このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

子供の頃
 終戦前後の生活 ●

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家畜

  1. 子供の頃は、どこの家でも多かれ少なかれ家畜を飼っていた。食料不足の折、自ら蛋白源を生産確保する意味合いが大きかった。もう一つは労働力としての使役である。荷物の運送、田おこし等に活躍した。
  2. 僕の家では、山羊・兎・鶏を飼っていた。ひと頃は近所の運送屋の馬を預かっていたこともある。大きくなったら運送屋が引き取り、食肉用に廻すのだ。運送屋というのは、荷馬車で生計を営む職業である。馬方が病気かなにかで働けなくなったので預かったと思う。僕たちガキ共は遠くへ遊びに行った帰りに荷馬車の後ろに勝手に飛び乗って運んで貰ったものである。
  3. 山羊は、草地に杭を打ち、綱を繋いでおけば勝手に草を食べてくれる。草がなくなると別の場所に繋ぎなおすのである。冬の間、干草を与えていた生活から、野外で飼育できるのは、飼い主にとって楽しい時期である。山羊にとっても嬉しいに違いない。
  4. 乳搾りも毎日の仕事であり、これは僕の楽しい仕事であった。左手に小鍋を持ち、右手で乳房を握る。まず親指と人差し指を絞り込み、、順次中指、薬指、小指へとぜん動させてゆくのである。絞った乳を沸かして鍋を降ろすと、薄皮が張っている。箸でつまんで口に入れる。また皮が張る。脂肪が多いのである。
  5. 山羊は初冬に近所のオスと交尾させる。翌春出産大概二匹の仔山羊が産まれる。親は仔山羊の鼻をなめて透明の膜を剥ぎ取る。すると仔山羊は「メー」と泣いて、呼吸ができたことを知らせるのである。胎盤は赤黒い塊になって親の尻からぶら下がっているが、そのうちに地上へ落下する。驚いたことに、母山羊はそれを食べてしまうのである。これにはいったいどういう意味があるのだろうか。もしかしたら、野生時代に血の臭いを肉食動物に嗅がれないための習性の名残ではないかと僕は推測する。
  6. 仔山羊も一生懸命立ち上がろうとしては転び、それを何度も繰り返して、1,2時間のちには遂に成功するのである。肉食動物から身を守る草食動物の能力ではなかろうか。
  7. おとなの山羊になると悲しい別れがあった。村の屠殺師が来て山羊の肩に馬乗りのような恰好でまたがり、首を抱えて喉に短刀を突き刺してえぐるのである。とたんに山羊は両足をまっすぐ伸ばして硬直痙攣の末、横ざまに倒れて動かなくなってしまう。
  8. 僕は家の中から窓越しに、その一部始終を硬くなって見ていたものである。剥がされた皮は屠殺師が持ち帰り、そのあと肉をそがれた骨を、僕が石臼の上にのせて金槌でたたく羽目になってしまうのである。その日の夕ご飯は、肉団子だったのは言うまでもない。
  9. 兎も山羊と同じような運命を辿った。屠殺師は兎の額に金槌で一撃を加えた後、たちまち皮を裏返しに剥ぎ取るのである。まさしく因幡の白兎だ。剥ぎ取られた身は赤裸である。毛皮は人間の防寒用に利用され、肉は飼主一家の食用となる。
  10. 兎は山羊と違って野原で飼うわけにはいかない。木箱で飼育する。繁殖のために近所の兎と掛け合わせる。交尾はオスがメスの背に乗っかったかと思うと、一瞬のうちに後ろへひっくり返るのである。これを4,5回繰り返す。犬の長い交尾とはまったく様相が違うのである。狙い定めた早撃ちの技には驚嘆するばかりだ。
  11. 親は飼育箱の一角に浅い穴を掘り、自分の体毛を抜いて温かい巣を造る。子供の数は7,8匹である。仔兎は山羊と違ってすぐには行動できない。この点はリスやムササビと同じである。洞穴の中で子育てする動物は、すぐに立つ必要がないからである。
  12. 鶏は放し飼いであった。庭を勝手に走り廻り、夜になると自分で小屋の中に入る。鶏の飼育は卵を産ませることと、その能力がなくなったら肉を食用にすることである。僕の家は雑貨屋を営んでいた関係から物置が随分と広かった。木箱やゴザなどが沢山積まれていて、鶏は鳥小屋よりも、好んで物置に卵を産みつけた。この卵を探すのが大変で、ときには発見が遅れて、すでに腐っていることもしばしばあった。

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