Someday Somewhere
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

86.7 北海道旅行




     ———いつかどこかできっと、
         誰かが君を待っている。



●28.また会う日まで 【16〜17日目】 

 我々は銭函から、再び札幌にあるIBAの下宿へと戻った。別れの時が、 確実に迫っていた。この長い北海道旅行との別れ。再会を果たしたIBA との、しばしの別れ。そして何度となく僕の体を休めてくれたIBAの 下宿、「安楽荘」との別れ。

 我々は帰りの荷物をまとめた。“我々”…そう、たくやもまた、夏の 航空部の合宿を終え、我々との道東・道北の旅を終えて、僕と共に神戸 へと帰るのだ。僕の北海道から神戸までの帰り道には、たくやが同行する のだ。

 安楽荘にさよならを告げて、3人で札幌駅へと向かった。名残り惜しい 北海道にもさよならを告げる時がやってきた。僕とたくやは、函館行き 特急「北斗」に乗り込んだ。やがて発車のベルが鳴り、列車はディーゼル のエンジン音を上げながら、静かに動き始めた。手を振るIBAが少し ずつ後ろに遠ざかり、そして見えなくなった。事実上、僕の北海道の旅は、 ここで終わっていた。あとはたくやと一緒に、「北斗」から青函連絡船、 そして青森発大阪行きの特急「白鳥」と乗り継いで、神戸へと帰っていく だけだった。

 帰路の列車のなかで、僕は今回の17日間にわたる旅程をひとつひとつ 振り返っていた。7月18日午後5時、1日目に神戸を出発してから、 2日目・3日目は仙台に寄ってマコちゃんの下宿を訪れ、再会を懐かしみ、 寮の賑やかなムードに触れた。4日目に北海道にたどり着き、大沼公園の 静かな、1枚の大画のような湖畔美を鑑賞し、広大な谷地頭温泉の湯船に 身を沈め、函館山の見事な夜景を壮大な気分で眺め降ろした。5日目は 石炭線のひとつ、歌志内線に乗り、大雪山・黒岳の万年雪と高山植物が 広がる楽園に登りつめた。

 6日目は、あの夕張だ。僕にとっての最後の旧型客車列車、三菱石炭 鉱業線の乗車。あの瞬間だけ、僕はタイムマシンで、ノスタルジック・ ワールドへと旅立っていた。一枚の定期券が、限りないファンタジックな 世界へと僕を導いていった。あの日の体験を、僕は一生忘れることは ないだろう。

 7日目は根室まで行き、北方資料館を訪れ、広尾線では学生運動おじさん に出会った。8日目、二度と列車が来ることのない十勝三股で北海道の ローカル線の悲哀を味わい、特急「オホーツク」で在来線最後の食堂車 の食事を味わった。9日目は車窓の眺めが素晴らしかった湧網線に乗り、 阿寒湖を訪れた。

 10日目、11日目は札幌滞在だ。IBA、たくやと共に、北大のポプラ 並木、時計台、大通公園、夜のすすきの、大倉山と、サッポロを満喫した。

 12日目は知床めぐりだ。カムイワッカの露天風呂は、本当に 格別な気分だった。知床五湖も、海から見た知床半島も、国後を遥かに 望む知床峠も、実に見事だった。13日目にたくやが見たという熊は、今も 知床の樹海のなかを、悠々と闊歩しているのだろうか。13日目といえば、 標津線の壮大な車窓は実に印象的だった。あの日本離れした風景を、もう 列車から見ることが出来ないのは残念だが…。

 14日目は、今度は道北に渡って宗谷本線だ。サロベツ原野を過ぎ、稚内 を目前にしたところで見えた、クマザサが生い茂る原野は、もう日本では なかった。そして宗谷岬と、のどかに草を噛んでいた日本最北馬…。15日目 は、急行「天北」での“シベリア鉄道の旅”。天北線の果てしない針葉樹海 、音威子府の日本一の駅そば、そして「天北」の、(恐らく、僕の鉄道旅行 史の最後となるであろう)客車急行への乗車。16日目は、銭函海岸での “冷水浴”。あの冷ややかな海水は、北海道が僕に投げかけてきた、最後の “北のあかし”だったのだろうか。

 そして、ふと気がつけば、旅はすでに、最終日の17日目を迎えていた。 日付にして、1986年8月3日。僕とたくやはすでに、特急「北斗」から 満員の青函連絡船に乗って短い一夜の仮眠をとり、青森から特急「白鳥」に 乗り換えて、大阪への長い長い道のりを突き進んでいるところだった。北海道 はすでに、僕の足元から去っていた。すべては過去となり、思い出に変わって いた。

 13時間以上におよぶ「白鳥」の車内で、僕は少しずつ、「旅モード」 から「日常モード」を取り戻しつつあった。列車は湖西線を走っていた。 滋賀県。僕はもうすでに、近畿圏へと戻ってきたのだ。車窓には、瓦屋根の 家が建ち並んでいた。その風景に、僕は強い違和感を覚えた。17日間に わたって僕が見てきた北海道の風景とは、明らかに異質だった。それらは もう、明るい色の鋭角な屋根に、必ずひとつ煙突がついていた北海道の 住宅ではなかった。それは僕が20年間にわたって見てきた、ごく当たり前の …普通の住宅群だった。なのに今は、こんなにも違和感を覚えるなんて…。 所狭しと並ぶ街の風景が、こんなにも窮屈に思われるなんて。こんなにも 街の風景が、くすんだ色に思われるなんて。

 僕はもう一度、北海道の大自然に思いをはせていた。広々とした札幌の 街の風景を、思い返していた。風のように通り抜けた17日間の記憶を 確かめつつ、僕は住み慣れた街の風景に目をやった。

 夜になった神戸の街は、何ひとつ変わることなく、いつものように 佇んでいた。


−完−



あとがきに代えて・・・北海道とチューリップ

 1999年7月に実家に帰ったとき、本棚から昔のノートを見つけたのが きっかけでした。
 そこには、学生時代に私が鉄道旅行に出かけたとき書いた 旅行記が、びっしりと残されていたのです。もう10年ぶりくらいに開いた そのノートたちは、30代も半ばに差しかかってきた私に、何かを強く訴え かけていました。
 高校、大学時代に書いた旅行記ですから、その稚拙な ことといったら、読み返した私は、内容よりもまずその文章の下手さに、ただ赤面するばかり でした。
 そのなかの一つが、この「86.7 北海道旅行」記でした。 大学1年の夏、16泊17日という長い旅にでたときの それは大学時代に書いたものでしたから、他の旅行記に比べれば、多少は我慢 しながら読めるレベルの文章にはなっていました。
 当時を懐かしみながら 読んで行くうちに、「こういう旅行記も、書いておくものだなあ」とつくづく思ったものです。 もうすっかり忘れてしまっていた出来事まで、こと細かに残されており、 こうして読むことで記憶の鎖が突然つながり、13年も前のことが鮮やかに よみがえって来たからです。

 ところで、その文章は12日目の途中まで 書かれて、突然未完のまま終わっていました。あまりに詳細に旅行記を書き 綴っていた当時の私は、17分の12まで終えたところで、力尽きていたのでした。
 最後の一文字を読んだ瞬間、色あせたノートは、私に強く訴えかけてきました。 「ここまで書いてきて、なぜやめた。続きを書くんだ。書かれずに残された 5日間を、いま取り戻すんだ。」 私にはノートがそう言っているように思えました。
 私は2000年に入ってから、残りの旅行記の作成に取りかかりました。会社勤めの 毎日、1日でそんなにたくさんは書けません。少しずつ、本当に少しずつ、私は 「失われた5日間」を取り戻す作業を続けました。
 とはいえ、なにせ14年前 のことです。正直いって、その日何をしていたのか、どんな話をして何を 食べたのか、記憶を取り戻すのは極めて困難な仕事でした。懸命に当時を 振り返り、すでに書き終えた部分を何度も読み返しているうちに、私の中で 再び、北海道への深い憧憬が目を醒ましはじめていました。
 そう、当時の私も、 北海道にたいして強い思い入れを込めていました。「大学に入ったら、その年の 夏休みに北海道へ行こう。」そう思い立ったのは、私が大学入学を果たす何年も 何年も前のことでした。いつの間にか北海道は、私の心の中で、遠い遠い憧れ となり、いつか必ず訪れることを夢見つづけた、「約束の地」となって いたのでした。

 そんな北海道への思い入れが復活するとともに、もうひとつ の「思い入れ」もよみがえってきました。14年前、私が北海道に出掛けたころ よく聴いていた「チューリップ」です。
 旅行記の続きを書いているうちに、 知らず知らず、頭の中には当時聴いていたチューリップの曲が流れていました。 彼らのサウンドはどこか、北海道の素朴な原野に相通じるものが ありました。気がつくと、ペンを走らせる私の頭の中には、チューリップの 「丘に吹く風」だとか「人生ゲーム」だとか「光の輪」だとかがBGMとなって 流れていました。

 17日ぶんの旅行記が完成したいま、私にとって、旅行記は かけがえのない宝物になりました。14年も前の旅行記を今ごろ完成させる 人間など、恐らく私くらいなものでしょう。同時に、14年も前の曲に再び 聞き入る人間も、私くらいだろう…と思っていたら、実はそうではなかった のです。
 それは私がインターネットをやるようになって、初めて知った ことでした。もうとっくにみんなが忘れてしまった、と思っていたチューリップ のファンの、なんと多いことか。チューリップ関連のホームページの、なんと 多いことか。彼らは今なお、チューリップを愛し続け、今なお、チューリップ についてリアルタイムで語り合っているのです。
 旅行にしろ歌にしろ、 時がたてば色褪せてしまうものだと、つい最近まで私は思っていました。 しかし、ほんのわずか、頭のスイッチを切りかえるだけで、思い出は褪せない ものなんですね。歌は古びないものなんですね。

 また私のなかでよみがえってきた 北海道とチューリップ。北海道については、今我が家でひとつのプロジェクトが、 静かに進行中です。それは「家族揃っての北海道の旅」。子供たちが 大きくなり、旅行を楽しめる年齢になったら、みんなで北海道に行こう、という 気の長い計画です。チューリップの方は、たくさんあるTULIPサイトを訪れると いつでも、チューリップを楽しむことができます。

 またひとつ、インターネット を楽しむ方法を見つけたように感じる、今日この頃です。




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