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ラッパの行進
- 春と秋に遠足があった。戦中は6年生がラッパを吹いて全校の生徒が行進した。通学の一番遠い山奥から通っている桑崎という集落を峠越えで一周し、学校へ戻るコースである。
- 赤丸の地点が贄川国民学校である。写真の下が南で上が北、学区域のほぼ全域を俯瞰している。南から北に信濃川の支流である奈良井川がV字谷を形成している。田圃は殆どなく僕達の村は幾つかの集落が、木曾谷北端の小さな段丘に散在している。
- 学校から奈良井川の向こうに急峻な山が一つある。太陽はその山の方から昇ってくる。平野部から来た人達は、その山を見て「鼻がつかえるようだ」という。したがってお天道様が顔を出すのはかなり遅く、隠れるのも早い。その山の真後ろに桑崎集落がある。
行軍コース |
- 6年生が先頭に立ち、威勢良くラッパを吹いて行進する。その後を1年生、最後は5年生という順番である。先生達は要所々々を固める。集落の人々があちこちに家を構えていて、畑仕事の手を休めて声援を送ってくれる。昼食は適当な草地で持参の握り飯を頬ばり、水筒の水で喉を潤した。
- 桑崎集落には人はもう住んでいない。当時は林業と農業で生計を立てていたのだが、もうその時代ではなくなった。昭和43年(1968)に集団移転を行い、廃村となった。学校の隣に造成した移住地に引っ越した者もいれば、村外に職を求めて転出した家族もいる。一時は芸術家が、はやりのように茅葺の農家に棲み込んだこともあったが、あまりの淋しさに引き上げてしまった。
- それにしても遠足は勇ましいものであった。終戦直前で婦女子・年寄り子供が銃後の守りに懸命に励んだのである。
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