旧富山停車場(初代富山駅) 開業後に決定した新(現)富山駅までのルートです
「煉瓦製基礎」と「第一牛島架道橋跡」だけが旧線跡と言えるかも・・・ |
富山市郷土博物館
の博物館だより
平成10年発行 「第26号 富山市の鉄道100年その1」・「第27号 富山市の鉄道100年その2 富山駅開業」 に
新富山駅に関しての色々な資料があります
一読を進めます |
※ 航空写真は国土地理院のHPよりダウンロードしました ※ |
赤枠画像をクリックすると画像が切り替わります |
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呉羽駅 |
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分岐点
北陸新幹線 新呉羽トンネル 新高岡側 付近
トンネル出口の右下辺りが分岐点 右奥の建物はテニスコート |
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左上は北陸新幹線 新呉羽トンネル先 新高岡側 右奥のテニスコートを過ぎた辺りから元線は分岐していた |
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呉羽トンネル手前の新下り線は複線化時に掘り込まれた ”残土の一部は元線へ捨てられた” と思う |
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| 赤線:1899年(明治32年)3月20日に田刈屋に仮開業した
「旧富山停車場」へ向かう赤色の元線
黒線:1908年(明治41年)11月16日に呉羽トンネルから
魚津駅まで開業した黒色の新線
黄線:1960年(昭和35年)5月31日に呉羽駅〜富山駅間が
複線化時に腹付された黄色の新下り線 |
新(現)富山駅の場所が決まった事で延伸工事が始まるが、延伸先の途中には旧富山停車場がある
流石に営業中の駅のど真ん中・線路に交差させるように新線を引くことができなかった
旧富山停車場のホームを避けるために新線は呉羽トンネルの手前で右にカーブさせ、少し南を回らせた |
| 1908年(明治41年)秋頃、工事中の写真
左:旧富山停車場へ向かう元線
よく見ると列車が近づいてきている
右:11月16日に開通の新線と呉羽トンネル |
呉羽トンネル |
呉羽側 | |
| 単線トンネル2本を並べて掘削
右:明治41年に開通した新線
旧富山停車場(初代富山駅)開通後に新線(現上り線)部分を
掘り込んで呉羽トンネルを開通させた
左:昭和35年に開通した新下り線
終戦後の複線化時に新下り線部分を新たに掘り込んで呉羽
トンネルを開通させた
上下線で坑門が前後にずれているのは
煉瓦製の新線の坑門をコンクリートで補強しているからか |
| 富山側 |
桜が咲く呉羽山の下に少し離してトンネルを掘削 | |
| 左:北陸新幹線
中:明治41年に開通した新線
右:昭和35年に開通した新下り線 |
呉羽側の坑門は並んで掘削されているが、富山側は離れている
煉瓦巻き強度が不足しているか、山自体が緩いのか・・・ |
明治41年に開通した新線は坑門中央だけ
コンクリートで補強されている
トンネル内部の煉瓦は確認できる
手前の手すりは牛ヶ首用水橋梁 |
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牛ヶ首用水橋梁 |
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呉羽トンネル直結で牛ヶ首用水橋梁、旧四万石避溢橋と連続している |
旧四万石避溢橋 |
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手前:新線(現上り線) 奥:新下り線 |
呉羽側 橋台 | 富山側 橋台 |
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呉羽トンネル先 | |
| モノクロ写真
左上の呉羽トンネルを出た新線は、
旧富山停車場(初代富山駅)ホームの
南端を目指して一直線に伸びている
カラー写真の上から
新下り線
新線(現上り線)
工事中の北陸新幹線
南から飛越線(現:高山本線) |
煉瓦製馬渡川橋梁 |
明治41年に開通した煉瓦製橋脚に掛けられた『新下り線』 | 昭和35年に複線化時に腹付された橋脚に掛けられた『新線(現上り線)』 |
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| 写真の右端から数mのところに 煉瓦製基礎がある |
呉羽側 橋台 |
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富山側 橋台 |
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橋脚 |
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『新線(現上り線)』の馬渡川橋梁は、明治41年煉瓦製の橋台・橋脚に掛けられていると思っていたら、
昭和35年コンクリート製の橋台・橋脚に掛けられていた
『新下り線』は、明治41年煉瓦製の橋台・橋脚に掛けられている
昭和35年複線化時にカーブの外側にコンクリート製の橋台・橋脚を造り『新線(現上り線)』を移設、
『新下り線』は明治41年煉瓦製の橋台・橋脚を利用しつつ線路の曲線形状を優先してオフセットされた
位置に設置されている |
高山本線との合流点〜四方街道踏切付近 |
| 1927年(昭和2年)9月1日
飛越線(現:高山本線)の富山駅〜越中八尾駅間が開業
同時に北陸本線との合流点に田刈屋信号場を開設 |
| 煉瓦製 馬渡川橋梁は現在 新下り線で使用されている
新線(現上り線)は呉羽トンネルを出て、馬渡川橋梁付近で
新下り線を通り、神通川橋梁に向かって緩やかにカーブしていた
昭和35年、複線化時に新線を煉瓦製馬渡川橋梁の南側に
移した後に煉瓦製馬渡川橋梁を新下り線で使用した
赤線:明治41年に開業 ⇒昭和35年に移設した新線(現上り線)
黄線:昭和35年に複線化で腹付された新下り線
青線:昭和2年に開業した飛越線(現:高山本線)
緑線:この先の新線は、昭和35年から高山本線に転用されている
赤線:新線(現上り線)の動きに注目! |
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煉瓦製基礎
煉瓦製基礎は昭和2年に開設された田刈屋信号場の基礎と勝手に思う
昭和2年に飛越線(現:高山本線)が開通し、その合流点には田苅屋信号場が開設され、新(現)富山駅までは単線で使用されていた
昭和35年に北陸本線が別線で複線化されるまで使用されていたが、
今は新線(現上り線)の築堤の下に眠っている |
四方街道踏切から呉羽トンネル側を見る |
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四方街道踏切
| 赤線:明治41年に魚津駅まで開業した新線
黒線:昭和35年に複線化時に腹付された新線(現上り線)
黄線:昭和35年に複線化時に腹付された新下り線
青線:昭和2年に開業した飛越線(現:高山本線)
緑線:昭和35年に移設された飛越線(現:高山本線) |
四方街道踏切から新神通川橋梁側を見る |
明治41年に魚津駅まで開業した新線(現上り線)の先には、飛越線(現:高山本線)に転用された新神通川橋梁がある |
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地鉄 射水線跡との交差部 |
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北陸本線との交差部には何も残っていない
交差部から南側を見る | 射水線跡に家が建つ北側から交差部を見る
その北には旧線跡が延びる |
旧富山停車場(初代富山駅)付近 |
| 駒見避溢橋から四方踏切方を見る
左上:建設中の北陸新幹線
左下:明治41年に開業した新線(現:高山本線)
右:昭和35年に複線化で建設された北陸本線
北陸本線の架線柱から奥の民家辺りが
旧富山停車場(初代富山駅)のホームエンドか
北陸新幹線高架下の左手まで
旧富山停車場(初代富山駅)構内だった |
駒見避溢橋 |
| 明治41年に新線(現:高山本線)として建設された駒見避溢橋
昭和35年に北陸本線の複線化まで使用された
現在は高山本線に転用されている
奥に見えるのは複線化された北陸本線の橋梁 |
呉羽側 橋台 |
富山側 橋台 |
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明治41年に建設されて100年以上使用されてきた橋台 呉羽側だけ痛みが激しい |
新神通川橋梁 |
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| 左:昭和35年に複線化で建設された北陸本線
中:明治41年に開業した新線(現:高山本線)
右:建設中の北陸新幹線 | | 明治41年に開業した新神通川橋梁は
北陸本線と北陸新幹線に挟まれて
昔のように遠景で見ることは出来ない |
呉羽側 橋台 |
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富山側 橋台 |
| | 橋台上部 |
橋台内部の橋桁面 | |
橋脚 |
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新線(現:高山本線)と3代の橋脚 | 橋桁は連続せずに煉瓦で仕切られている |
新神通川橋梁先 |
| 新神通川橋梁を渡った先には新(現)富山駅がある
新線(現:高山本線)は真っ直ぐに富山駅に向かって行った
北陸新幹線を建設のために新富山駅は、左手(奥側)に移動した
新(現)富山駅との間に第一牛島架道橋跡がある |
第一牛島架道橋跡 |
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上には北陸新幹線が通り、今でも現役の架道橋に見える | 上部に登ると線路は剥がされている |
新(現)富山駅 |
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現在の富山駅 北陸新幹線が開業すれば取り壊されるのか | 現在の富山駅から右手に建設中の北陸新幹線 富山駅 |
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