)」というような、境港市民のプライドを傷付けるような意見を言う方もいるのだが、私は中国横断自動車道岡山・米子線のうちの米子インターチェンジ〜境港市間は次に挙げる理由から切り捨てられるべきものではないと考えている。
・境港市は山陰地方を代表する漁港・貿易港を有する港町であるが、高速道路のインターチェンジまでが遠いこと。
・米子市と境港市の境に跨って設置されている米子空港(愛称:米子鬼太郎空港。境港市佐斐神〔さいのかみ〕町(注21))は鳥取県西部・島根県東部の空の玄関ではあるが中国地方にある空港では離島にある隠岐空港(島根県隠岐郡隠岐の島町岬町)を除いて最も高速道路のインターチェンジまでが遠いこと(注22)。
・国道431号線と鳥取県道47号米子・境港線はどちらも米子市中心部と境港市中心部を結ぶ幹線道路として交通量が多く、渋滞する箇所もいくつかあること。
・境港市がある弓ヶ浜半島は鳥取県西部地震(2000年〔平成12年〕10月6日)で大きな被害を受けたところであり、日本海を震源とする地震で発生する津波(注23)や島根原子力発電所(松江市鹿島町片句)の事故なども考えられるが、弓ヶ浜半島には十分な住民の避難道路や緊急輸送路がないこと。
・境港市及びその周辺には水木しげるロードや夢みなとタワー(境港市竹内団地)、江島大橋、美保関(松江市美保関町)、大根島(松江市八束町)などの名所があるが、時間が読めないとか高速道路から遠いとして敬遠する方が出る恐れがあること。
・鳥取県の県庁所在地・鳥取市との往来に時間がかかること。
・隠岐諸島への航路が発着する港(境港〔さかいこう。境港市大正町〕・七類港〔松江市美保関町七類〕)から高速道路のインターチェンジまでが遠いこと。
・境港市や米子市は鳥取市よりも松江市との繋がりが深いのだが、鳥取県の一体化のためには鳥取市との往来が楽にできるようにする必要があること。
・鳥取県は西部地域(境港市・米子市・西伯郡・日野郡)を冷遇していないということを示す必要があること。
これまで鳥取県が力を入れてきたのは京阪神地方に通じる中国横断自動車道姫路・鳥取線と、鳥取市と米子市を結ぶ山陰自動車道であった。しかし、中国横断自動車道姫路・鳥取線は2013年(平成25年)春に中国自動車道との接続を果たし、京阪神地方との往来が楽にできるようになったし、山陰自動車道も一般道路を挟む箇所(注24)や未開通箇所(注25)を残しているが青谷インターチェンジ(鳥取市青谷町青谷)以西が一本の道に繋がっている(注26)。つまり、鳥取県は中国横断自動車道岡山・米子線米子インターチェンジ以北への延伸に取り組むべき時期が来たのではないかと考えたいのである。
しかし、解決すべき問題は多数ある。それは次の通りである。
・「国道431号線や鳥取県道47号米子・境港線があるのにもう一つ高規格な道路を作るのは無駄だ」とか「国や鳥取県、境港市、米子市の財政事情が厳しいのに多額の費用をかけて道を作る必要があるのか」といった批判が出る恐れがあること。
・住宅密集地が多いために用地買収が困難を極める恐れがあること。
・沿線住民から「景観破壊反対!!」とか「環境破壊反対!!」とか「公害反対!!」とか「地域分断反対!!」というような声が上がる恐れがあること。
・出入口をどこに設置するかでもめる恐れがあること(現在決まっているのは皆生温泉の近くに設置されると思われる米子北インターチェンジのみ。個人的には西伯郡日吉津〔ひえづ〕村内や米子空港の近くにも設置したほうが良いと考えている)。
・米子インターチェンジのジャンクションへの改造が必要になること(現在は京阪神・岡山方面と松江・出雲方面を往来するランプウェイだけがある)。
・他県ながら影響を受ける島根県や松江市、隠岐郡各町村(海士〔あま〕・隠岐の島・西ノ島各町及び知夫村)がもう少し整備に乗り気になる必要があること。
・境港市と松江市美保関地区を結ぶ境水道大橋(全長:709m)や島根半島や宍道(しんじ)湖北岸を東西に結ぶ地域高規格道路境港・出雲道路(こういう名称ながら起点は境港市ではなく松江市美保関地区にある)との連携を考慮する必要があること。
・どのような方式の道路を作るかでもめる恐れがあること。
・米子北インターチェンジ以北の建設主体を決める必要があること。
今もし取り組み始めたとしても開通は2020年代半ば以降になるであろうが、何を言われようと中国横断自動車道岡山・米子線は境港市や米子市、松江市、隠岐郡にとっては必要不可欠な道路であると私は考えている。私がここで何かを書いたとしてもすぐに動き出すわけはないのだが、今後どうなっていくのか注目していきたいと考えている。
3 中国地方で次に開局するコミュニティ放送局はどこか
昨年8月20日未明に起きた集中豪雨で甚大な被害を受けた広島市安佐南区。そこを放送区域とするコミュニティ放送局がFMハムスター(広島市安佐南区祇園五丁目)である。広島経済大学(広島市安佐南区祇園五丁目)の構内に本社・演奏所があることや大学が休みになる土曜日・日曜日には放送を休止することといった特色を持つコミュニティ放送局なのだが、実は2013年(平成25年)春に3ヶ月間放送を休止したことがあった。理由は「事業の見直しを図るため」ということだったのだが、広島市では五日市コミュニティ放送(愛称:エフエムななみ。広島市佐伯区皆賀四丁目。2004〜2007)が経営不振を理由に放送を休止し、再興がならないまま廃業に追い込まれたことがあったために放送休止の報を聞いた方の多くは恐らく五日市コミュニティ放送と同じ末路をたどるのでは…と考えたことであろう。
しかし、FMハムスターは無事に放送再開を果たし、この度の集中豪雨災害ではコミュニティ放送局の開局目的の一つである地域住民への情報提供という役割を十分に果たした。広島市安佐南区はNHK広島放送局(広島市中区大手町二丁目)・中国放送ラジオ(RCC、広島市中区基町)・広島エフエム放送(HFM、広島市南区皆実町一丁目)・中国コミュニケーションネットワーク(愛称:エフエムちゅーピー。広島市中区土橋町)といったラジオ局が十分受信できる地域(注27)であるために競争が激しい地域ではあるのだが、広島市安佐南区を放送区域とするラジオ局があり、非常時に十分役割を果たしたことは地域住民にとって心強いものになったのではないのだろうか(注28)。
(どこも同じだと言われるかもしれないが)中国地方を襲った自然災害は多数ある。集中豪雨は毎年のように起きているし、地震は鳥取県西部地震(2000年〔平成12年〕10月6日)や芸予地震(2001年〔平成13年〕3月24日)が大きな被害をもたらした。災害が起きるとどの報道機関も大きく取り上げるが、被災地域の住民や被災地域に何らかの関係を持つ人間が知りたい情報も十分伝えてくれるとは限らない。そこで各地にコミュニティ放送局が開局していったのである。
中国地方の場合、1996年(平成8年)8月8日にエフエムふくやま(愛称:レディオBINGO。福山市西町二丁目)とエフエム萩(愛称:FM NANAKO。萩市江向)が開局したのを皮切りに各地で開局し、現在では各県に1局はある格好になっている。しかし、2012年(平成24年)2月3日にFM山陽小野田(愛称:FMサンサンきらら。山陽小野田市小野田)が開局したのを最後に3年近く新規開局はないし、島根県は未だにエフエムいずも(愛称:愛ステーション。出雲市里方町)しかない。志を持つ人がいないとかラジオ局はどこも経営が厳しく、何を今更…と思う人が少なくないとか強力な後ろ盾がないとかいろいろ理由はあるところだろうが、集中豪雨を中心に災害が多い地域であることを考えるとこれはどうなのかなと考えてしまう。
私として中国地方でコミュニティ放送局があっても良いと思う市区町村は次の通りである。
・鳥取県…倉吉市
・島根県…松江市、江津市、浜田市、益田市、隠岐郡隠岐の島町
・岡山県…高梁市、新見市、真庭市
・広島県…呉市、庄原市、三原市、三次市
・山口県…山口市、岩国市、柳井市
上記の市町は過去に大規模な事故または災害に見舞われたかその可能性があることや地域の中心都市であること、大都市へのストロー効果が懸念されること、広大な行政区域を持っていること、ある程度の人口規模があること、大学があること、かつて都道府県域ラジオ放送局が地域別放送を行っていたことなどを条件として選んだものであるが、中には実際に開局への動きが起きたところや現在その動きが起きているところもある。
無論前記以外の市区町村で開局への動きが起きることは望むところであるが、私として望みたいのは開局させようという志を持ったのなら完遂して頂きたいことと何らかの不都合が起きた時は逃げないできちんと説明して頂きたいこと、身の丈に合った経営をして頂きたいこと、そして独善に陥り、破滅に至らせて頂きたくないことである。既にいくつか予備免許まで取得しながら開局に至れなかったところ(中には説明や釈明もしないところも…)や放送はしていても公式サイトが充実しておらず、知りたい情報が得られないところ、経営者の恣意的な考えや身の丈に合わない運営が元で廃業に追い込まれたところが出ているのだが、地域のための放送局が地域住民を蔑(ないがし)ろにすることは許されざることだと思うからである。その結果地域住民から嫌われ、廃業に追い込まれるとしたらそれは何と愚かなことだろうと思うのだが、もうこんなことはしないで頂きたい。
中国地方はほとんどの市区町村で人口が減少していることやラジオ業界は厳しい時代が続いていることを考えればどのコミュニティ放送局も今後経営は厳しくなっていくだろうし、新規開局の話も出にくくなっていくだろう。しかし、そういう状況でも自分の町を盛り上げようという熱い思いを持った人が出てきて欲しいと私は思っている。
注釈コーナー
注1:日生諸島のうち備前市にある有人島を対象にした場合鴻島(備前市日生町日生)・大多府島(備前市日生町大多府)への架橋が考えられる。しかし、頭島〜鴻島間架橋にしても頭島〜大多府島間架橋にしても頭島大橋や備前・日生大橋を超える長さの橋を建設せざるを得なくなることやどちらの島も人口が少なく、費用対効果が見込めたものではないこと、そして岡山県や備前市の財政事情が厳しいことから延伸計画は考えられないままになっているものと思われる。鴻島の南には更に長島(瀬戸内市邑久〔おく〕町虫明〔むしあげ〕)があり、鴻島〜長島間の海峡(たこずの瀬戸)が狭いことを考えれば鴻島〜長島間架橋も考えられない話ではないが、鴻島と長島では所属自治体が異なることや長島は既に1988年(昭和63年)に邑久・長島大橋(全長:185m)で本土と陸続きになっていること、岡山県や瀬戸内市、備前市の財政事情が厳しいこと、そして長島にはハンセン氏病患者の療養所があり、療養者の生活環境が脅かされる恐れがあることなどから実現する見込みはない。
注2:美作三湯のもう二つは奥津温泉(苫田郡鏡野町奥津・奥津川西)と湯原温泉(真庭市湯原温泉)である。
注3:現在の湯郷温泉の最寄インターチェンジは中国自動車道美作インターチェンジ(美作市北山)である。美作インターチェンジからは岡山県道51号美作・奈義線→国道179号線(国道374号線重用)→国道374号線経由で一度も右左折を経ずに湯郷温泉に行ける。
注4:本線上には休憩施設はないが、尾道自動車道・松江自動車道ともインターチェンジを出たところに道の駅が設置されているところがいくつかある。
※尾道市御調町大山田ではパーキングエリアの予定地と思しき空き地が道の両側に広がっている。費用節減を理由に設置は見送られることになったのだが、そこに便所と清涼飲料水の自動販売機しかないパーキングエリアがあっても良いと思うのは私だけであろうか。同じ新直轄方式で建設された鳥取自動車道にはいくつかパーキングエリアがあることだし…。
注5:休山トンネルの上下4車線化は2017年度(平成29年度)完成予定となっている。
注6:このようになったのは既に安岡地区まで市街地化が進展していること(安岡地区の大部分は1989年〔平成元年〕11月27日に住居表示が実施されている。また、安岡地区にある小学校と中学校、すなわち下関市立安岡小学校〔下関市安岡町三丁目〕と下関市立安岡中学校〔下関市安岡町四丁目〕は結局学校分離は実施されなかったものの多数の児童または生徒を抱える学校〔いわゆるマンモス校〕になっていた時期があった)や下関市中心部から放射状に延びるもう一つの国道路線、すなわち国道9号線(下関市長府印内町以東は国道2号線と重用)も清末地区まで十数kmにわたって上下4車線化されており、もし暫定2車線で開通させた場合下関市川中・安岡・吉見地区の住民から文句が出る恐れがあったことが考えられる。
※国道9号線→国道2号線(国道9号線重用)が下関市中心部から10km以上にわたって上下4車線化されている一因には1969年(昭和44年)まで路面電車、すなわち山陽電気軌道長関線が下関市松小田本町/長府駅前交差点まで道路の中央を通っていたことが挙げられる(山陽電気軌道長関線は長府駅前交差点で左折して山口県道254号長府停車場線に入り、JR山陽本線長府駅東口駅前広場に至っていた。山口県道254号長府停車場線の道幅が広いのはその名残である)。路面電車が通っていなかった長府駅前交差点以北の上下4車線化は平成時代に入ってから推進されたものであり、2016年度(平成28年度)には王喜地区まで延びる予定になっている。
JR山陽本線長府駅東口駅前広場から撮影した山口県道254号長府停車場線全景(2009年〔平成21年〕12月15日撮影)
注7:山口県議会の2014年(平成26年)11月定例会の議案に県道路線の変更があったが、詳細は分からないものの山の田交差点で接続する山口県道248号下関港・垢田線の延伸による路線名称変更が議案になった可能性がある。
注8:福山市立走島幼稚園も今春をもって廃園となる。
注9:福山・松永両市が統合して改めて福山市が発足した1966年(昭和41年)5月1日以降に後に福山市に編入された自治体(芦品郡芦田・駅家・新市各町、沼隈郡内海〔うつみ〕・沼隈両町、深安郡加茂・神辺両町)が廃校または休校にした小学校・中学校は下表の通りである。
※所在地からは「○○郡○○町」をそれぞれ省いている。また、沼隈郡内海(うつみ)町(1955〜2003)は沼隈郡田島・横島両村が統合して発足した自治体だったにもかかわらず大字を設定しなかったため便宜上旧沼隈郡田島村(1889〜1955)だった地域を田島、旧沼隈郡横島村(1889〜1955)だった地域を横島とそれぞれ表記している。
自治体名/ 存在期間 | 学校名 | 所在地 | 状況 |
---|---|---|---|
芦品郡芦田町 (1955〜1974) | — | — | |
芦品郡駅家町 (1947〜1975) | — | — | |
芦品郡新市町 (1907〜2003) | 新市町立常金丸小学校山形分校 | 金丸 | 1968年(昭和43年)廃校。 |
新市町立藤尾小学校 | 藤尾 | 1978年(昭和53年)休校→2000年(平成12年)廃校。 | |
沼隈郡内海町 (1955〜2003) | 内海町立田島小学校 | 田島 | 1975年(昭和50年)廃校。 |
内海町立横島小学校 | 横島 | 1975年(昭和50年)廃校。 | |
内海町立西中学校 | 横島 | 1973年(昭和48年)廃校。 | |
内海町立東中学校 | 田島 | 1973年(昭和48年)廃校。 ※跡地は内海町立内海中学校→福山市立内海中学校の敷地になる。 | |
沼隈郡沼隈町 (1955〜2005) | 沼隈町立山南小学校横倉分校 | 中山南 | 1967年(昭和42年)廃校。 |
沼隈町立山南小学校菅田分校 | 上山南 | 1990年(平成2年)廃校。 | |
深安郡加茂町 (1955〜1975) | — | — | |
深安郡神辺町 (1929〜2006) | 神辺町立中条小学校三谷分校 | 三谷 | 2003年(平成15年)休校。 ※休校状態は福山市編入後も継続中。 |
注10:1966年(昭和41年)5月1日に福山・松永両市が統合して改めて福山市が発足してから現在までの間に福山市によって設置された小学校・中学校は下表の通りである。
※学校名からは「福山市立」を、所在地からは「福山市」をそれぞれ省いている。
※入学試験が必要な学校は含めていない。
※福山市が1974〜2006年(昭和49年〜平成18年)に編入した自治体が児童数または生徒数の増加対策で開校させ、後に福山市立の学校になったところは福山市が設置したわけではないので下表には記していない(該当するのは福山市立神辺東中学校〔福山市神辺町下竹田〕と福山市立神辺西中学校〔福山市神辺町川北〕の2校。福山市立神辺東中学校は1980年〔昭和55年〕に、福山市立神辺西中学校は1984年〔昭和59年〕にそれぞれ深安郡神辺町〔1929〜2006〕によって設置された)。
年 | 小学校及び所在地 | 中学校及び所在地 | 備考 |
---|---|---|---|
1969年 (昭和44年) | 伊勢丘(伊勢丘五丁目) | ||
1970年 (昭和45年) | 曙(曙町五丁目) | ||
1972年 (昭和47年) | 多治米(多治米町五丁目) | ||
1974年 (昭和49年) | 旭丘(引野町南二丁目) | 中央(西深津町五丁目) | |
1975年 (昭和50年) | 桜丘(北吉津町五丁目) | ||
1976年 (昭和51年) | 緑丘(春日町五丁目) | ||
1977年 (昭和52年) | 駅家東(駅家町法成寺) 長浜(引野町) | 誠之(新涯町六丁目) | |
1979年 (昭和54年) | 西深津(西深津町五丁目) 野々浜(大門町七丁目) 幕山(幕山台二丁目) | ||
1980年 (昭和55年) | 新涯(新涯町三丁目) 久松台(久松台一丁目) | 城西(山手町) 大門(城興ヶ丘) | |
1981年 (昭和56年) | 日吉台(日吉台一丁目) 山手(山手町一丁目) | ||
1982年 (昭和57年) | 川口東(東川口町五丁目) | ||
1984年 (昭和59年) | 駅家西(駅家町近田) | 一ツ橋(東手城町一丁目) | |
1987年 (昭和62年) | 東朋(幕山台七丁目) | ||
1988年 (昭和63年) | 駅家南(駅家町江良) | ||
1989年 (平成元年) | 大谷台(大門町大門) | ||
1997年 (平成9年) | 明王台(明王台一丁目) |
注11:福山市立幼稚園は30箇所あるが、2014年度(平成26年度)に休園している幼稚園は半数以上の16箇所に及んでいる。
2004年(平成16年)から休園している福山市立桜丘幼稚園(福山市奈良津町一丁目)
注12: 広島県公式サイト によると福山市の市立小学校・中学校の耐震化率は2014年(平成26年)4月1日現在56.0%(=220/393)となっており、広島県の市町では山県郡安芸太田町に次いで低い。福山市によると市立小学校・中学校の耐震化が完了するのは2020年度(平成32年度)になるとのことであるが、福山市では兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災。1995年〔平成7年〕1月17日)や鳥取県西部地震(2000年〔平成12年〕10月6日)、芸予地震(2001年〔平成13年〕3月24日)などで大きな揺れを観測したことを考えると危機感が薄いのでは…と考えたくなる(財政事情もあるのだろうが…)。
注13:決して児童または生徒と教職員にとって好ましい結果をもたらさなかったと思っていることは次の通りである。
・クラスの在籍者数が40人を超えたため教職員の苦労が増大した。
・クラス数削減について知らないところで決定がなされ、なおかつ説明もないまま強行したため学校に対する不信感が生じた。
・40人学級が推進されていた時期なのにクラス数削減で40人以上の学級ばかりになったためなぜ従わないのだろうかという思いが生じた。
・女性教諭の中に1〜2年で退職する方が少なくなかった(結婚して他地域に移住することが理由だと言っていたが…)。
・自分の出身中学校の養護教諭は自分の出身中学校で10年間勤めた後若くして退職した(育児と仕事の両立が困難になったことが退職理由らしいが両立できている女性教諭は多数いることを思うと何かあったのだろうと勘繰りたくなる)。
・病気で休職する教職員が少なくなかった(中には復帰できないまま退職した方もいる)。
・たった1年で他校に転勤した教職員がいた。
注14:私の友人の中島孝祐(なかしま・こうすけ)さんが運営しているサイト「 下関市立大学・大学祭実行委員会事務局OB会公式サイト 」では下関市の人口の変遷や中国地方人口上位5都市の変遷を紹介したページ(それは こちら )を設置している。興味のある方はご覧頂きたい。
注15:最初の答申公表後廃校または休校の憂き目に遭った下関市立の小学校・中学校は下表の通りである。
学校名 | 所在地 | 状況 |
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下関市立三豊小学校 | 豊田町地吉 | 2008年(平成20年)に休校する。 |
下関市立二見小学校 | 豊北町北宇賀 | 2011年(平成23年)に休校する。 |
下関市立豊田西中学校 | 豊田町浮石 | 2012年(平成24年)に下関市立豊田東中学校と統合したため廃校になる。 |
下関市立豊田東中学校 | 豊田町矢田 | 2012年(平成24年)に下関市立豊田西中学校と統合したため廃校になる。但し跡地は下関市立豊田中学校(下関市豊田町矢田)として使用されている。 |
下関市立田耕小学校 | 豊北町田耕 | 2015年(平成27年)に下関市立滝部小学校(下関市豊北町滝部)と統合するため廃校になる予定。 |
注16:この他に2009年(平成21年)に市長が交代したことも理由として挙げられる。しかし、下関市は昨年6月、再び市立小学校・中学校の適正規模・適正配置に関する答申を公表した(それは こちら )。今後どのようになっていくのか予断を許さない状況にある。
注17:国際児童年を記念して1979年(昭和54年)に始まった大会で、今年で第37回になる。原則として福山市内の小学校区ごとにチームを結成し、男子児童はソフトボールの試合を、女子児童はフットベースボールの試合をそれぞれ行う。
注18:岡山県英田郡西粟倉村坂根〜鳥取県八頭郡智頭町駒帰間を指す。この間にある国道373号線志戸坂トンネルには歩道が設置されている。志戸坂トンネルを自動車専用道路に転用するには旧志戸坂トンネル(1981年〔昭和56年〕閉鎖)を改修し、最低限自転車や歩行者が通れるようにすることが必要なのだが、費用対効果が見込めないことや旧志戸坂トンネルが老朽化していることなどから実現の見通しは立っていない。
注19:中国横断自動車道姫路・鳥取線は京阪神地方と鳥取市を直結するのに、中国横断自動車道尾道・松江線は広島市と松江市・出雲市を直結するのにいずれも必要不可欠な存在であった。それに対し中国横断自動車道岡山・米子線は京阪神地方と米子・松江・出雲各市を直結する役割は米子インターチェンジで終わりになるため交通量が少なくなる米子インターチェンジ〜米子北インターチェンジ間の建設は後回しにされたのではないのだろうか。
注20:平成の大合併では境港市民が米子市との合併を求める署名活動を行ったが、住民投票の結果賛成が半数を下回ったため合併協議会設置には至らなかった。米子市中心部と境港市中心部の間はかなり離れていることや市街地が繋がっていないこと、都市の成り立ちが異なること、合併で発足する都市の中心部は米子市中心部になるため境港市域は市域の端になり、冷遇される恐れが高いこと、境港市民のプライドが高いことなどが合併に至らなかった理由として考えられる。
注21:ここでは空港のターミナルビルのある場所を記している。
注22:中国地方にある空港(離島にある隠岐空港を除く)の高速道路のインターチェンジからの直線距離は下表の通りである。
※空港の所在地は空港のターミナルビルのある場所を記している。
※インターチェンジ(中心)〜空港(ターミナルビル)間の距離は地図サイト「 MapionBB 」のキョリ測を用いて測ったものである。
県名 | 空港名/所在地 | 最寄りのインターチェンジ/ 所在地 | 直線距離 (単位:km) | 備考 |
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鳥取県 | 鳥取空港 (鳥取市湖山町西四丁目) | 山陰自動車道 鳥取西インターチェンジ (鳥取市嶋) | 4.3 | 鳥取空港の愛称は鳥取砂丘コナン空港。 山陰自動車道鳥取西インターチェンジの仮称は鳥取空港インターチェンジだった。 |
米子空港 (境港市佐斐神町) | 山陰自動車道 米子西インターチェンジ (米子市陰田町) | 12.6 | 米子空港の愛称は米子鬼太郎空港。 | |
島根県 | 出雲空港 (出雲市斐川町沖洲) | 山陰自動車道 宍道インターチェンジ (松江市宍道町佐々布) | 2.7 | 出雲空港の愛称は出雲縁結び空港。 |
石見空港 (益田市内田町) | 山陰自動車道 萩・石見空港インターチェンジ (益田市飯田町) | 1.5 | 石見空港の愛称は萩・石見空港。 | |
岡山県 | 岡山空港 (岡山市北区日応寺) | 山陽自動車道 岡山インターチェンジ (岡山市北区富原) | 7.2 | |
広島県 | 広島空港 (三原市本郷町善入寺) | 山陽自動車道 本郷インターチェンジ (三原市本郷町船木) | 3.5 | 本郷インターチェンジは福山市方面からの最寄インターチェンジ。 河内インターチェンジは広島市方面からの最寄インターチェンジ。 |
山陽自動車道 河内インターチェンジ (東広島市河内町入野) | 4.5 | |||
山口県 | 山口宇部空港 (宇部市沖宇部) | 山口・宇部道路 (山口県道6号山口・宇部線) 宇部南インターチェンジ (宇部市西岐波) | 1.8 | 山口・宇部道路は宇部東インターチェンジ(宇部市東岐波)〜宇部南インターチェンジ間は自動車専用道路に指定されていない。 自動車専用道路としての最寄インターチェンジは山口・宇部道路宇部東インターチェンジとなり、直線距離は7.1kmとなる。更に国土開発幹線自動車道としての最寄インターチェンジは山陽自動車道宇部ジャンクション(宇部市東岐波)となり、直線距離は7.9kmとなる(山陽自動車道宇部ジャンクションでは山口・宇部道路と接続しているため)。 |
岩国空港 (岩国市旭町三丁目) | 山陽自動車道 岩国インターチェンジ (岩国市多田) | 6.6 | 岩国空港の愛称は岩国錦帯橋空港。 |
注23:現実に日本海を震源とする地震の津波が来襲したことがある。それは日本海中部地震(1983年〔昭和58年〕5月26日)である。
注24:国道9号線北条バイパスを指す。区間としてははわいインターチェンジ(鳥取県東伯郡湯梨浜町はわい長瀬)〜大栄東伯インターチェンジ(鳥取県東伯郡琴浦町槻下)間となる。
注25:鳥取西インターチェンジ(鳥取市嶋)〜青谷インターチェンジ間とはわいインターチェンジ〜大栄東伯インターチェンジ間を指す。
注26:厳密には鳥取市気高町八束水(やつかみ)以西である(鳥取市気高町八束水〜青谷インターチェンジ間は一般道路)。
注27:広島市安佐南区にはNHKラジオ第一・ラジオ第二の送信所が西原四丁目に、広島エフエム放送の佐東中継局が緑井町の権現山(標高:396.8m)にそれぞれ設置されている。なお、FMハムスターは広島市中心部でも十分受信可能である。
注28:ならばなぜ同じ状況にあった五日市コミュニティ放送が再興できずに廃業に追い込まれたのかという話になるのだが、私は強力な後ろ盾がなかったことも一因だったのではないかと思っている。広島市内にあるコミュニティ放送局は中国コミュニケーションネットワークが中国新聞社(広島市中区土橋町)、FMハムスターが広島経済大学という後ろ盾を持っているのだが、五日市コミュニティ放送にはそういうものが見当たらない。
※五日市コミュニティ放送が再興できずに廃業に追い込まれた要因としては次のようなことも挙げられる。
・広島市佐伯区五日市地区、すなわちかつての佐伯郡五日市町(1911〜1985)には財政事情を潤沢にさせるような有力な企業がなかったこと(このことが人口が5万人を超えても市制施行に踏み切れず、結局広島市への編入を選択した一因になった)。
・広島市佐伯区五日市地区は西隣の廿日市市ほど中枢性が高くなかったこと。
・広島市のベッドタウンとして人口が急増したために昔からの住民が少なくなってしまったこと。
・昔からの住民が少なくなってしまったために地元意識が薄れてしまったこと。
・本社・演奏所を中心部ではなく郊外の遊興施設(ミスズガーデン〔広島市佐伯区皆賀四丁目〕)の中に設置したために近寄りやすさや親しみやすさが育まれなかったこと。
・隣接する広島市西区や廿日市市を考慮に入れなかったこと。
・対抗局(NHK広島放送局・中国放送ラジオ・広島エフエム放送・中国コミュニケーションネットワーク)から乗り換える人があまりいなかったこと。
・対抗局との競争に勝ち、地域住民に親しまれる放送局を目指そうとするあまり身の丈に合わない放送体制をとったこと(終夜放送の実施や自社制作番組の大量設定など)。
・自社制作番組の大量打ち切りなど合理化に乗り出したのがあまりにも遅すぎたこと。
・放送を休止した頃に廿日市市でコミュニティ放送局(エフエムはつかいち〔廿日市市住吉一丁目〕)が開局したこと。
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