このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
機番 | 形式 | 保存場所 | 所在地 | 最寄り駅 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
D51 398 | D51 | 名寄公園 (名寄市北国博物館) |
北海道 名寄市字緑丘 東2条南12丁目字徳田 | JR宗谷本線 名寄駅 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
撮影 2006/09/05 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
案内板より 全国で名寄だけしかないSL排雪列車「キマロキ編成」 北海道の開拓は鉄道の設置とともに進展しました。名寄にも、開拓の鍬がおろされた明治33年(1900年)の3年後、明治36年に現在の宗谷本線 が名寄まで開通しました。昭和16年には名寄本線、深名線の分岐点として交通の要地となり、以来、名寄は鉄道とともに歩んだ街でもあります。 その時代の流れとともに、昭和50年12月で全国から国有鉄道のSLが姿を消しました。ここに展示してあるSL排雪列車編成は、名寄市が北国の 鉄路を守った雄姿を残すため、当時の国有鉄道より貸与されたものです。「キマロキ」と愛称されたこの編成の列車は、全国でただ一編成のみ、 かつて活躍した、旧名寄本線のレールの上で展示保存されています。 キマロキは「SLキマロキ編成排雪列車」といい、機関車・マックレー車・ロータリー車・機関車の順に連結された排雪列車の頭文字をとって名づ けられました。雪の多い北海道内陸部、東北、北陸地方では線路両側に高い雪の壁ができ、普通のラッセル式では除雪が困難なためにこの編成 の出動となりました。この列車には、機関区員や保線区員などが十数名分乗し、先頭の機関車が両側の雪をかき集めるマックレー車をけん引し、 その雪をロータリー車が回転する羽根で遠くへ飛ばし、それを後ろの機関車が後押しするという一連の作業で除雪に威力を発揮しました。 名寄市・名寄市北国博物館 名寄市SL排雪列車(キマロキ)保存会
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