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19.4.5〜6山梨花めぐり 以前から山梨の花めぐりをしたいと思っていた。とりわけ桃の花には定評がある。今年の冬は変な気候で、開花のタイミングが難しかった。インターネットの開花情報に注意しながら、ぎりぎり三日前に宿を予約した。 4月5日 前橋市から甲府盆地へ - 前橋市からのアプローチは、関越道—圏央道—中央道である。途中、圏央-あきる野ICから中央-相模湖ICまでは、一般道を走る。中央自動車道を順調に走り、勝沼ICまで来ると甲府盆地の南東入口である。中華なべのような斜面がピンク色に染まっている。
- ここで降り、集落をつなぐ間道を釈迦堂まで走る。正面の白銀のスカイラインは、3,000mを越す南アルプスの峰々だ。昨日は前橋は霰、東京は霙が降って道行く人を驚かせた。南アルプスにも新雪が降ったのだろう、際立つ白さである。
釈迦堂 - 甲府盆地は周囲を山に囲まれて、扇状地があちこちに発達している豊かな土地だ。緩やかな斜面にブドウやモモの栽培が行なわれている。居住地と農園が混在しており、この季節は山の頂から眺めると、まるでピンクの絨毯を敷き詰めたように華やかである。
釈迦堂の桃源郷 |
南アルプス |
- 釈迦堂PA下り線の直ぐ山手に、釈迦堂遺跡博物館がある。標高450m地点で、この季節の人気スポットになっている。周辺は桃園があって樹下で間近に花が見られ、眼下には盆地のピンクの絨毯を遠望できる。いま農家の人達が摘花作業におおわらわである。アマチュアカメラマンが園地の中を移動して撮影ポイントを探している。僕らも農家の人にお許しの言葉をかけて写真を撮りまくる。
博物館前の花桃 |
遠くの丘陵もピンク色 |
- 実は、開花の適期を判断するのに便利なサイトがある。笛吹市のホームページから一宮南小学校のライブカメラが参考になる。
- かなりあちこち歩き回って、女房は疲れてしまったようだ。一旦盆地を離れて富士五湖に向かうことにする。
- 国道137号(旧鎌倉往還)の御坂トンネルを越すと、富士山が前山を従えて聳えている。河口湖の手前で、ちょうどお昼時。立ち寄ったのが民芸調の「ほうとう不動」という専門店である。カボチャを溶かした味噌汁が鉄鍋に入っていて、太い麺、野菜やキノコ、豚肉などの具がたっぷりと入っている。武田信玄が戦時食として、多くの野菜を入れたのが、甲州風として受け継がれているという。
忍野八海 - 忍野八海とは言いながら、どうも実体がよく分からない。現地へ行ってみても、何かが食い違っているようなのだ。インターネットで調べた池と、現地の風景とが合わないのである。村営の無料駐車場に車を置いて、係員の指差す方向に歩いて行くと、土産物屋が軒を並べた通りがある。自然とそちらに足が向いて、歩を進めていくと「湧池」がある。その近くに、円形の池を中心にした二重池のようなものがある。この円形の池を見るためには土産物屋の中を通らなければならない。
- 忍野八海は国の天然記念物に指定されているが、そのリストに載っていないところをみると、どうやらこの二重池は、八海の仲間には入っていないらしい。そうであれば、店員の勧誘で買い物を強いられてもやむを得ないかもしれない。
- しかし富士山の湧き水が噴出している池であることには変りがない。池の水は澄んでいて、深さ10m以上はあるのに、クッキリと底まで見えて、虹鱒が悠然と泳いでいる。
湧池 |
この池は八海に入っていない |
水草の上を泳ぐ虹鱒 |
山梨県立リニア見学センター - 都留市にあるが、リニア実験線の走行試験の開始に合わせて開館した県立施設である。走行試験の様子を見学したり、展示物やビデオ等によって解説している。走行の見学は建物のガラス張り展望室のほか、山上展望台から見学できる。
- 超伝導で車体が浮くため摩擦音はないが、実際には轟音を鳴り響かせて通り過ぎるので吃驚する。考えてみると、それなりの重量があるから、磁力の反発力を受け止める構造物には、応力による歪音が発生してもおかしくはない。それと風切音であろう。
- 僕のデジカメは最初に発売されたCanonのIXYである。トンネルから姿を現したリニアカーに合せてシャッターを押した時には、リニアカーはすでに頭の後ろに過ぎ去っている。カメラのモニターには、トンネルしか写っていなかった。
- そこで山上展望台に移動した。ところが300段もある急な山道を見上げて、我が女房殿は怒って建物に戻ってしまった。僕は必死で山を目ざした(お蔭で3日間筋肉痛で苦しんだ)。そんな僕にエールを送ってくれたのは、唯一シジュウカラであろうか。しきりに囀っている。冷たい風が吹き付ける山上からキャッチした写真は、被写体を逃さないように、あえて広範囲に写してトリミングしたものである。
橋を渡ったリニアカー |
山梨県笛吹川フルーツ公園 - 大月ICから中央道に乗り、勝沼ICで降りる。この辺りはブドウで有名だ。甲府盆地の北東、山梨市に向かう。山の斜面を駆け上がると、眼下にピンク色の絨毯が広がってきた。公園からは盆地の全景が見渡せる。日は西に寄ってきたが、今朝見た釈迦堂の扇状地が、盆地の南側に陽を浴びて輝いている。正面の富士山には、雲がかかってきた。
盆地はピンクに染まっている |
- モモ・スモモがいま花盛りである。秋にはブドウその他の果樹が実をつける。今はオフシーズンであるが、果実が実る次期には賑やかになるだろう。
石和温泉 - 石和温泉街を近津川が流れており、観光客が楽しめるように木製の歩道が両岸に設けられている。川に張り出すように架けられているので、手摺もあるから安全。ソメイヨシノがちょうど満開である。今夜お世話になるホテルFのすぐ近くに祭典本部があって、「石和よさこいよっちゃばれ祭り」が開かれた。
- 風もなく割合あったかいので、威勢のいい拍子の音に誘われて見物に出た。ライトアップされた、さくら温泉通りを練り歩く様は勇ましい。見物人の中には中国語だか韓国語だか分からないが、若い男女のグループが行き来する。最近あちこちの観光地で目にするようになった。
桜通りのライトアップ |
踊りの列 |
- 今まで公共の宿が多かったが、今回は「ゆこゆこネット」の宿を利用した。無料雑誌が毎月送られてくるのだが、その中から読者が選んだ風呂部門を受賞した宿を予約した。結果は宣伝どおりで、風呂の男女入れ替えもいい。夕食バイキングは、ステーキ・寿司・刺身の屋台と餅つきショーがあってこれも楽しかった。今は公共の宿よりも安い宿が多くなって、今後の利用が多くなりそうだ。
4月6日 甲斐善光寺 - 武田信玄によって創建された甲斐善光寺は、甲府市にある。正式には定額山浄智院善光寺(じょうがくざんじょうちいんぜんこうじ)という。信玄は川中島の合戦で信濃善光寺が焼け落ちるのを恐れ、甲斐に本尊などを移したのだという。一旦は長野県東御市(とうみし)に移したが、その後甲斐の法城寺を経てこの地に移された。
- 当初、信濃善光寺のものとほぼ同じくらいの大きさであったが、火災によって失われ、再建されて規模は小さくなった。それでも東日本においては最大級の木造建築物である。信濃から移した本尊は、その後返されて新しく本尊を造立した。
善光寺本堂 |
武田神社 - 甲府駅から、緩やかな坂道を真直ぐ北上すると、突き当たりに武田神社がある。武田信玄を祭神とする。信玄の父-信虎が永正16年(1519)に石和より移した躑躅ヶ崎館跡に建てられた。館跡には当時からの堀、石垣、古井戸等が残っている。
- 広い境内には神社創建の折、県内各所より寄進された樹木が繁っている。境内にある「三葉の松」は全国でも珍しい。その中の小道を、ウォーキングしている人達がいた。
武田神社前 |
武田神社入口 |
舞鶴城公園 - 舞鶴城(まいづるじょう)は、甲府駅の近くにある。武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城された。豊臣政権下では徳川家康を牽制する要所であり、徳川政権下では、西側への備えとして重要性を保ち続けた。天守台はあるが天守があったかどうかは不明で、石垣、堀の一部が残っている。現在、舞鶴城公園整備事業が行なわれている最中である。石垣は草や苔も生えず、いかにも新しい感じがする。
舞鶴城お堀 |
- 天守の復元も目指しているそうで、天守を描いた絵図や古文書などの物証がなく、懸賞金付きで資料を探している。
甲府盆地から身延町久遠寺へ - 甲府盆地の南側で、笛吹川と釜無川が合流し、富士川となる。この辺りまで、中部横断自動車道が延伸し、増穂ICが設けられた。身延町へは、国道52号を走る。
- 身延山久遠寺(くおんじ)は、日蓮宗の総本山。文永11年(1274)、佐渡での流刑を終えて鎌倉に戻った日蓮は、この地に庵室を築いて弟子の育成を行った。それが久遠寺の始まりである。
- 8年後、病のため下山し、信徒であった武蔵国池上(現-東京都大田区)の宗仲邸に身を寄せていたが、弘安5年(1282)に生涯を閉じ、遺骨は身延山に祀られた。
- 久遠寺の桜はすでに散っていた。いつもの年よりは開花が早かったようだ。本堂前の石段を上りきった所に、いま五重塔復元工事が行なわれている。
久遠寺 |
勤行の列 |
大津山実相寺 - 身延町から同じ道をバックし、増穗ICから中部横断道-中央道と乗り継いで、須玉ICで降りる。国道20号から、大武川まで張り出した扇状地の崖っぷちを這い上がるように車を走らせると、台地が広がっている。北杜市武川町山高地区である。
- 豊穣な畑作が行なわれているようで、スモモの果樹園の向うに水仙の花畑、それを前景として、桜の花が山裾をおおっていた。それが日蓮宗大津山実相寺で、日本で一番古いと云われる「山高神代桜」が有名である。樹齢約2,000年といわれるエドヒガンザクラ。老齢化により枯死の危険性があることから、4年間にわたる樹勢回復事業が行なわれて、今年は鮮やかな花を咲かせたそうだ。
台地にスモモ咲く |
実相寺参道 |
水仙畑 |
神代桜 |
菓子工場見学 - 南アルプスの麓にある菓子工場を見学した。アイスクリームを作っている。試食もできるので、子供連れのファミリーに人気がある。僕達も年を重ねるほどに甘いものが好きになってきたから訪れた。深い林に囲まれて、近くを神宮川が流れている。北方に八ヶ岳が見える。
工場の一部 |
- ガラス越しにプラントを見下ろすと、アイスクリ−ムの種類ごとに製造工程が眺められる。それを見ながら、アイスクリ−ムを試食するというわけだ。お土産コーナーもあって、他の工場で作っている菓子も並べられている。工場の所在地は、山梨県北杜市白州町で、甲斐駒ケ岳の花崗岩で濾過された良質の水が良い製品を生んでいる。同じ理由で、すぐ近くにはSウイスキーの工場もある。
北杜市風林火山館 - 国道20号から、釜無川の左岸に車を進める。すなわち南アルプスの山麓から八ヶ岳高原に場所を変えるのである。中央自動車道の小淵沢ICを右に見て、八ヶ岳高原ラインに入る。桜はまだつぼみである。最初の八ヶ岳牧場を過ぎた辺りで、右折し、せっかく稼いだ高度をいっきに下る。すると道路際に風林火山館がある。
- これは、前述した武田神社に登場した「躑躅ヶ崎館」を模した建物である。NHKの大河ドラマ「風林火山」の撮影の為に造られた。観光客もちらほら見えて、北杜市の観光ボランティアであろうか、武具を着けて写真撮影に協力してくれた。
風林火山館 |
信玄と謙信 |
三分一湧水 - 風林火山館は、JR小海線-甲斐小泉駅の近くであるが、このほかにも観光スポットがある。戦国時代に、三つの村に農業用水を等分するために造られた三分一湧水(さんぶいちゆうすい)もその一つ。武田信玄の発案で造られたと言われているが、真偽のほどは定かではない。
八ヶ岳の湧水 |
手前から三方に分水する |
- 実はここも北杜市であって、もとは長坂町、八っツの町村が合併して市になった。山梨県で最も広い。八ヶ岳高原を水源とした地下水脈がいく筋も通っており、多くの湧水が市を潤している。八ヶ岳南麓の湧水は標高1,000メートルから1,200メートルに帯状に点在し、その数はおよそ40を数える。
- 北杜市は、山梨県の北西部に位置している。清らかで豊富な水資源が自慢である。高原性の気候で日照時間は日本一長い。
- 前回訪れたときに比べてずい分と整備された。三分一湧水館という資料館ができて、この駐車場に車をおけるので便利になった。
<参考>
山梨県訪問図Googleマップ
(60KB、少し重いので時間がかかります。)
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