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柴舟
- 当時、燃料はすべて薪か木炭であった。山村の生活はまさに山と一体で、どの家にも軒下に薪を積んでいた。残り少なくなると、桃太郎の歌ではないが山へ柴刈りに行く。僕たちの村では柴のことを「ボヤ」と言った。薪をくべる過程は、スギッパ(杉の枯葉)に火をつけて小枝を燃やし、段々太い枝を燃やして最終的に薪という具合だが、中継ぎの小枝を「ボヤ」という。手で簡単に折れるような雑木の類である。
- このボヤを山に採りに行くのだが、道具は鋸と鉈(ナタ)。ナラやクヌギの腕の太さ位の木を鋸で切り倒す。ナタで枝を払って幹だけにし、幹の部分は鋸で60cm位に切る。これが、センバと呼ばれる薪である。残りの枝は長さがまちまちであるから、ナタで80cm程度に切り揃える。これがボヤである。
- さて、薪とボヤを運び易いように束ねればならない。薪の方は予め太さ14番(径2.0mm)位の亜鉛メッキ鉄線で作っておいた、直径30cm位の箍(タガ)でまとめるのだ。先ずタガを手でぶら下げて、地上に接触させる。輪ッかの中に横から薪を詰められるだけ詰める。これだけでは緩いから、薪束を立てて隙間のあるところに追加の薪を差し込んで叩き込むと、しっかりした束が出来上がる。
- ボヤの方はボサボサしていて、タガに詰め込むことはできない。そこで荒縄を延ばしてボヤを載せ、縄を二重に回し足で踏みつけながら、ぐいぐいと締め上げて縛るとしっかりした束が出来上がる。
- 次は柴舟を作る手順だ。雑木を2〜3本まとめて根元を縛り、枝の張っている部分に薪を載せて下の段を決める。そして上の段にはボヤを載っけて、舟の先に引き綱を縛って出来上がり。これで麓まで引っ張って下りるという具合だ。
柴舟
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- 柴舟は高い所から低い所に滑り下ろすという単純な発想であるから、山の斜面を上から下に真っ直ぐに延びる滑り台のようなものだ。何回か通っているうちに樋状に舟道ができる。これを「アラシ」という。大木を伐採した場合は柴舟を使わずに、丸太そのものを滑り下ろすこともある。地肌が剥き出しになって正に”荒らし”になる。それが名前の由来だ。
- 柴舟による運搬方法は女子供でもできる仕事であるから、僕自身もよくやった。一度はお袋が二人の姉と僕を連れて薪採りに行ったことがある。僕が引っ張ってアラシを下り、最後の沢筋に達する険しい崖で尻込みすると、お袋に「何をオッカナガッテいるだッ。」と一喝された。「カーちゃんがやって見せるからよく見ておれッ。」と言って引き手を交替した。
- 崖を下り始めて、ゴツゴツした岩肌にかかったとたん、案の定、舟は暴走を始めた。僕たちは一斉に「カーちゃ〜んッ」と叫んだのは言うまでも無い。お袋は慌てて横っ飛びに、とは言っても実際には、斜め下の藪に跳びこみ、辛うじて舟に巻き込まれずにすんだ。下を覗くと無残にも積荷は吹っ飛んで、薪はタガが弾けて舟の周囲に散乱していた。ボヤの方は、ゴム毬のように弾力性があるので、束の現状を維持していた。
- 崖から上がって来たお袋の手の甲からは、かなりの血が噴出していた。とりあえずは頭にかぶっていた手拭を縦に裂いて包帯を作り、血を止めることができた。「危ねえことをやるときは、必ずその前に逃げ方を考えておかなきゃいけねえだぞ。」と、負け惜しみとも取れることをお袋は言った。しかし僕は以来、危険な作業をするときは予測手段を立てる習慣ができたことは、お袋が身を以って示してくれた教訓のように思えてならない。
<ご指摘>
humireiさんから、次のようなご指摘をいただきました。有難うございました。- 木曾では、柴ソリとは言いません。柴舟です。
その指摘を受けて、訂正しました。 |
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