絵手紙
赤城大沼用水
最初の構想から80年、3人の男達によって引き継がれ、工期16年を要して昭和32年(1987)、用水路は完成した。最初の男は、執念が昂じて狂気の沙汰で牢死、2番目の男は疲労死、3番目の男によって悲願は成った。延べ27万人が就労。絶えざる水争いはこのときを以って終わり、赤城山の南面は、穀倉大地と化す。その後、平成の大改修が行なわれた。
No.36