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子供の頃
 終戦前後の生活 ●

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お正月

  1. 農山村では、昔は何かと正月行事が多かった。新たな年の無病息災と五穀豊穣を祈る、数々の風習があった。農繁期に疲弊した身体を回復させるためにも、楽しい行事は何よりだった。
  2. 暮れから1月中旬頃までの正月行事を記すと、概ね次のとおりになる。

  1. <餅搗き>
    餅はケヤキの木臼で搗く。お供え餅を作った後に、蓬やごぼう葉を入れて草餅にしたり、豆餅や粟餅にすることが多かった。粟を見る機会は少なくなったが、労せず利益を得ることを「濡れ手で粟」と、諺の引き合いに出されるほど、昔はどの農家でも粟を作っていた。五穀豊穣の五穀とは、一般的に米、麦、豆、粟、稗(ヒエ)または黍(キビ)のこと。今では小鳥の餌でしか、お目にかからない時代になってしまった。
    <参照>
    ごぼう葉(オヤマボクチの葉)
  2. <松飾り>
    山から三階の松枝を採ってくる。「足を洗う」と言って、枝元の皮を鉈で削って白い木肌を現す。門松・神棚・床の間・土蔵・小屋などに二本づつ、便所に一本というぐあいだから、結構な本数になる。二本のところには、注連縄(シメナワ)を張る。
  3. <お年取り>
    昔は年齢は数え年で言った。赤ん坊が産まれた瞬間に一歳なのである。そして正月に歳神様をお迎えして年齢が増えていく。門松やしめ飾りは、神様に来て頂くための目印というわけである。大晦日は「お年取り」といって、五目飯の豪華な食事だった。居間にお膳を並べて正座をし、かしこまった食事をした。
  4. 調べてみると、12月31日にお年取りの祝い膳をいただく風習は全国あちこちにある。僕が社会人になったとき、年越し蕎麦の淋しい風習には戸惑いを覚えたものである。
  5. 話を元に戻すが、年取り祝いの食事は黙々と静寂なうちに終わった。家長であるべき親父からは、セレモニーらしい挨拶はなかった。「頂きます」と「ご馳走様でした」の発声に妻子が唱和するだけだった。現代人が同席していたら、この食事風景に異様な雰囲気を感じたことだろう。
  6. 昔の食事作法はこうである。

    ・ おつくばり(正座、”蹲る”が転じた方言?)をする。
    ・ 黙ってたべる。
    ・ ご飯を食べた後、飯碗に茶を注いで残り粒と一緒に飲み込む。
    ・ 食後すぐ横になると牛になるので慎む。

    と言うぐあい。
  7. <サンクロウ>
    全国各地に「どんど焼き」とか「道祖神祭り」とかの松飾を焼く行事があるが、「サンクロウ」と呼んでいるところも多く、僕達の村でもそう言う。二回行なわれるが、一回目は7日の朝に門松だけを焼く。家の前に置いておくと子供連中が集めて廻り、町外れで焼くのである。
  8. <蔵開き>
    一般的にいう鏡開きと同じものである。農山村では大概の家に、蔵や物置小屋がある。昔は自分の家で沢山の道具を持ち、一次食品から二次加工・三次加工することが多かったので、それだけ保管場所を多く必要としたのである。福が入ると言って、蔵の戸を開ける。鏡餅で雑煮を作って、恵比寿様・大黒様に供えて食べる。
  9. <繭玉飾り>
    繭玉飾りは養蚕の隆盛を願ったもの。養蚕が農家の大きな収入源だったときの名残で、養蚕は衰退したが、風習だけはかなり残っている。米の粉を練って繭形の団子を作り、茹でて桂の枝に刺し神棚・床の間・物置・便所などに飾る。
  10. <道具年取り>
    農具・山道具等を木臼に入れ、切り餅を二つ重ねて供え、道具の年取りをする。若木といって、直径3寸(9cm)位、長さ2尺(60cm)位のヌルデ(ウルシ科・美しく紅葉する)の木を門口の両側に立てる。
  11. <鳥追い>
    農山村の冬は、子供達にとって小正月が楽しい。14日は「鳥追い」の行事がある。小学生以下の子供達が町中を歌を歌って練り歩く。

    ♪鳥追いだ〜鳥追いだ〜
      ジロオとタロオの鳥追いだ〜
      お〜れも、ちっと追ってやろ〜
      ホンガラホ〜イ ホンガラホイ
      と〜しを取ったらホンダレお呉れ


    (コントローラーの再生ボタンを押すと演奏します。)


    ジロオとタロオと言うのが何だか分からない。爺と婆のことを指しているのかもしれない。ホンガラホイは囃子詞、「ホンダレ」は、穂垂れのことで、全国各地で同じようなまじないをする。僕達の村ではヤナギの木を削りかけにして、13日に作り14日に鴨居から吊るす。昔中国から白い鳥が飛んで来て白い粉を撒き散らし疫病が流行ったが、ホンダレで祓ったら治まったという。それから行なうようになった行事だとの言い伝え。ホンダレは鳥追いの夜、子供達が集めて行く。

    <参考>
    ちなみに同じような行事を行なっている、群馬県前橋市総社町山王地区の鳥追唄を下記にご紹介する。

    ♪鳥追いだ、鳥追いだ
      ありゃあ誰の鳥追だ
      地頭どんの鳥追いだ
      頭切って、尻切って
      醤油樽へさらべえこんで
      佐渡島へぶん流せ
      おーほんや、おーほんや
      じらんぼっくり、おっかねえ


  12. この歌を歌いながら町内を廻り、寄付や小豆を集めて歩く。予め子供のある家を当番宿に決めておいて、そこに集結する。それぞれの子供達は食べるだけの餅を持ち寄り、汁粉を作って貰って食べるのである。
  13. 二回目のサンクロウは、15日の朝に行なわれる。門松はすでに7日に終わっているから、それ以外の松を下げて、子供達が集めてサンクロウ焼きをする。繭玉も一緒に運ばれて焼いて食べる。便所に飾った繭玉が虫歯にならぬと言って有り難がる。松の焼け残りは持ち帰り、屋根の上に投げておくと火事に遭わぬという。
  14. <オセイニチ>
    オセイニチは賽日の訛りであろう。薮入に閻魔堂に参る日で、本来は陰暦の正月16日と7月16日であるが、今は新暦で行なうところが多い。この日は仕事をしないことになっているが、薮入りと関係があるのだろう。厄年の者は、片丘村(現松本市)の牛伏寺(ごふくじ)にお詣りに行く。
    <参照>
    牛伏寺

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