このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

旅の記録

太宰府天満宮合格祈願の旅  1990年夏   8月6日〜8月9日

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 1990年の夏休み、大学受験を控えた中学からの友人N氏と太宰府天満宮合格祈願の旅をすることになりました。ただ真っ直ぐ行くにはつまらないので寄り道をして行くことにしました。青春18切符で普通列車を乗り継ぎ帰りは九州から寝台列車の予定で出発しました。旅の始まりはおなじみの大垣行きの夜行。この時は臨時便に乗車しました。車両は新前橋区の165系6両編成(3+3)。岐阜で高山本線に乗り換え美濃太田へ。(もしかしたら中央、太多経由だったかも)ここから初乗りの長良川鉄道に乗車し終点北濃へ。そしてこの先は国鉄未成線区間を行くバスに乗り変え九頭竜湖へ移動しました。バス区間は急坂があり工事をしていたら難航したと思われますね。九頭竜湖からは越美北線に乗り時間があったので越前大野で途中下車し名水御清水へ小観光しました。夏の暑い日だったので水が大変旨かったのを憶えています。その後、福井に出て北陸本線、湖西線経由で京都に移動しました。ここからはN氏が指定券をとってくれた「ムーンライト九州」に乗り換えて一晩過ごすことになりました。このころは指定券といえばN氏がかなりおさえてくれていました。「ムーンライト九州」は14系座席車でした。残念ながら当時の写真はありません。

 

 

北濃駅

九頭竜湖駅

名水御清水

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  「ムーンライト九州」で一夜を明かし博多へ到着。太宰府へは西鉄で行く方がよかったかもしれませんが、時間もまだ早いということもありとりあえず博多南線を乗りつぶすことにしました。車両はこのころは珍しくも何ともない新幹線0系6両編成。当然写真はありません。博多から数分で博多南へ到着すると地理的に博多南駅から太宰府は近いことがわかりタクシーで移動することに。太宰府天満宮に到着するとまずは合格祈願。その後はすぐに西鉄で途中乗り継ぎしながら西鉄小郡へ。ここからは未乗であった甘木鉄道に乗車しました。確か国鉄時代には乗り換え駅がなかった様な気がします。甘木鉄道で甘木へ、折り返して今度は鹿児島本線接続の基山まで移動しました。帰りは小倉から「富士」に乗車予定でしたがまだ時間があるのでスタンプ収集をすることにし、小倉とは反対方向の熊本方面に向かいました。結局、熊本県に入ってからすぐの長洲駅まで行きました。長洲からは一気に小倉まで移動し小倉駅で「富士」を待ちました。それでもまだ時間が少しあったので森鴎外の家を見に行きました。小倉からはN氏がとってくれた「富士」のB寝台ソロで東京まで帰りました。Bソロに乗るのは初めてでわくわくしたのを今でも憶えております。そして気になる合格祈願にいった受験の結果は、二人とも不合格で翌年浪人生になることになってしまいました。

 

太宰府天満宮

森鴎外旧居

富士車内

 

        

                                                                                                                                                        

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