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15.9.27しらびそ高原 <どこにあるの?> - しらびそ高原は、長野県南東部の上村(かみむら)にある。アプローチの関係から北隣の大鹿村も表示した。両村とも東側が静岡県と接している。
(上村は、平成17年10月1日 飯田市に編入合併している。)
上村位置図 |
- 上村は尾根が複雑に派生し、深いV字谷が刻まれている。沢山の支流が一つになって、やがては天竜川に合流する。県境は南アルプスの名だたる峰が南北に連なっている。
- 大沢岳(2,819m)から北西に派生した尾根は、丸山と奥茶臼山の中間から南西に反転する。山の端(はな)はやがて、東を流れる遠山川と西を流れる上村川の出合いで消滅する。しらびそ高原とは、派生尾根のしらびそ峠から御池山あたりをいう。
- 中心となるのが村営宿舎ハイランドしらびそ。標高1909mの高原から東に南アルプス、北東に中央アルプスが展望できる。
- 高原へのアプローチは国道152号を南北から、もう一つは中央自動車道から矢筈トンネルを通る3本である。
しらびそ高原(mapion) |
<アプローチ> - 僕達は中央自動車道の松川ICから真東の大鹿村へ向かった。小渋川に沿う林道をひたすら走る。道はくねってスピードは出せない。10月下旬であれば、ダム湖から上流にかけては紅葉の名所となろう。
- 遡るほどにダムは狭まり、湖頭近くで松川町から大鹿村に変わる。やがて峡谷が深まって更に進むと、R152のT字路にぶつかり、青木川に沿って南に遡上する。人家のない林道は一段と狭まるが、幸い対向車がないまま、着いたのが安康である。
R152大鹿村安康地籍
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大鹿村の案内標識
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- 「中央構造線-安康露頭入口」とある。踏み分け道を下って行くと、川に侵食された断層があった。複雑に何層もの色の違いが確認できたが、写真はその一部である。
中央構造線の標識
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中央構造線の露頭
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- ここを後にするが、幸いに舗装道路は続く。地図を見るとR152はここで途絶えて、地蔵峠を越して上村川を下ってから再び現れることになっている。つまり中間がないのである。このような国道は地図で探してみると幾らでもある。当然、山岳部が多い。
<上村に入る> - 車で走っていると、この峠には気が付かず、いつの間にか上村に入っているという具合だ。道もR152から蛇洞林道に変わっていて、更に高度を上げて行く。分水界を越えているので、川は南に流れている。
- やがて程野からの道と合流し、車幅が少し拡がった。シラベ・トウヒ・天然カラマツが多くなってくる。突然リスが車の前に立ちはだかって、逃げようともしない。車から降りてみると、目をパッチリと開けてじっとしている。カメラを構えて近づくと、やっと路肩の藪に身をよけた。しかしどうも道路を横切りたいらしく、さかんに首を出したり引っ込めたりしている。その理由はすぐに分かった。道路の反対側にクルミの木があり、落ちた実を拾うためだったのだ。
- 順調に走り高度を上げて行く。上村川の谷底が遥かな下に見える。前方が開けて尾根の鞍部に着いた。しらびそ峠(1833m)である。20台位とまれそうな駐車場があって、急斜面の縁に展望台の柵がめぐらされている。名古屋ナンバーの車が数台いた。中高年のグループが南アルプスがよく見える尾高山(2212m)に登って行くところであった。
しらびそ峠から南アルプス
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- ここから先は、南アルプスエコーラインと呼ばれる。少し登ると村営のハイランドしらびそ(1909m)に着く。やけに大きい物を造ったものだと感心する。利用客は少ないようであったが、高規格道路の三遠南信道路が全線開通すれば救いの神になるのかどうか、しかし全通はかなり先の話だ。
- 話はそれるが、しらびそ高原を知っている人がどれだけいるだろうか。諏訪湖から南の観光地はそれ程知名度がないのである。中央アルプスと南アルプスに挟まれて、天竜川沿いの直線移動に限定されているためだ。
- しかしここを訪れた者には、喧騒から離れて静かで汚れの無い自然を堪能できるのが嬉しい。
ハイランドしらびそ
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ハイランドから南アルプス
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ハイランドから中央アルプス
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<クレーター> - そういえば、この高原は邪魔な光がないので、天文マニアが多い。今も空き地で、昨夜の天体観測の夜露で濡れた観測機器を干しているRV車がいる。ハイランドしらびその館内にも観測写真が数多く展示されていた。
- もう一つ今月の初め、クレーター発見のニュースがこの地を賑わせた。地方紙のみならず、中央紙も報じた話題のクレーターとは、高原の南に位置する御池山(おいけやま1905m)の東斜面に落ちた隕石によるものである。
- 発見したのは、長野県飯田市立竜岡小学校の坂本正夫教頭である。僕は群馬県で読売の9/5紙でこのことを知った。
- かねてからしらびそ高原の存在を知っており、一度はここを訪れてみたいと思っていた矢先の新聞記事であった。たまたま長野県まで行く用事があったから、躊躇なくしらびそ高原まで足を伸ばすことにしたと言うわけだ。
- クレーターの発見で上村は沸き立った。すかさずクレーターを一望できる場所と、南アルプスエコーラインの入口に標識を立てたのである。
クレーターの見える場所
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御池山の東斜面がクレーター
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- ラッキーなことに僕達は、発見者の坂本先生に現地でバッタリと行き合ったのである。偶然といえば偶然だが、考えてみると今日は土曜日で時間も11時である。学校が休みで、関係機関の取材が多いのであろう、ここで出会えるのは必然であろうと思った。
- 僕はピンときたので新聞の切り抜き記事を見せて、「もしかして、先生ではありませんか。」と訊いてみた。先生は物静かな笑顔で「そうです。」と答えてくれた。学会発表と報道以後だいぶ多忙のご様子である。
- 今日は取材を受けているのだという。道脇の岩石を調べているところであった。若い同行者が、さかんに一眼レフのシャッターを押している。取材の車は、名古屋ナンバーのRVであった。
- 先生は教職に就いて以来、南アルプスの秩父帯を研究していたそうである。20年程前に研究地域内で凹凸地形に出会い、インパクトクレーターではないかとの仮説を立てたとのこと。その後も研究を続けては発表してきたが、このたび岡山理科大学の研究者と、確定的な成果として発表したのだという。
岩石の前で坂本先生(右)と
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<下栗の里> - ところで今回ここを訪れたのには、もう一つ理由がある。「信州百峠/(株)郷土出版社」の「しらびそ峠」の項にあった、<40度の斜面に人家が点在する下栗>の活字が気になっていたからである。
- 御池山を後にして、エコーラインを南に下る。約1,000mまでの高度まで下がった辺りに下栗があった。
- 里の入口に「高原ロッジ下栗」がある。ここから急斜面が、合い向かいの山との間にV字谷を刻んでいる。底に流れているのは、南アルプスを源流とする遠山川である。
- 急斜面のあちこちに民家が点在していた。なぜこんなところに集落が発達したのであろうか。考えられるのは林業の就労人口が多かったということだろうか。車社会の今では想像もつかない昭和中期頃までは、人の移動が困難なゆえに、この地に住まわざるを得なかったのであろう。そういえば、ハイランドしらびその広場には、林鉄の機動車とトロッコが設置されていた。
下栗の里
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ここの傾斜は41度
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- それでも地図を確認すると、山全体の中で集落を構成する一帯は比較的なだらかな方である。出来るだけ主食になり得る作物として蕎麦が栽培されており、他にはトウモロコシ・小キビ・シコクビエ・ジャガイモの在来種である二度芋などが栽培されているという。多く目についたのは茶であった。赤石銘茶だそうだ。
- 作物を作ることによって山肌が裸地化され、豪雨や地震のときに土砂崩れが起きなければいいがと、僕はつい心配してしまう。しかし長い歳月をこの地に暮らした住民からすると、よそ者の心配は杞憂というものであろうか。
- R152に下りた所には、下栗の里の標識の脇に真新しいクレーターの案内板が設置されていた。
エコーラインの入口
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<参考> -
中央構造線ってなあに?
- (株)郷土出版社(2016.2末廃業)
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