このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

朝倉・広瀬古墳群(26.7.20)

関東地方で群馬県は古墳が多い。数の上では前橋市が多く、その中でも、前橋台地と呼ばれる地帯に群をなしている。この台地は赤城山と榛名山の火山活動による裾野の形成に関係する。両方とも裾野が長く、二つの山がせめぎあった隙間に利根川が流れている。

太古の時代はダムも堤防もないから洪水のたびに乱流し、扇状地が形成される。その扇頂点は渋川市の坂東橋あたりである。利根川の洪水によって大量の土石が運ばれ、長い年月にわたって一大扇状地が形成されてきた。その範囲は高崎市・前橋市・玉村町の地域に及び、これが前橋台地である。

広大な台地にはあちこちに人が住み、ムラが形成されて豪族が出現した。そして強大な権力の象徴として古墳を造ることになった。その時代は4世紀から7世紀までの400年間で、これを古墳時代という。

ところで古墳を造るのはどのような場所であろうか。それは洪水の心配がなく、暮らしの糧となる農業と狩猟や漁業の3拍子が得られることが好条件の場所である。その場所は河川を眺められる高台である。

利根川の変流時期は応永34年(1427室町時代)の大洪水が有力視されている。それまでの利根川は、現在の広瀬川と桃ノ木川が本流であった。この地帯を「広瀬川低地」と 呼んでいる。この低地にいまは多くの前橋市民が生活し、高台に団地の高層ビルが出来てその隙間に僅かの古墳が残っている。

そのような場所を如実に物語っている古墳群がある。実は先ごろ、前橋市教育委員会事務局文化財保護課によって「朝倉・広瀬古墳群-平成26年6月」が発行された。ー群馬の古墳時代はここから始まった!!ーという副題まで付いている。簡潔にして明瞭にできている。16ページの小冊子であるから、あらかじめ熟読した上で現地を訪れると、もしかしたら往時に思いを馳せることができるかもしれない。

朝倉・広瀬古墳群GoogleMap

 

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