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北陸本線 旧線
呉羽トンネル〜富山駅

探訪日2013年5月7日・2014年4月13〜14日
2014.05.31UP 2015.04.25修正
詳しくは 北陸本線 Wikipedia をご覧ください




旧富山停車場(初代富山駅) 開業後に決定した新(現)富山駅までのルートです
「煉瓦製基礎」と「第一牛島架道橋跡」だけが旧線跡と言えるかも・・・


富山市郷土博物館 の博物館だより
平成10年発行 「第26号 富山市の鉄道100年その1」・「第27号 富山市の鉄道100年その2 富山駅開業」 に
新富山駅に関しての色々な資料があります
一読を進めます


※ 航空写真は国土地理院のHPよりダウンロードしました ※

赤枠画像をクリックすると画像が切り替わります





呉羽駅


分岐点
北陸新幹線 新呉羽トンネル 新高岡側 付近
トンネル出口の右下辺りが分岐点  右奥の建物はテニスコート


 左上は北陸新幹線 新呉羽トンネル先 新高岡側  右奥のテニスコートを過ぎた辺りから元線は分岐していた
呉羽トンネル手前の新下り線は複線化時に掘り込まれた ”残土の一部は元線へ捨てられた” と思う

赤線:1899年(明治32年)3月20日に田刈屋に仮開業した
   「旧富山停車場」へ向かう赤色の元線

黒線:1908年(明治41年)11月16日に呉羽トンネルから
   魚津駅まで開業した黒色の新線
黄線:1960年(昭和35年)5月31日に呉羽駅〜富山駅間が
   複線化時に腹付された黄色の新下り線
新(現)富山駅の場所が決まった事で延伸工事が始まるが、延伸先の途中には旧富山停車場がある
流石に営業中の駅のど真ん中・線路に交差させるように新線を引くことができなかった
旧富山停車場のホームを避けるために新線は呉羽トンネルの手前で右にカーブさせ、少し南を回らせた

1908年(明治41年)秋頃、工事中の写真

左:旧富山停車場へ向かう元線
   よく見ると列車が近づいてきている
右:11月16日に開通の新線と呉羽トンネル


呉羽トンネル
呉羽側
単線トンネル2本を並べて掘削


右:明治41年に開通した新線
  旧富山停車場(初代富山駅)開通後に新線(現上り線)部分を
  掘り込んで呉羽トンネルを開通させた

左:昭和35年に開通した新下り線
  終戦後の複線化時に新下り線部分を新たに掘り込んで呉羽
  トンネルを開通させた


上下線で坑門が前後にずれているのは
煉瓦製の新線の坑門をコンクリートで補強しているからか
富山側

桜が咲く呉羽山の下に少し離してトンネルを掘削
  左:北陸新幹線
  中:明治41年に開通した新線
  右:昭和35年に開通した新下り線
呉羽側の坑門は並んで掘削されているが、富山側は離れている
煉瓦巻き強度が不足しているか、山自体が緩いのか・・・
明治41年に開通した新線は坑門中央だけ
コンクリートで補強されている
トンネル内部の煉瓦は確認できる


手前の手すりは牛ヶ首用水橋梁



牛ヶ首用水橋梁
呉羽トンネル直結で牛ヶ首用水橋梁、旧四万石避溢橋と連続している


旧四万石避溢橋
手前:新線(現上り線)  奥:新下り線
呉羽側 橋台富山側 橋台


呉羽トンネル先
モノクロ写真
 左上の呉羽トンネルを出た新線は、
 旧富山停車場(初代富山駅)ホームの
 南端を目指して一直線に伸びている

カラー写真の上から
 新下り線
 新線(現上り線)
 工事中の北陸新幹線
 南から飛越線(現:高山本線)


煉瓦製馬渡川橋梁
明治41年に開通した煉瓦製橋脚に掛けられた『新下り線』昭和35年に複線化時に腹付された橋脚に掛けられた『新線(現上り線)』
写真の右端から数mのところに 煉瓦製基礎がある

呉羽側 橋台

富山側 橋台

橋脚

『新線(現上り線)』の馬渡川橋梁は、明治41年煉瓦製の橋台・橋脚に掛けられていると思っていたら、
昭和35年コンクリート製の橋台・橋脚に掛けられていた
『新下り線』は、明治41年煉瓦製の橋台・橋脚に掛けられている

昭和35年複線化時にカーブの外側にコンクリート製の橋台・橋脚を造り『新線(現上り線)』を移設、
『新下り線』は明治41年煉瓦製の橋台・橋脚を利用しつつ線路の曲線形状を優先してオフセットされた
位置に設置されている


高山本線との合流点〜四方街道踏切付近
1927年(昭和2年)9月1日

飛越線(現:高山本線)の富山駅〜越中八尾駅間が開業
同時に北陸本線との合流点に田刈屋信号場を開設

煉瓦製 馬渡川橋梁は現在 新下り線で使用されている

新線(現上り線)は呉羽トンネルを出て、馬渡川橋梁付近で
新下り線を通り、神通川橋梁に向かって緩やかにカーブしていた


昭和35年、複線化時に新線を煉瓦製馬渡川橋梁の南側に
移した後に煉瓦製馬渡川橋梁を新下り線で使用した

赤線:明治41年に開業 ⇒昭和35年に移設した新線(現上り線)
黄線:昭和35年に複線化で腹付された新下り線
青線:昭和2年に開業した飛越線(現:高山本線)
緑線:この先の新線は、昭和35年から高山本線に転用されている


赤線:新線(現上り線)の動きに注目


煉瓦製基礎

煉瓦製基礎は昭和2年に開設された田刈屋信号場の基礎と勝手に思う


昭和2年に飛越線(現:高山本線)が開通し、その合流点には田苅屋信号場が開設され、新(現)富山駅までは単線で使用されていた

昭和35年に北陸本線が別線で複線化されるまで使用されていたが、
今は新線(現上り線)の築堤の下に眠っている

四方街道踏切から呉羽トンネル側を見る

四方街道踏切
赤線:明治41年に魚津駅まで開業した新線
黒線:昭和35年に複線化時に腹付された新線(現上り線)
黄線:昭和35年に複線化時に腹付された新下り線
青線:昭和2年に開業した飛越線(現:高山本線)
緑線:昭和35年に移設された飛越線(現:高山本線)

四方街道踏切から新神通川橋梁側を見る
明治41年に魚津駅まで開業した新線(現上り線)の先には、飛越線(現:高山本線)に転用された新神通川橋梁がある


地鉄 射水線跡との交差部
北陸本線との交差部には何も残っていない
交差部から南側を見る
射水線跡に家が建つ北側から交差部を見る
その北には旧線跡が延びる


旧富山停車場(初代富山駅)付近
駒見避溢橋から四方踏切方を見る
 左上:建設中の北陸新幹線
 左下:明治41年に開業した新線(現:高山本線)
  右:昭和35年に複線化で建設された北陸本線

北陸本線の架線柱から奥の民家辺りが
旧富山停車場(初代富山駅)のホームエンドか

北陸新幹線高架下の左手まで
旧富山停車場(初代富山駅)構内だった


駒見避溢橋
明治41年に新線(現:高山本線)として建設された駒見避溢橋

昭和35年に北陸本線の複線化まで使用された
現在は高山本線に転用されている

奥に見えるのは複線化された北陸本線の橋梁

呉羽側 橋台

富山側 橋台
明治41年に建設されて100年以上使用されてきた橋台  呉羽側だけ痛みが激しい


新神通川橋梁
左:昭和35年に複線化で建設された北陸本線
中:明治41年に開業した新線(現:高山本線)
右:建設中の北陸新幹線
明治41年に開業した新神通川橋梁は
北陸本線と北陸新幹線に挟まれて
昔のように遠景で見ることは出来ない

呉羽側 橋台

富山側 橋台
橋台上部
橋台内部の橋桁面

橋脚
新線(現:高山本線)と3代の橋脚橋桁は連続せずに煉瓦で仕切られている


新神通川橋梁先
新神通川橋梁を渡った先には新(現)富山駅がある

新線(現:高山本線)は真っ直ぐに富山駅に向かって行った
北陸新幹線を建設のために新富山駅は、左手(奥側)に移動した

新(現)富山駅との間に第一牛島架道橋跡がある


第一牛島架道橋跡
上には北陸新幹線が通り、今でも現役の架道橋に見える上部に登ると線路は剥がされている


新(現)富山駅
現在の富山駅 北陸新幹線が開業すれば取り壊されるのか現在の富山駅から右手に建設中の北陸新幹線 富山駅
 

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