スイス鉄道旅行
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
1988年夏 スイス鉄道旅行
●8月2日【8日目】 TGVでパリへ
いよいよスイス鉄道の旅も最終日を迎えました。
この日はツェルマットからフランス・パリへの大移動。一日列車に乗り ずめとなるのです。山形先生とサダと私の3人で、まずはツェルマットから 一路、目指すはジュネーブ。もうすっかりスイスでお馴染みになった山々と 湖と小さな町を車窓に従えて、列車は徐々に開けた町なかへと走ってゆきます。 とはいえ、その車窓は東海道新幹線のようなゴミゴミとしたものでは決して ありません。スイスはどこも緑と山々の豊かな町並みで、見る者の心を 落ち着かせてくれます。少し大きな集落があると、その町の中心部には必ず 教会の十字架が町のシンボルのように突き出している。キリスト教国の欧州 ならではです。
長い時間をかけて、ようやく昼にジュネーブへ到着。駅のホールで、 スイスに入り各々離散していたツアー・グループが、また集合したわけです。 早速みんなの顔を懐かしみ、8日間の旅の様子を語り合いました。
ここで旅は「個人編・鉄道の旅」を終え、また団体ツアー・グループへと 戻りゆくわけです。ただ、鉄道の旅はまだ終わっていません。ここジュネーブ からフランス・パリまで、フランスの新幹線として有名なTGVに乗車し、 移動するわけです。
TGV乗車の前に、ジュネーブの現地係員がみんなを集め、チケットを渡す とともに簡単な説明。
「ところで、パリ→コロンボの航空移動の際ですが、この中で一人、 オーバーブッキングが出てしまいました」と係員。
「えーっ、誰ですか?」
「パパガーさんです。」
「え、オレ?」
そう、私はオーバーブッキングに遭い、予定していた便からはじき出されて しまったのです。
「詳細はパリの係員にお問い合わせいただかないと分かりませんが、 オーバーブッキングは国際的に認められており、合法です。従って航空会社 に罪はなく、我々としてもどうすることもできません」と係員。
このままでは、私だけパリにもう1日延期滞在せざるを得ず、以後の行程では みんなと離れ離れになってしまうとか。
ツアー仲間もにわかにざわめき始めました。
「えーっ、どうなるの?パパガーさん」
「ずっと一緒だったのに、最後で離れ離れなんて嫌だね」
「何とかならない?寂しいよ、これじゃ」
みんな口々にそう言ってくれました。私は元々ひとり旅はお手のものなので 、さほど心配はしていませんでしたが、私とてせっかく知り合ったみんなと 離れるのは惜しい気持ちでした。
「まあ、詳しくはパリに着いてからやな。それまでは、TGVの乗り心地を 楽しみましょうよ」
私はそう言って陽気にふるまいました。実際、TGVへの乗車は私も楽しみに していました。
そのTGVに乗り込む時間がやってきました。まずは駅の改札で出入国 手続きを終え、ホームへ。TGVの車両は以外にこじんまりした車体で、 ホームに佇んでいました。早速ホームでみんな揃って記念撮影。
TGVの車内は小さく、思っていたよりもチャチな感じでした。シートも 高級感はなく、まるでファミレスの店内のようです。ヨーロッパとて、 近代化が究極まで来てしまうと、こうなっちゃうのでしょうか。
やがて列車は静かにジュネーブのホームを離れ、パリへ向けて走り出しました。 日本の新幹線とは違って、平地の在来線と同じレールを走りゆきます。 新幹線に乗ったことがある我々としては、さほどのスピード感は感じられず、 列車は淡々とのどかな農村風景のなかを進んでゆきます。
小休憩を兼ねて、みんなでビュフェへ散歩に出かけました。TGVには 食堂車はなく、ビュフェがあるだけ。そのビュフェもキヨスクの延長の ようなものに過ぎず、あまりゆっくりとくつろげる場所ではないようです。
早々にビュフェを退散し、座席へと戻りました。もう国境を超え、我々は フランスへと入っていました。フランスはパリの印象が強いのですが、 実際には欧州を代表する農業国。車窓も殆どは、のどかな田園風景が 広がっていました。やっとちらほらと都会らしい建物が見られるようになり、 列車は終着駅・パリへと入ってきたのです。
パリの終着駅はいかにもヨーロッパの鉄道といった感じの、風格のある堂々とした 駅でした。鉄道の旅と山登りに明け暮れたスイスでの8日間が終わり、心地よい 疲労と、オーバーブッキングの事態を迎えた一抹の不安とで、私は心身ともに ざわついていました。
「まあ、なるようになるさ。これまでも何とかなってきたようにな」
私は自分にそう言いました。そう考えると、どんなトラブルも楽しい出来事 のように思えてきました。 Pay forward — 。前向きに思考を巡らせれば どんな事だって貴重な思い出になるはずです。
スイスでの8日間の思い出を振り返りながら、私は大都会・パリの街並を 眺めました。そしてこれから眼前に繰り広げられようとするパリでの 出来事に期待を膨らませつつ、駅を降りていきました。
−完−
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