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子供の頃
 終戦前後の生活 ●

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津島様

  1. 子供中心の行事に「津島様」という例祭があった。津島様とは、愛知県津島市にある津島神社のことである。その分霊社が全国各地にあるのだが、我が村にもお札を納めた小さな祠が祀られている。村内の各所に水場があって、祠は水場に隣接して鎮座している。総本社の例祭が六月十五日に行なわれるので、それに合わせて、実施されている。
  2. 例祭は天下泰平・国家安穏・五穀豊穣を祈願する祭りであるが、戦時中は特に戦意高揚を図ることが目的でもあった。子供連中が祭りの行進をするときに手に持つ角提灯は、各家の手作りである。墨痕鮮やかに、必勝祈願・武運長久と書いた。
  3. 行進曲は、水師営の会見である。当時は太平洋戦争の真っ只中で、対戦国はアメリカであるが、行進曲は日露戦争を勝ち抜いた軍歌が使われた。

    <参照>
    水師営 (会見場所)
    水師営の会見 (軍歌)


    水師営の会見地・旅順(帝国書院)
  1. 祭りの段取りはこうだった。上級生が山から松の立ち木と、名前が分からないが硬質の葉がサヤサヤとなる榊に似た木(ソヨゴか?)を数本切って来る。これを祠に面した国道沿いに立てる。それらの木と木の間に注連縄を張って、角提灯をぶら提げる。
  2. 一方、祠の脇には防火用水の地下水層がある。今はコンクリートのスラブになっているので安全だが、昔は丸太を何本も並べて蓋がわりにしていた。この上に山から切り出してきた雑木で小屋掛けする。この中に子供達が入って陣営としたのである。今でいう基地と思えば当たっている。ところが蓋の丸太がかなり朽ちていて、何人もで乗っていると今にも折れそうで怖い思いをした。折れればザンブと水の中である。
  3. 祠には、お神酒とシラスをお供えする。大人たちがお参りに来て賽銭をあげ拍手を叩くと、子供達は盃にお神酒を一杯注いでお礼をする。
  4. 祭りの陣営は町内ごとに張られる。夕方から三回ほど行進するのであるが、敵陣営のそばまで行くと、ありったけの大声を出して、敵を威嚇するのである。たまたま行進で鉢合わせをしたときは、隊列が入り乱れ、提灯が絡み合ったりする。敵陣の深いところでやるほど有利なので、行進前に斥候を出して、敵側の情勢分析も欠かせないのであった。

    津島様
    祭りの行進(贄川小学校沿革誌)
  5. 最大のクライマックスは度胸試しである。六年生がお墓などの場所を指定し、5年生に暗い夜道を向わせて脅すのである。とは行っても、それは戦時中の話だったと思う。僕自身は二年生で敗戦を迎えたので、体験がないのだ。

    <参照>
    津島神社
  1. 総本社の津島祭は、昭和三十八年に七月の第四日曜日に変更された。僕の故郷はどうであろうか。
  2. 太平洋戦争の敗戦によって、軍国調は一切排除された。男女同権で女の子も参加し、山を大事にするために松ノ木から竹になり、小屋掛けはテントになった。行進曲は曲名は忘れたが、歌詞は次のとおりである。

    津島様
    ♪さらさらさらと流れてる
     小川の水をそらごらん
     清らにすんできれいです
     わたしの心もすんでいて
     小川のみどりをうつしたい
 曲名のルーツを探る

 地元小学校のサイト掲示板に曲名探しの助けを求めたが分からなかった。もしかしたら当時、小学校の音楽の先生の作詞・作曲かもしれないと考えた。ツテを介して今は施設に入所しているという恩師に聞いて貰った。恩師のいうには、どこかから引用した歌だというのだ。

 そこで Googlの検索威力に頼ることにした。先ず、歌い出しを「さらさらさらと」で検索したがヒットしない。

 次にキーワードを「小川の水」で検索したところ、べら棒な数でヒットした。そこで「唱歌 小川の水」で検索してみた。その結果、ヒットした2番目のサイトによく似たメロディーを発見したのである。「散歩唱歌」と「散歩」の二つの歌である。

 「散歩唱歌」は大和田建樹(おおわだけんき) 作詞・多梅稚(おおのうめわか) 作曲である。春夏秋冬を詠った50番までの長い詩で構成されている。譜面無しで散歩しながら歌えるだろうかと疑問符をつけてしまう程だ。この二人は鉄道唱歌のコンビと言えば分かりやすい。明治34年(1901)に発表されている。一方「散歩」の方は先ほどと同じ曲に、昭和22年(1947)勝承夫(かつよしお)が改詞しているのである。こちらの方は2番構成の簡単な詩である。

 ここで僕特有の推理エンジンが起動した。「散歩」が発表された昭和22年といえば、終戦の翌々年である。敗戦によって軍歌が廃され、軽快な平和の歌として「散歩唱歌」がリバイバルしたのである。しかし歌詞はいかにも古文体である。そこで現代文に改詞されたというわけだ。「散歩」は昭和22年5月文部省発行の「二ねんせいのおんがく」に登場した。

 ここまで調査と推理を重ねた時点で、僕は「津島様」の元歌が「散歩」であろうと確信するに至った。ちなみに教育基本法が施行されたのは、昭和22年3月31日。特徴的なのは「男女共学」である。それまで津島様の祭りが男児だけだったのが、この年から女児も参加するようになった。

 さて、伝統芸能である津島様の行進曲に「散歩」を採用しようとしたのは、前述の経緯を考えると、むしろ必然の成り行きであろう。しかし「散歩」の歌をそのまま歌わせるには、何となく不安を感じたのかもしれない。ここは国定教科書とは無縁の立場を取って、独自性のある歌にした方が無難であると考えたのではなかろうか。

 その結果、4行詩を5行詩にして1番だけとし、メロディーも少し変えて独自性を持たせた。僕に記憶はないが、黒板に楽譜を書いてオルガンを弾き、直ぐに覚えさせたのではないかと推測する。

 推理はこの辺にして、それぞれ曲を聴き比べていただきたい。双子のような響きを感じないだろうか。なお、今回の現地における聞き取り調査をお願いした、木曾郡楢川村在住の麗子さん、採譜をお願いした京子さん並びに贄川小学校の先生には、労多いご協力をいただきました。お礼申し上げます。

津島様 (コントローラーの再生ボタンを押すと演奏します。)

散歩
散歩唱歌(春夏秋冬)

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