このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


東海道本線 旧線
用宗駅〜焼津駅

探訪日
2014年7月4日・2013年11月3日・2013年10月14日
2012年12月5日・2010年4月19日・2005年9月19日
2015.12.23UP



鉄道廃線跡を歩く VIII 124頁(アルファベットは記事の地点)


※ 航空写真は国土地理院のHPよりダウンロードしました ※

赤枠画像をクリックすると画像が切り替わります




明治22年(1889)

 国府津駅 - 浜松駅間が開業
明治44年(1911) 下り線を増設し、複線化工事
昭和19年(1944) 弾丸列車用日本坂トンネルが完成し、石部トンネル・磯浜トンネルを
 整備するためにルート切替したが、太平洋戦争の激化で計画が中止
昭和23年(1948) 台風21号(アイオン台風)で石部トンネル焼津側坑門が崩落し、放置される
昭和37年(1962) 東海道新幹線の着工で石部トンネル・磯浜トンネルを1本化に改良される


用宗駅


[A] 日本坂トンネルへの連絡線分岐点


[D] 石部(せきべ)トンネル 用宗側
普通のトンネル入口に見えるが・・・明治22年に開通した上り線を行く列車
奥が明治22年開業時、手前が明治44年複線化時に敷かれた線路『石部地区・鉄道愛好会』様から頂きました

昭和37年(1962)4月にロックシェードが設置された

昭和44年(1969)3月にロックシェードが延長された

明治44年複線化時建造坑口はロックシェードに隠されている

明治22年に開通した時の坑門は辺りにあると思う

珍しい形?の工杭

架線越しに新幹線の架線が見える


旧石部トンネルの排煙トンネル 1
廃国道の5号洞門下にあり、現在線の石部トンネル下り線へつながっているらしい


旧石部トンネルの排煙トンネル 2
現旧石部トンネルの接続部辺りにあり塞がっているらしい


旧石部トンネルの排煙トンネル 3
旧石部トンネルへつながっているらしい


[E] 石部(せきべ)トンネル 焼津側
昭和23年台風21号(アイオン台風)が原因で崩壊はしたが、一気に海岸まで落ちることは無かった
『石部地区・鉄道愛好会』様から頂きました


崩落したのは、明治44年複線化時に作られた下り線坑門
坑門は海岸へ落下したことで二つに割れた

下り線の残りの坑門からトンネル上部にヒビが入っている

残り半分が崩落するときれいに上部も剥がれて要石が現れた

崩落した坑門は延長された部分だった!!

下り線 煉瓦製延長部と石積坑門の接続部
これだけの亀裂があると、いずれは下り線の坑門全体が現れるかもしれない

明治44年複線化時に作られた下り線坑門は、
トンネル上部から海岸までしっかり石積で造られているので
波にさらわれることが無いのかも
この部分も山から出ているので既に延長されているとも言えないかな・・・


明治22年に開通した上り線坑門

2013年11月3日に探訪すると上り線の坑門も崩落していた
初探訪時の画像を確認すると上り線の坑門上部にも亀裂が入っていた

上り線トンネル上部には余った煉瓦が詰められているのか・・・


上り線 内部


下り線 内部
上下線の内部の煤け方の違いは何?

波に浸食されたことにより下り線の下から煉瓦製暗渠が現れた

散乱する煉瓦には『丸』に『T』印がある、「東京煉瓦株式会社」製らしい


2005年9月19日初探訪時
 



崩落したトンネルアーチは、

  (石垣が波から延長部分を守っていたが、
       強烈な台風により坑門が崩落)
2011年1月26日探訪時
波に足元をさらわれて傾きが増し
手前にある石垣を崩し、
 



崩壊が進んでいる

(2005年と2013年を比べると、    .
手前の石垣の崩壊具合がよくわかる)
2013年10月14日探訪時

と、思ったが残りの延長部分が崩落したことにより崩壊が進んだかも


橋梁跡
石部トンネルの先には橋梁がかかっていた
明治22年に開通した上り線の用宗側橋台だけが残る

沢の先には橋桁があるはずだが・・・

浜辺に橋桁の残骸と思われるH鋼が落ちている

上り線 橋台 用宗側

下り線 橋台 用宗側
土台の土が波にさらわれて崩落も時間の問題か・・・落下したことにより上部のコンクリート部が剥離した

上り線 橋台 焼津側

下り線 橋台 焼津側はどこ?
上り線の橋桁は直接橋台に留められていたが、

下り線の橋桁はコンクリートで固定具が製作されていた
後ろに転倒か?


[F] 航空母艦と呼ばれた波打ち築堤
モノクロ画像は『石部地区・鉄道愛好会』様から頂きました
大正時代の石部トンネル先の海岸付近


名前の由来の『大崩海岸』に岩石が落ちているのが分かる

上2枚の画像を比較すると、山側に小屋が建ち、電信柱の有無、
道床のバラストと擁壁の高さの相違が分かる
左画像は、さらに擁壁の嵩上げが行われている

砂浜も幅広く存在する、下の砂浜は浸食が進み後退している

廃線跡を路線バスが走行する
昭和23年の台風で坑門が崩落する前の完全な姿が見て取れる

日本坂トンネルに切り替えてから上り線トンネルは
昭和36年(1961年)まで道路トンネルとして使用されていた
(画像は昭和20年から23年の間に撮影された)

下り線坑門前にはバリケードが置かれ、
擁壁上部にはレール製落石防止柵が増設され、
奥には国道の石部トンネルが見える

赤線部分の築堤部に旧線が走っていた

釣り人が居るところが築堤部の土台かな
波にさらわれて完全に跡形も無くなった築堤部
樹々の下に路盤用の岩が敷かれているのが分かる

擁壁の崩壊も進む

まだ残る擁壁には各穴が空いている

コンクリートに土管が埋まっている  どこで使われていたか?

フックが埋め込まれている


築堤部から山裾を走り磯浜トンネルへ向かう産廃施設に消えた区間
今は産廃施設で見ることが出来ません

斜面には擁壁上のレール柵が確認できる

山の上には、旧「Tea room かいざん」がある


『石部地区・鉄道愛好会』様から頂きました

昭和21年(1946)3月26日 米軍撮影

国土地理院の地図には、築堤部と擁壁記号が描かれている

「Tea room かいざん」から見た産廃施設
手前の山裾を旧線は走っていた (左の赤線は旧線の高さ)


[G] 落石防止壁
産廃で埋立てられて斜面の擁壁上のレール柵に手が届くもう一段上にも擁壁にレール柵があった

斜面にあったはずの水路も足元にある


産廃施設の下に眠る 磯浜トンネル 用宗側
正面付近の地下数mに坑門が眠っている  




磯浜トンネル 用宗側上部にある工杭

2012年12月5日に発見した磯浜トンネル用宗側の現在確認出来る唯一の遺構
下り線左側に設置された物と思われる(どこのHPにも報告が無い!)




磯浜トンネル(現:石部トンネル) 摺りだし用トンネル
現在線の石部トンネルへつながっているらしい


[I] 磯浜トンネル(現:石部トンネル) 焼津側


急曲線緩和のために生まれた旧線跡


第2小浜橋梁跡
上り線跡にコンクリート製橋桁を乗せて通路として使われている下り線跡 橋台 用宗側


日本坂トンネルからの連絡線合流点


焼津駅
 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください