このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


機番形式保存場所所在地最寄り駅
(バス移動有)
496489600中頓別町営 寿公園 北海道 枝幸郡中頓別町字寿64-1


撮影 2008/5/29
塗装サビがかなり進行している  ペラペラ剥がれている
レール間にもサビがかり落ちている
動輪左 : 1・2・3・4 刻印[−]確認右 : 1・2・3・4 刻印[−]確認
ロッド類左 :刻印[49648]確認右 :刻印[49648]確認
連結器前 :固着開放テコ :動後 :動開放テコ :動
ヘッドライト前 :ありレンズ: リフレクタ:後 :フード付レンズ:あり リフレクタ:ありお
シールドビーム(副灯)あり     レンズ:あり  リフレクタ:あり  ステー:
標識灯(テールライト)前 :ステーのみ後 :ステーのみ
ナンバープレート前 :あり後 :あり左 :あり右 :あり
デフレクター左 :あり点検窓 :なし右 :あり点検窓 :なし
シリンダーカバー下部左 :サビ落ちている右 :サビ落ちている
ボイラーカバー下部完全にサビ落ちている
運転室(キャブ)左右シートなし  他は一通り揃っている
メーター類あり     ガラス:あり  針:あり
タブレットキャチャー左 :なし右 :なし
スピードメーターロッド(左側) :メーターあり
距離計ケーブル(右側) :なし
テンダ・その他スノープローに[49648]浮文字あり
建物屋根 :なし柵 :なし

  大正9年9月7日 製造 川崎造船所
  大正9年9月8日 配属 北海道総局 追分機関区
      遠軽機関区
  昭和48年     名寄機関区
  昭和50年     追分機関区
  走行 宗谷本線 天北線
  昭和51年3月31日 廃車 機関区  走行距離 2,440,905.6km
  昭和年月日 保存 中頓別町
  
9600
大正時代に最も大量に生産された貨物・勾配用機
1913年から1926年までに、770輌というD51に次ぐ輌数が製造された
本格的国産標準設計蒸気の第1号で、従輪のないコンソリデーション(車軸配置1D)でありながら、火室を広く取るため動輪上においた設計で、ボイラー中心はC62に次ぐ高さとなった
また動輪位相は普通とは逆に左側が90度先行しているのも特徴
形態の多彩な点でも一・二を争う形式で、ランニングボード、キャブ下辺のカーブ、テンダー、煙突、デフレクター、空気ブレーキ装置、給水温め器などに枚挙にいとまがない
当初は貨物輸送の第一線に立ち、箱根越えのマレー機を駆逐し、9900(D50)の登場に従って各線区に普及した
8620の「ハチロク」に対し『キューロク』の愛称で親しまれた
第二次大戦中に250輌が軍用機となり、輌数は8620より減少したが、蒸気時代末期には国鉄線上における最古の形式として働いた
形式軸配置全長全重動輪直径シリンダ
直径×行程
馬力蒸気圧
96001-D-016,563mm94.85t1,250mm508mm×610mm870馬力13.0kg/cm2

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください