このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
左上 右上 左下 昭和43年8月 東京都港湾局晴海臨港線 D35 国鉄の越中島貨物駅から豊洲ならびに晴海に向けて都営
の臨海鉄道貨物線があった。青地に白色の帯を巻いたDD13なども見られたが平成元年2月に廃止。
この場所は春海橋脇にある太平洋セメントの隣の操車場と記憶する。ゴジラ映画で、東京湾から上陸する際
にこのヤードにあった貨車をなぎ倒した所。
銀座8丁目に残る踏切跡
汐留貨物駅と東京中央卸売築地市場を結ぶ貨物引込み線の浜離宮踏切跡
新大橋通りの青果門前にも踏切があったが、昭和62年1月に廃止。
平成18年9月現在の高島貨物線からの引込み線跡 左上 東神奈川三井倉庫前 中 瑞穂町米軍施設引込み線
右上 東高島貨物駅前の引込み線橋梁跡 いずれも使用されておらず、人知れずに消えていく運命にある
昭和53年9月18日 北恵那鉄道
昭和53年9月18日 北恵那鉄道 中津町駅
木曽の中津町〜下付知まで走っていた北恵那
鉄道がこの日をもって廃止
国鉄中津川駅前にレトロな中津町駅があった
下 昭和53年9月18日 北恵那鉄道
右 昭和53年9月 北恵那鉄道を撮りにいった
時に見つけた「王滝森林鉄道」の保存車両
昭和53年9月18日 北恵那鉄道
スーパーVIVAホーム裏の歩道にあった線路 朝凪橋跡の橋台 かもめ橋脇には何故かしら線路が
後世のために説明板くらい設置して欲しい 昔のまま10mほど残っている
右上の線路傍には踏切信号の管制機器 塩浜1丁目のマンション裏のヤード跡 JR越中島貨物駅の端に残る晴海臨海
が残っている 鉄道への連絡線跡
地下鉄の踏切では東京メトロ銀座線上野検車区が有名だが、かつては都営地下鉄浅草線にも西馬込駅から手前の地上の馬込
工場に行く引込み線に3つの踏切があったが、平成16年6月には西馬込駅の奥に馬込車両検収場が完成し、馬込工場は廃止と
なった。平成18年10月には引込み線の撤去作業が始まり、近いうちに工場も解体され、数年中には商業・住宅施設として開発さ
れる予定と聞く。
平成18年10月 地上への出口 西馬込駅から最初の踏切 線路・架線の撤去作業が行われている
工場から地上への出口方面を望む 左脇は留置線 馬込工場内の引込み線 奥の白い建物が工場
西馬込駅から3番目の踏切 右の蔦が絡まる建物が事務棟
西馬込駅から3番目の踏切 工場全景 蔦が絡まる転轍機
岩手県八幡平に、昭和47年まで松尾鉱業鉄道(一般的には松尾鉱山鉄道)があった。松尾鉱山は硫黄や硫化鉄の鉱石の産出で有名で、鉱山のある東八幡平駅(元:屋敷台駅)から国鉄花輪線の大更駅までの12.2kmの貨客輸送を担っていたが、松尾鉱山の閉山の後に昭和47年10月9日に全線廃止となった鉄道である。
残念ながら営業時の写真では無いが、廃止から6年ほど経った昭和53年6月に八幡平をドライブしていたら、偶然松尾鉱業鉄道の廃車群を見つける。その場所は元の東八幡平駅構内と推定され、凸形電気機関車や無蓋貨車・客車や外された架線柱等が線路上に残されていた。
昭和53年6月
松尾鉱業鉄道
元:東八幡平駅構内
ED251 ?
ナンバープレートが取り外されており、僚機ED252の可能性も有り
松尾鉱業鉄道にはED251・ED252の他に箱形の電機ED501とED502が在籍していたが、廃止と同時に秩父鉄道に引き取られ、現在もデキ107とデキ108として健在である
また、このブルー地に白ヒゲの塗装方法は臨海鉄道に多いパターンであるが、そのまま秩父鉄道の電機に引き継がれている
ED251は東八幡平駅跡付近の松尾村歴史民族資料館に保存展示されている。また、後ろに写っているスハフ7等も近所に残っているとか。機会を作って是非再会したいものである。
ところで、保存されているED251であるが廃止から保存までの流浪について、謎がある。仮説が
website 61℃
に載っているので興味がある方はご覧ください。なお、本件について当時の事情をお知りの方は是非管理人までメール頂ければ幸いです。
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