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絵手紙

鎌原(かんばら)観音堂

 1783年(天明3)、浅間山の火砕流が北麓-鎌原村を襲った。477人が死亡、93人が助かる。観音堂は、50段あった石段のうち15段が残っている。赤い橋は後世に架けられたものであるが、これより上部に逃げ延びた人々が、やがて村を蘇らせた。

No.34

 

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