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ノミ・シラミ・回虫
- 蚤(ノミ)や虱(シラミ)には悩まされた。とは言っても誰もが共通の悩みというのは、それほど深刻にはならないのである。誰の身体にも蚤や虱がいるし、どの女の子も、頭に毛ジラミを飼っているとなれば、うっとうしいと言う程度のものだ。
- 蚤は茶色でピョンピョン跳ねていた。下着を脱いだら畳の上に丸めておいて、端っこから少しずつめくっていく。蚤を見つけたらパッと閉じて、今度は慎重にめくって捕まえるのだ。捕まえたら指で少し揉むと、奴の足はダメージを受ける。次いで床に置いて親指の爪でプチンと潰すのである。
- 大きな蚤の背中に、小さな蚤が負んぶしていることがよくあった。小さい雄が大きい雌に乗っかって交尾しているのだ。蚤の夫婦という言葉の語源である。
- そこへいくと、虱は跳ねる性質はない。白い色をしていて、吸血すると透き通って血が黒く見える。下着の縫い目に隠れて繁殖し始末に終えない。
- 毛虱の痒さに大概の女の子は、授業中に頭を掻いていた。虱を退治するために、DDTを頭に振り掛ける風景は、当時は当たり前だった。
- 回虫とひとくくりでいうが、回虫とぎょう虫がおもな寄生虫だった。回虫は白いミミズみたいなもの。ぎょう虫は小さいが、肛門がムズムズして痒い。当時、農作物の肥料は下肥が普通であった。生野菜を食べると付着している寄生虫の卵が、経口感染したのである。
- これを駆除するために、海人草を飲まされた。海人草とは、紅藻(まくり)に甘草(カンゾウ)などを加えた回虫駆除薬である。校庭に据えた大釜で煮てその汁を飲んた。利いたのかどうか分からないが、あるとき便所で気が付いたら、尻からぶら下がっていたので利いたのだろう。僕は新聞紙の落とし紙でおもむろに摘み、引っ込まれないように千切れないようにと、静かに引き抜いたことがあった。事ほど左様に、昔は寄生虫との共生が日常のことだったのである。
- そういえば、回虫博士の異名で話題になったのは、東京医科歯科大学・寄生虫学の藤田紘一郎教授ではなかったか。寄生虫感染症における免疫学の権威である。教授は、インドネシヤのカリマンタン島で、木材の伐採に携わる日本の商社員が、マラリア、アメーバ赤痢などで倒れることが多いことをきっかけに、熱帯病の研究を始めたのだそうだ。一方ジャングルに住む人達は、汚れた川で水浴びをしているのに、極めて健康なことに注目した。アトピー性皮膚炎や、花粉症などのアレルギー性疾患を患う人がいないと言うのである。
- 研究の結果、寄生虫が特異的IgE抗体という物質を人間に作り出していることが分かった。そんな教授は一時、ヒロミちゃんと名付けたサナダ虫を、体内に飼っていた程のつわものである。
- こんな話を聞くとと、何だか昔が懐かしい。そう言えば、昔は花粉症など無かったな〜。
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