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GARAGE MASARU/列車
今昔物語:国府津 機関庫


         国府津 機関庫 昔(1976年8月)1977年8月頃

発車した列車内から撮影  庫内にはD52 72が・・・

右側にはバラストが積まれています

発車した列車内から撮影

機関庫の裏はまだ自然が残っています

時刻表 1977年8月号

夏休みの伊豆旅行の帰路、東海道線 国府津駅を発車した列車内から機関庫を発見しました
次の年の帰りに列車内から(やっと3枚)撮影しました(カメラ:リコーオートハーフ)
時刻表から1977年と判断しました
他の方のHPに行くと1975年12月の時点ではまだ転車台を撤去しピットを埋めただけでした
国府津駅の拡張年を調べたら正確な年が判るかもしれませんが・・・

歴史
明治20(1887)年 7月11日
横浜駅〜国府津駅間が開通し、明治22年までは東海道線の終着駅となる
国府津機関庫は、鉄道施設として日本で最初の鉄筋コンクリート建造物
明治22(1889)年 2月 1日
国府津〜御殿場〜沼津(静岡)間が単線で結ばれ、東海道線として開通
明治34(1901)年 6月11日
全線複線化完成
    明治23年12月    御殿場〜沼津間が複線化
    明治24年3月    小山〜御殿場間が複線化
    明治34年2月5日  国府津〜山北間が複線化
    明治34年6月11日  山北〜小山間が複線化
昭和 9(1934)年12月 1日
    昭和9年9月30日 丹那トンネル貫通
丹那トンネル開業に伴い、国府津〜小田原〜熱海〜沼津間が東海道線になり、
御殿場周りの旧東海道線は、御殿場線となる
昭和18(1943)年 7月11日
上りレールが取り外され、単線に格下げ  これは第二次大戦の物資困窮の折り、
山口県の柳井線、岩国〜徳山間の新線敷設に充てる(後に山陽本線になる)
昭和43(1968)年 7月 1日
全線電化完成
    昭和43年4月27日 国府津〜御殿場間が電化
    昭和43年7月 1日 御殿場〜沼津間が電化
全線電化によって蒸気機関車の使命は終わりD52 72は国府津機関区に取り残された
最終列車を牽引したD52 70は山北機関区跡の公園に記念展示
昭和53(1978)年 8月
御殿場湯沢平公園にD52 72が保存


   国府津 機関庫 今2002年08月14日

機関区跡の入口付近にて 機関区の門柱でしょうか

左:機関庫裏道路
右:転車台のど真中位でしょうか

裏手は住宅街に 庫跡は盛土され分譲地に

列車だけが時を感じさせません
パノラマ
左:国府津駅  中:転車台のど真中の道      右:宅地化

国道から駅前を通りトンネルを抜けていくと広場があると思っていたら看板が目に飛び込んできました
コンクリート壁が築かれ土が盛られ販売会社の看板がデカデカと掲げられています
庫裏手も住宅がビッチシ建っていました 駅隣接の一等地だけあります
25年の歳月を感じえません

機関庫は取り壊され、D52は移転保存されたと以前聞きました
その時に一度訊ねましたがその時の記録は・・・


D52とは?
戦時中の東海道、山陽本線の重量貨物輸送用(石炭等の海上輸送が困難になり、D51形の1,000tのけん引力では足りず、1,200tを目標に設計)として昭和18年に誕生し、21年までに汽車製造、日立、三菱、川崎、日本車輌、鉄道省浜松工場、鷹取工場で製造された。

[戦時設計]鉄鋼の不足から規格外や代用の材料を使い、工作も簡略化された機関車で、
        一部の設計は終戦までの数年の使用に耐えられればといったものもあった。
終戦を迎え285両で製造中止となりました、183輌の欠番がありラストナンバーは468号機です。

戦後、余剰のものはC62に改造されたり、一部は廃車になったりしたが、昭和26年から31年にかけて基本設計に復元改造されて東海道・山陽本線に活躍した。

また、幹線電化に備えての軸重軽減改造機として昭和25年より国鉄浜松工場で20両が2軸従台車を付けてD62型として改造された。
形 式軸 配 置全 長全 幅全 高全 重動輸直径最大出力最高速度
D521D1テンダー21,105mm2,910mm3,982mm136.89t1,400mm1,949ps75km/h


国府津機関庫内に放置状態で置き去にされていた
D52 72 の今2002/09/01

屋根の支柱が後にあったら・・・

機関車はとても状態はいいです

開放テコや連結器ピンにOILが回り、稼動します


バルブ類は綺麗に磨かれています

富士山の麓に眠っています

静岡県 御殿場市 湯沢平公園 内
昭和19年5月製造
昭和43年7月1日御殿場線全線電化完成により廃車
昭和53年8月国鉄から御殿場市に貸与

どこにいるのかな〜と探し、見つけた時には思わず『久し振り』と呟いてしまった

公園には管理事務所があり管理人さんが常駐しているのがいいのでしょうか
柵が無く手で触れる事ができる割には程度は上です
稼動部には油が差してあり、連結器の動きなどが良く判るようになっていました
ただ、ナンバープレートはアクリル板で作られていました
整備をして本線上を走らせたいですね

さよなら運転時のヘッドライトはシールドビーム灯のようです


D52 72以外のD52
D52 1  広島県JR西日本 広島車両所
D52 70神奈川県 山北町御殿場線山北駅 隣接鉄道公園
D52 72  静岡県 御殿場市湯沢平公園
D52 136  静岡県 沼津市高沢町高沢公園
D52 235神奈川県 相模原市鹿沼公園
D52 403神奈川県 平塚市文化公園(博物館南側)
D52 468  京都府梅小路蒸気機関車館


D52 70 今2002/08/14



 



神奈川県 山北町 御殿場線 山北駅 隣接鉄道公園 内
昭和19年4月製造
昭和26年2月国府津機関区
昭和43年7月1日御殿場線全線電化完成により廃車

山北駅裏手、山北機関区跡地にある鉄道公園
地元の方々の手により綺麗に磨かれています
柵が邪魔ですが、この状態を保存するには仕方がないかもしれません


D52 136 今2002/09/01



スノープロウのアップ写真

静岡県 沼津市高沢町 高沢公園
昭和19年8月31日製造 汽車製造KK
昭和19年8月31日〜昭和21年3月30日名古屋鉄道管理局 稲沢機関区
昭和21年4月1日〜昭和35年10月3日大阪鉄道管理局 姫路機関区
昭和35年1月4日〜昭和48年6月21日青函鉄道管理局 五稜郭機関区 廃車
昭和48年8月1日〜国鉄より沼津市に貸与
御殿場線を走っていない?

一番可哀想な機関車でしょうか
柵が無いので機関車に触れたり登って遊べるのはとても良いと思います
ただ、機関車の下に入れないように鉄筋を動輪に直接溶接留めしてありました
前面と左キャブにアクリル製のナンバープレートが取り付けてありました
スノープロウに車番を確認できました


D52 235 今2002/09/01







神奈川県 相模原市 鹿沼公園 内
昭和21年製造
昭和48年廃車
昭和 年鹿沼公園へ

午前・午後の二回 柵の中に入れます、訪れた時には時刻が遅かったです
左右キャブとテンダーにはナンバープレートがありますが、前面にはありません
テンダーのプレートを前面に付けるか、アクリル製でも付いていると印象が違うと思うのですが・・・
管理人さんが居る機関車は状態がいいですね

他のHPに行くと実は『D52 138』とあります???
なぜ、235号機のプレートが付いているのかな?


D52 403 今2002/09/01





神奈川県 平塚市 文化公園(博物館南側)
昭和20年3月18日製造 日立製作所
昭和43年8月8日国府津機関区で廃車
昭和44年11月30日国鉄から平塚市に貸与
平成14年3月8日屋根が完成

後は壁、手前は低い生垣、開放日に中に入れて機関車に触れる事ができる
屋根が今年出来た割には機関車は綺麗でしょうか
ナンバープレートはアクリル製?
草むしりをもう少しして頂けるとありがたいです


D52 468 今2001/*/*

京都市にある梅小路蒸気機関車館に保存展示されています
  昭和21年2月19日 製造 三菱重工
   姫路機関区→五綾郭機関区→室蘭機関区
  昭和47年 梅小路蒸気機関車館 開館
  昭和54年3月 廃車 梅小路機関区
 

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