講談社文庫 前間孝則 著
『亜細亜新幹線 幻の東京発北京行き超特急』 | |
『SHINKANSEN』は、今では世界に通用する言葉です
昭和39年10月に東京〜新大阪 間に開業した東海道新幹線は、実は2代目の新幹線です
初代新幹線は、東海道本線の行き詰まり調査から始まって、
昭和13年には、東海道本線・山陽本線の輸送力の改善、在来線の線増、
東京〜下関〜大陸(北京) 間の広軌新幹線として計画され、
大東亜戦争(W.W.II)の激化で建設が中断されました
計画当初から、東京〜名古屋間のルートはほぼ決まっていたので、
戦争が激化するまでの昭和19年には、日本坂隧道・東山隧道が完成しました
新丹那隧道は掘削が進んでいましたが、途中で中断されました |
名古屋〜大阪間は、ルートが決まらずにいました
構想段階では京都駅ルートではなく、
後に議会決議で京都駅ルートに変更されたので
京都の南のほうにもトンネルが完成していました |
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講談社文庫 『亜細亜新幹線』の322頁には、 |
| 「この計画を論議した一番最初の頃、線路をどうひくかを決めているとき、名古屋までは問題なかった。
だが、一番もめたのは名古屋から京都へ寄るかどうかをめぐって、大論議になった。確かに、大阪、下関と行く場合、京都へ寄らんほうが早いんだ。
京都の南を通す案が距離的に一番近いし、工事費も安くつくだろうというので、最初はそのコースでトンネルも掘った。
だから、今でも京都の南のほうにはトンネルが残っている。いまは廃墟になっているが、だれも知らないトンネルの入り口がある。トンネルだけは掘っちゃたんだ。
でも、少しして、これは天皇の御大典があるぞ、御即位があるぞ、京都に寄らんわけにはいかんだろうとなった。」
時間のかかるトンネル工事だけは当初の計画で早々と手を付けていたのだった。
「結局、御大典の関係から、現在の京都駅に入ることに変更した。」 |
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| と、あります | |
この『京都の南のほうにあるトンネル』がとても気になるのです
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