鉄道廃線跡を歩く VIII 124頁(アルファベットは記事の地点) |
※ 航空写真は国土地理院のHPよりダウンロードしました ※ |
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明治22年(1889) |
国府津駅 - 浜松駅間が開業 | 明治44年(1911) | 下り線を増設し、複線化工事 | 昭和19年(1944) | 弾丸列車用日本坂トンネルが完成し、石部トンネル・磯浜トンネルを
整備するためにルート切替したが、太平洋戦争の激化で計画が中止になった | 昭和23年(1948) | 台風21号(アイオン台風)で石部トンネル焼津側坑門が崩落し、放置される | 昭和37年(1962) | 東海道新幹線の着工で石部トンネル・磯浜トンネルを再利用することになり
廃線跡が生まれた |
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用宗駅 |
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日本坂トンネルへの連絡線分岐点 手前 |
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奥には2mほど高い位置に東海道新幹線の防護壁がある |
[A] 日本坂トンネルへの連絡線分岐点 |
連絡線は擁壁の先から右にカーブしていた | 分岐点を通過する列車 |
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昭和21年(1946)3月26日 米軍撮影 |
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[B] 連絡線跡 |
分岐点先にある畑 |
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畑と道路になった連絡線跡 |
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あちこちに工杭がある |
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連絡線跡に建つ倉庫 |
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もう直ぐ日本坂トンネル 右奥には新幹線の防護壁が見える |
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日本坂トンネル手前 用宗側 |
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[C] 日本坂トンネル 用宗側 |
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日本坂トンネル 焼津側 |
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延長部の奥にはもう一つ坑門がある |
第1花沢橋梁跡 |
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近くに『昭和38年』とある杭が落ちていた |
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『昭和38年』は東海道新幹線建設中だ 何なんだろう? |
野秋架道橋跡 |
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日本坂トンネルを抜けた連絡線は野秋架道橋手前で左にカーブしていた |
[J] 連絡線跡に建物が立つ |
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合流点付近を電車が通過している | 日本坂トンネル側を見る |
日本坂トンネルからの連絡線合流点 |
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第2花沢川橋梁跡 |
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護岸工事が完了し橋台は消滅しているが、連絡線跡は残る |
合流点付近を見る |
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弾丸列車の未成線 |
1946年(昭21年)3月26日 米軍撮影の日本坂トンネル以南の未成線 |
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焼津駅 |
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