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荷馬車
- 終戦前後の運送事業は、蒸気機関車・木炭自動車・荷馬車だった。僕達に最も身近な存在は荷馬車である。すぐ近くに、この商売をやっている家があって、僕は閑さえあれば遊びに行った。二歳上の栄吾という先輩がいて、「エイチャ」と呼んでいた。チャンとは言わずにチャなのである。ちなみに僕のことは、「マサ坊」である。下の者に対しては、大がい坊を付けて呼んでいた。
- そのエイチャとは、僕はどういうわけかウマが合ったのである。そのエイチャの親父さんが、馬方をやっていた。荷馬車で物を運んで、賃稼ぎをやっていたのである。
- 荷馬車は砂利道をガタゴト通る。馬はときどき尻尾を上げて、馬糞を落として歩く。たまたま僕の家の前でしたところを親父が目撃すると、「マサ拾って来い。」といわれて、僕はシャベルを持って拾いに行った。それを畑に持って行って野菜なんかの肥料にするのである。ちなみに牛のウンコはベタベタして汚らしいが、馬は形よく丸く落としていくので、拾うのも簡単で嫌な気持ちはしなかった。
- 遠くの友達の所に遊びに行ったときや、学校の帰りなど、たまたま荷馬車が通りかかると、僕達は勝手に荷馬車の後ろに乗っかった。馬方のオイさん(小父さん)の断わりもなしに、さも当然の権利があるようにだ。
荷馬車
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- 馬小屋もよく覗いた。藁やトウモロコシの茎を押し鎌で5cm位に切り、飼葉桶に入れてやると、美味しそうにパクパクよく食べた。
- 馬小屋の閂(かんぬき)が外れて、たまには馬が逃げ出すこともあった。村の中を走っていると、どっかのオイさんが、「ドードー」と大手を広げて馬をなだめる。その辺に繋いでおくと、そのうちに馬方が引き取りにくる。
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