このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


 ここへ行ってきました 

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18.10.22〜23紅葉の奥飛騨

 定例のA兄弟会は、乗鞍岳周辺の周遊旅行と相成った。二男二女の四兄弟、僕は次女の連れ合いだから、その一員である。幹事は木曽に住む長女であるが、同居の跡取り息子がその役目を担っている。彼は松本市の建材会社に勤めている。その彼が今回のミニ旅行を計画した大きな理由は、奥飛騨温泉郷の旅館のリニューアルに携わったことにある。いわば、世話になったオーナーのために客引きを買って出たというわけだ。 

<前橋市から松本市へ>

  1. 僕の家から松本市へのアプローチはいくつかあるが、今回は北関東自動車道から上信越自動車道に乗り継いで、東部湯の丸ICで下りて、一般道を松本市へのルートを選択した。朝立ちなので、ETC通勤割引有効に利用できるからだ。100km以内だと50%割引になるのでこれは大きい。東部湯の丸ICまでは97.6kmの走行である。
  2. ジャスト7:00出発。群馬-長野県境は少し色づき始めている。佐久平の田園はハザかけの風景が広がって、背景の浅間-高峰高原は紅葉の真っ盛り。R254の三才山(みさやま)トンネル辺りはかなり染まってきた。
  3. 松本市の中心街に入ったのは、予定より30分も早かった。通りがかりの松本市総合体育館で、イチョウの実を拾って時間つぶしをした。

<乗鞍>

  1. 松本市の中心地から長野自動車道と交差して、貸切バスはR158を西へ向かう。このまま直進すれば上高地方面であるが、奈川渡(ながわど)ダムを過ぎて前川渡で左へ曲がり、南西に進路を変える。少しのあいだ前川に沿って走るが、突然ヘアピンのごとく、180度右に反転して台地の上に駆け上がる。
  2. ここは乗鞍岳摩利支天岳を水源とする、二つの川に挟まれた乗鞍高原のしっぽに当たる。等高線の間隔が大きく開いて、微妙な曲線を描いている。まさに桃源郷ともいうべき台地である。
  3. 昼時となり、腹ごしらえをするために立ち寄ったのが、その桃源郷にある「そば処・いがや」である。予約客で溢れていたので、店前に萱すだれで囲いをした小屋でそばを食べた。穏やかな陽気の元で、周りの景色を眺めながらの昼食だ。運転手殿が店の人と知り合いらしく、特別にサービスしてくれたそばおやきは逸品だった。


    のんびりと順番待ち

    水車小屋でそばを挽く


  4. 鈴蘭スーパー林道と交差し、乗鞍エコーラインになる。広葉樹の色づきが多彩になってきた。口々に木々の名前を言い合う。しばらく多種多様な広葉樹が山腹を彩り、天然カラマツも負けじと黄葉を誇っている。勾配が増して登る程にシラカバからダケカンバに変っていく。
  5. 三本滝ゲートでマイカー規制が行なわれ、ここからは緑ナンバーだけの通行となる。シラベの森林も出現して、紅葉と緑の混在する対比が鮮やかである。あたかも美の競演というところだ。勾配がさらにきつくなって、運転手はハンドルさばきに余念がない。突然路肩に停車した。対向車もないのでエンジントラブルかと一瞬緊張したが、運転手の顔はいたって穏やかだ。そして我々に降りるようにとの指示があった。
  6. 何事かと不審に思っていると、説明が始まった。降りた側に勢いよく水が流れている。それが冷泉だというのだ。一見ただの沢のようだが、これは上のほうから流れてきているのではなく、すぐ上の岩穴から噴出しているそうだ。飲めるから飲んでみろという。コップに一杯汲んで飲んでみるとエライ冷たくて一度には飲めなかった。美味であることは確かだ。


    冷泉が噴出している
  1. 高度を上げるほどにダケカンバが矮小になってきた。すでに葉は落ちて、よじれた枝は妖怪を思わせる。展望が開けて森林限界となった。山肌は一面のハイマツに被われている。大雪渓では早くもスキーを楽しんでいる姿が見られた。
  2. 県境を岐阜県側に越すと、乗鞍スカイラインに乗り継ぐ。平成の大合併によって、松本市と高山市がつらなった。南に乗鞍岳(3,026m)が見えるが、厚い雲の下に黒く沈んでいる。ちなみに乗鞍岳は、日本列島を縦断する大分水界の最高地点である。南に流れる水は太平洋、北に流れる水は日本海に流れる。北側を見ると桔梗ケ原の台地をスカイラインが通っている。その先、烏帽子岳四ツ岳の間を延びていくことになる。北アルプスをはじめ、遠くの山々は雲に遮られて見えない。


    鶴ケ池

    スカイラインのさき烏帽子岳と四ツ岳
  1. 桔梗ケ原から西方を見ると、岩井谷の山腹は白樺の幹がおびただしい白筋を描いて、まるで東山魁夷の日本画を見るようだと評する者がいた。

<平湯大滝>

  1. R158に出て東に向かう。ヘアピンカーブを右に回転すると平湯温泉街が指呼の間に見下ろせる。三方を紅葉の山に囲まれての大パノラマだ。大滝川を少し入ると平湯大滝公園。駐車場には車が多い。前回訪れたときにはこんなではなかったのに、ずい分と建物が多く、大きな足湯などがあって様変わりしたのには驚いた。


    平湯のヘアピンカーブ遠景

    大滝川

    平湯大滝

    足湯

<奥飛騨温泉郷>

  1. 奥飛騨温泉郷とは言っても、源泉ごとに各地に湯宿が点在している。すぐ近くには平湯があるが、それを見過ごし、一たん下って栃尾から県道475を蒲田川に沿って遡る。奥飛騨温泉郷神坂が今日の目的地だ。今年の7月にリニューアルオープンした旅館である。全館タタミのつくりでスリッパはない。エレベータの中もタタミ、廊下もタタミという凝りようである。今までだと、廊下からドアを開けると靴脱ぎがあり、洗面所とトイレが連なっているというのがパターンであった。
  2. それがこの旅館は僕らの既成概念を、かなり否定して客を迎えたのである。便所がどこだか分からずウロチョロする。洗面室には、信楽焼きか何かの手洗い鉢であろうか。パネルの上に置かれた形になっている。これ、乱暴に顔あらったら飛び散らないだろうか。 背の低い人はどうするの。蛇口のレバーが鉛筆より細い鉄筋のようで頼りなく、それを人差し指でおっかなびっくり上下させるという具合である。
  3. 窓の外を見ると展望が阻害されて、陶器の浴槽と木製の角浴槽がデンと座っている。湯口からは、とうとうと湯が注がれ、浴槽の縁から惜しげもなくこぼれ落ちている。あらかじめ幹事から話は聞いてはいたものの皆驚いた。キャッチフレーズは、「24時間掛け流し。部屋の内装は和風。家具調度品はモダンアジアンティストの暖かみあふれる味わい。」とあるから、よく分からないけれど、そう言う気分にならなくちゃいけないと、むりやり僕たちは納得することにした。
  4. 取りあえずは上階の貸切露天風呂に皆で入ることにした。ところがである・・・浴槽に手を入れた途端、勝手に腕が反動してしまった。さっき仲居さんから説明を受けたとはいえ、これほどのものとは思わなかった。あまりの熱さに撃退されるのではないかと恐怖を覚えてしまった。
  5. 結局は水道の蛇口を目一杯開いて、適温になるまで10分は待ったであろうか。貧乏性の僕は、水道料金のことまで心配したのであるが、もしかしたら、湯も水もメータは付いていないかもしれないと思い直した。後からきた女性陣は、めんどくさいから女風呂を諦めて、断わりもなしに男風呂に入ってきてしまった。ま、どうせジジイとババアだから構わないか。
  6. 水をうめて入るのは部屋の風呂も同様だった。俗に「湯水の如く」というが、実際にあったとは恐れ入った。
  7. ともあれ、飛騨牛朴葉味噌はうまかったし、露天風呂からの眺めは絶景である。穂高の峰々は天高く、蒲田川の白く平坦な広川原の眺めは心も洗われる心地だ。蒲田川は他に類を見ない様相を呈している。急勾配でありながら穏やかな川の流れである。しかし過去には豪雨のたびに土石流災害に悩まされた地域である。そのため砂防工事は常に行なわれており、旅館の露天風呂から見えるかっこいい地獄平砂防堰堤も2006年10月11日に完工式が行なわれたばかりである。

<飛騨大鍾乳洞>

  1. 天気予報によると翌日は雨のはずであったが、うまい具合に昨夜に降って、今朝は爽やかな高雲だ。バスは昨日の道を取って返し、旧丹生川村に向かう。目ざすは飛騨大鍾乳洞&大橋コレクション館である。R158から北に少し引っ込んでいる山の中に入る。駐車場に降り立つと、背後に切り立った岩壁を控え、山側に大きな建物があり、駐車場をはさんだ谷側に数件の飲食・土産店が並んでいるのが目に入った。


    鍾乳洞のある山


  2. あらかじめネット割引券を手にいれておいたので、10%引きで入場できた。最初にコレクションを見学したのであるが、正直度肝を抜かれてしまった。コレクターは鍾乳洞の発見者、故-大橋外吉氏であるが、手当たり次第に珍しいものをかき集めたという印象が深い。あらゆる場所であらゆる分野の品々を、金に糸目をつけず買いあさったのではないかと思われた。美術品・装飾品・陶磁器・象牙細工・化石などはいうに及ばず、虎のペニスまであるから吃驚してしまう。
  3. 鍾乳洞は第1洞から第3洞の三つに分かれて、連絡トンネルでつながれている。洞内スピーカーによる解説は、他の鍾乳洞と大差はない。見終わると、第3洞から屋外に出て、屋根つき通路を下ってくる。その途中の垂直の岩壁を見上げると、鍾乳洞発見の場所という標識がある。大橋外吉氏は鉱石の採掘調査をしていて鍾乳洞を発見したそうだ。


    洞内1

    洞内2


  4. 洞内から早く出た僕は、仲間を待っている間に妙なものを見つけた。広場のあちこちに、のぼり旗があって「両面すくなの里」と書いてある。さらに上下の屋外駐車場を連絡する階段の近くに木製の案内板があって、こちらのほうは、漢字で「両面宿儺洞」と書いてあるではないか。しかも矢印標示が、切り立った岩壁の方向を指している。コレクション館で質問すると、昔この地方に怒った顔と笑った顔の両面を持つ妖怪が隠れ住んでいた洞窟があるというのだ。


    両面宿儺洞の案内板


  5. 調べてみると、日本書紀に登場する話のようだ。妖怪の身体には頭の前後に顔が二つあり、腕と足が前後一対の4本あったという。朝廷に背いて民衆を苦しめていた朝敵で、仁徳天皇65年に朝廷が差し向けた武将によって退治されたという。しかし高山市丹生川町の千光寺善久寺は、両面宿儺を開基としており、飛騨国に仏教を伝えたという。飛騨国、美濃国の多くの古寺でも両面宿儺を信仰の対象としており、千光寺には両面像の武将像や、円空作の笑いと怒りの二つの顔を持つ像が安置されているという。どうやら実態は力のある豪族に対して、それを邪魔に思う朝廷が妖怪に仕立てた、どこにでもある伝説ではないかと思われる。

<高山→帰路>

  1. ここまで来ると、やはり高山の古い町並を見なければならぬ。駅に近いラーメン屋で飛騨ラーメンを食べ、上三之町から陣屋を廻って帰路につく。再び平湯に戻り安房トンネルを高山市から松本市に抜ける。ちなみに前々から気に掛っていた「安房」の由来について調べてみた。長野県安曇と岐阜県**の古地名によるものかと想像したが、それは否定されて意外なことが分かった。かつて修行のため安房峠を越えた日蓮が、出身地である安房国(あわのくに/千葉県鴨川市)より命名したのものと判明した。
  2. トンネルを抜けると、色鮮やかな梓川が待っていた。それは昨日の経由地、前川度までの道中で続いた。ここでも高年のアマチュアカメラマンが、盛んにシャッターを切っていた。
  3. 今回のコースは何回か体験済みであるが、天候に恵まれ、しかも紅葉最盛期に遭遇したのはラッキーであった。松本市を後にして帰路に着く頃雨が降り出して、自宅に着くまでワイパーを動かしどおしであった。


    梓川の紅葉1

    梓川の紅葉2

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