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味噌造り
- 味噌は自分の家で造った。といっても、家人だけで造るのではない。隣組の共同作業である。時期はヤマブキの咲くころ、4月20日ごろである。「ヤマブキ色のいい味噌ができるように」との願いを掛けている。
- 先ず、下準備をする。奥座敷の畳をあげて味噌玉を寝かせる床作り(とこづくり)である。畳をめくると黴臭い臭いがする。畳の隙間から入った綿くずや塵などがあるので清掃し、新聞紙を敷けば出来上がり。
- 朝早く女衆が集まった。道具の主役は、町内持ち回りの大釜と豆をつぶす道具である。前日からふやかしておいた大豆を、庭に据えた釜で煮る。
大豆を煮る |
- 煮えたら、しばらく蒸した後、沢山穴の開いている機械、今ではミンチをつくるミンサーと呼んでいる同一機能の道具があるが、当時はそんなハイカラな名前ではなかったと思う。一応、「豆つぶし機」と呼んでおこう。
- 豆つぶし機のホッパーに豆を入れて、ハンドルをグルグル回す。沢山のノズルから素麺のようにニュルニュル出てくるので面白い。トコロテンを押し出す天突きのような感じだ。僕達は、煮えた豆や挽いた豆をつまんで食べるのが目的の見物だった。
豆をつぶす |
- 人肌まで冷ましたら、たぶんこの時点で麹菌を混ぜるのだと思う。目に見えない工程は僕の脳味噌にはインプットされていない。
- 今度はそれを、直方体の味噌玉に加工する。長辺12cm、短辺7cm位だったと思う。まず適当な大きさの玉になるように手で丸める。それを蕎麦打ちの延し板に叩きつける。叩きつけた面は平らになる。更に何回か叩き続けて、直方体の味噌球に仕上げるという訳。
味噌玉を造る |
- できた味噌玉を今度は寝かせ床(ねかせどこ)の新聞紙の上に、隙間を空けて並べていく。2日位すると味噌玉の表面に、白いうぶ毛みたいな菌糸が伸びて糀の花が咲く。茶色だった味噌玉の表面に白い綿のような菌糸が密集して白くなったら仕込みは成功である。
畳をあげて味噌玉を並べる |
- しかし今の時代と違って、当時の環境はあまり良くはなかった。人と同居しているから、当然、雑菌が付着する。真っ白とはいかず、アオカビ・クロカビも生えたが、それほど意に介さなかった。兎に角出来たのである。ここまでが共同作業だったと思う。これから先は各家の個別作業である。
- 大樽に味噌玉をほぐして入れる。このときに別の何かを調合すると思うのだが、よく分からない。僕は目に見える物理は得意なのだが、目に見えない化学は苦手なのだ。糀のつくる酵素が大豆のタンパク質を分解してアミノ酸に変え、これが美味しい味噌を造るという知識が関の山である。
- 何日かして樽の蓋をはぐると、白い幕の張った液が上がっている。順調に熟成が進んでいるようだ。これが溜まりというものか。物置中に醸造特有の臭いが充満してくると、たぶん食べ頃だろう。
- 食事の支度をするのに、味噌をどうするかであるが、大樽から、小桶に分けて流しの下に置いておく。味噌汁を作るには、このまま鍋に入れると、豆の砕けた滓が残ってしまうので、必ず擂鉢(すりばち)で擂らなければならない。このときに使う棒が、擂粉木(すりこぎ)だ。この仕事は、たいがい子供が行なう。一方の手を擂粉木の真ん中辺りに添え、もう片方の手を擂粉木の頭部に当ててグルグル回す。擂れたら杓文字(しゃもじ)で掬って、鍋に入れるのだ。
- 現代人からみたら、昔の暮らしは何から何まで手間のかかることばかりである。
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