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 ここへ行ってきました 

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22.11.7〜9蓼科〜伊那〜木曽

 僕は8人きょうだいの末っ子で、生まれたのは長野県木曽街道の北端である。あちこち渡り歩いて、群馬県前橋市で漸く落ち着いた。2人の兄と1人の姉はすでに亡くなり、現在は男2人、女3人という構成だ。
 10月の末、長野県塩尻市に住んでいる、すぐ上の姉から電話があった。木曽福島町で一人暮らしをしている89歳の長姉が、すぐ近くにできた老人ホームに入るというので、その手続きに同行したというのである。その際、長姉から兄弟会をやってくれないかと頼まれたそうだ。正直、やはりそういう時期がきたかというのが実感だった。
 長姉には3人の娘がいるが、そのうち2人は病の身、1人は幼い子を置き土産に夫に若死にされて愛知県春日井に住んでおり、少し遠い。こんなで、いずれは老人ホームへの入居の道にあったのだ。
 ときどきなんでもない所で転んだりして、歩くときには歩行車を転がすが、幸い頭は衰えず、いまだに辛辣なことをいう。
 みんなが元気なときには兄弟会をやっていたが、2005年で誰いうともなく終了した筈だった。寄ると触ると病気や薬の話ばかりで、動きが鈍くなっただけでなく、話し方が「あれ・これ言葉」を多用して、何を言わんとするのか話すほうも聞くほうも疲れてしまう。そんな訳で、兄弟会はもうないものと思っていたのに、また厄介なぶり返しになってしまったのだ。
 結局、頼まれたすぐ上の姉が困ってしまうので、一応、今回が最後のつもりで他のきょうだいとも全員が応ずることにした。メンバーは連れ合いも含めて男4人、女6人。
 計画は、すぐ上の姉夫婦にお願いして、男3人が車を提供して、開田高原をドライブし、木曽町の駒の湯に宴を張ることになった。
 僕達夫婦はお互い末っ子同士であるから比較的達者で、兄弟会だけで高速道路を使うのは勿体無いと、蓼科の白樺湖に前泊して紅葉見物のドライブをしっかり楽しんだ。 

 <1日目-麦草峠・白樺湖>

  1. 群馬県から上信越自動車道の佐久ICで降り、山梨方面に向かう。佐久穂町から右手にそれて国道141号へ入る。愛称をメルヘン街道という。しばらく広葉樹の紅葉が続き、高度を上げると枯葉となるが、そのうちに八千穂高原の白樺の群生地帯へと変る。その広さは日本一だそうだ。幹が陽光を反射して輝いている。千昌夫の「北国の春」は、作詞者:いではくがこの近くの南牧村の出身で、八ヶ岳の情景を思い描いたものだという。
  2. さらに高度を増すごとに、黄金色のカラマツ帯になる。これも白樺に負けず劣らずの広さだ。さらに高度を増すと、ダケカンバに変わり、コメツガ・シラビソ・トウヒなどの針葉樹帯へと植生は次々と変わり、見応えのある山岳ドライブが楽しめる。


    白樺群生地

    カラマツ群生地


  3. 今日はゆっくりドライブであるから、朝の出発も遅かったし、目的地の白樺湖までは時間がたっぷりある。そこで、いつもは通り過ごしとなる白駒池を見ることにした。麦草峠のすぐ手前が登山口で有料駐車場がある。そこから白駒池までは、針葉樹林帯の散策路をたった700mの距離である。道はよく整備されていて歩きやい。倒木は朽ちて苔むし、苔に覆われている。そこに種が落ちて芽を出し、大木が倒れると日光が射すと、待機していた若木が競って成長を速める。競争に破れた若木は志なかばで枯れてしまう。倒木の上に育った若木が競争に勝つことが多く、やがて大樹となる。根元を見ると、根の芯がなくタコの足のごとく沢山の巻き根によって支えられている。つまり倒木がすっかり腐ってなくなり、そのような形になったという訳だ。屋久島と同じである。
  4. 白駒池(しらこまいけ・湖面標高2,115m)は、白駒峰の噴火により信濃川水系の大石川がせき止められて誕生した堰止湖である。清冽・幽玄・静寂など一言で形容できる言葉がない。白駒池の畔には白駒荘という山小屋がある。メルヘン街道がない頃は多く利用されたことであろう。そこから池の風景が一望のもとだ。周囲は樹林に囲まれて静寂そのもの。


    白駒池

    白駒荘


  5. 僕達は今日はタウンシューズで来た。しかし高気圧に覆われて気象が安定しているので、思い切って尾根筋にある高見石まで足を伸ばすことにした。行程はおよそ40分、岩が多く、足元が心許ないので、ゆっくり歩を進めた。斜面が丸っこいので、木の間越しに常に空が見え、一見、尾根が近いような錯覚を受ける。しかし勾配はしだいに緩くなり、やがて目の前に山小屋が見えた。

    高見石小屋

    高見石


  6. 小屋の右手に大きな石が累々と広がっている。それを登って直ぐに頂上の高見石(2,270m)に到達した。360度の展望である。先ずは俯瞰する樹海に浮かぶ白駒池を見た。そのはるかな先に群馬県境の山並みが霞んで見える。左に目を転ずると、同じ尾根筋の北に丸山、反対側の南に中山。遠くには北アルプスが屏風のように連なっている。


    白駒池

    北アルプス


  7. 駐車場までは別ルートの歩きやすい道で、約30分。このところの好天で、ぬかるみはなく、霜柱があるのみだ。結果的には、逆ルートの方が歩きやすいことが分かった。巨木の根元を見ると、倒木上更新や石上更新の樹木が多い。中には、根幹のないタコ足のような根だけで支えられた巨木が多い。倒木の上にこぼれた種が発芽し、周りの若木に打ち勝って成長し、苗床だった倒木が朽ち果てて無くなってしまうという理屈である。


    ダケカンバの巨木

    石上更新の樹木


  8. 麦草峠(2,127m)はかつて国道の標高日本一を標榜していたが、有料道路-志賀草津道路が無料化して国道292号になったため、日本一の座はそちらの渋峠(2,172m)に明渡してしまった。
  9. メルヘン街道をかなり下って、ビーナスラインに乗り換えて再び登る。行くてに見えるは縞枯山(しまがれやま・2,403m)である。シラビソやオオシラビソが帯状に枯れ、山頂に向かって長い年月をかけて移動する現象で、何列もの白い縞状に見える。縞枯れ現象の原因は不明であるという。


    縞枯山


  10. 白樺湖に着いてチェックインにはまだ早いので、青天の穏やかなスキー場に登り、蓼科高原-池の平のパノラマを見た。車でゲレンデの管理道路を登り、樹林の開けたところで景色をしばし満喫した。白樺湖ビューホテルのチェックインは16時。


    ゲレンデからの展望


  11. 白樺湖ビューホテルは、今はやりの格安形式のホテルだ。スタッフを最小限に抑えて過剰なサービスはしない。チェックインの際に、館内のすべての説明がなされる。和室も寝床はできていて客室係もいない。我々には気楽でいい。夕食は手のかからないバイキングであるから言ってみればテイクアウトである。飲ん平にはアルコール飲み放題が嬉しい。ただしビールや酒をサーバーからコップや徳利に注ぐのは、やり方を直ちに理解できずに、まごつぐしきりである。

     

    白樺湖ビューホテル

<2日目-茅野市・高遠町・伊那市・木曽町>

  1. ホテルを出発して茅野市(ちのし)に下る。茅野市は、八ヶ岳、白樺湖、蓼科高原、車山など観光資源を多く抱えている。精密機械を基盤とする工業都市であるとともに、高原野菜の産地としても名高い。冬の寒さと乾燥した気候を利用して角寒天を製造し、その殆どが茅野市で生産されている。諏訪地域で最大の人口を擁している。
  2. 諏訪湖の南側に進むと、諏訪大社上社の前宮神社に着く。これと言った大きな社はないが、歴史的には上社本宮よりも前から存在していたという。だから前宮というのだろう。昨年諏訪大社の御柱際がテレビで放映されたが、前宮の本殿にも境内を取り囲むように4本の御柱が建てられている。


    前宮本殿

    御柱


  3. ここから沓掛峠に向かう。紅葉は見頃で、峠を少し過ぎたところに売店がある。ここからの見晴らしは雄大で、右手から大ざっぱに八ヶ岳・蓼科山・霧ヶ峰・塩嶺と続き、眼下には諏訪湖が広がっている。
  4. なだらかな坂道を下って行くと、桜で有名な城下町-伊那市高遠町である。この季節は閑散としている。ここに絵島の墓がある。6代将軍徳川家宣の側室で、7代将軍徳川家継の生母-お喜世の方(月光院)に仕えた。月光院の右腕とも言われ、大奥の公務一切を取り仕切り、大奥内で最も政治的権力を持つ御年寄の立場にあった。・・・が、あるとき江戸の芝居小屋に立ち寄り、帰城が遅れた。そして役者の生島新五郎との密会を疑われ、信濃高遠へ流された。27年間の閑居生活の後、寛保元年(1741)に死去。その墓所がここ蓮華寺にある。 


    蓮華寺



    絵島の墓

    本堂を見降ろす


  5. 伊那市の「かんてんぱぱガーデン」に行く。伊那食品工業の工場であるが、社員自らが快適な職場環境を・・・という思いが、いつしか美しい庭園となり、人が訪れるようになったという。寒天を主材料とした菓子・健康食品など、多種多様の商品を開発製造している。いまやその名はクチコミから始まって、知名度は全国区となった。僕達もNHKのラジオ深夜便を聞いて、今回の寄り道訪問となった。敷地は、広域農道を挟んで敷地が上下に分かれており、僕達は上のエリアに入った。美しい庭園に囲まれて研究所や各種の目的を持った建物が散在している。庭園は訪問者が和みを得られる樹木の配置と、広場の配置にバランスと清潔さがあり、売店の商品も洗練されたレイアウトで、思わず購買欲をそそられてしまう。これほどの美観と清潔さは外注によるものではなく、製造社員自ら行なうのだという。ラジオ深夜便で語る社長のコンセプトには学ぶべきことが多いと思われる。


    かんてんぱぱガーデン


  6. 南箕輪村ですでに故人となった兄の連合いである兄嫁を拾って木曽へ向かう。途中伊那市西箕輪の、はびろ農業公園みはらしファームで昼飯。宿泊施設や天然温泉、地物野菜の直売所などいくつもの施設があって楽しい。伊那の広大な扇状地と南アルプスが見晴らせる。ファームの真ん中を権兵衛街道が通っていて、その昔は峠越えで木曽に米を馬に背負わせて運んでいた。権兵衛トンネルの開通後は閉鎖されている。


    とれたて市場

    保養センター羽広荘


  7. 木曽山脈に高規格の権兵衛トンネルを潜って、木曽福島駅へ向かう。国道361号の権兵衛(ごんべえ)トンネルは、木曽山脈を貫いて木曽谷と伊那谷を結ぶ、4,467mの長さである。平成18年(2006)2月に開通した。昔、伊那から木曽谷へ米を運ぶため古畑権兵衛なる牛方が開いたと言われる権兵衛も今はこのトンネルによって、あっという間に両谷が行き来できるようになった。聞けば、特に木曽の人たちがこのトンネルを利用して伊那へ病院通いしたり買い物に行くらしい。いよいよ木曽の国道19号に近いあたり、姥神峠道路の急こう配を緩和するためのループ橋がある。


    権兵衛トンネル

    ループ橋


  8. 木曽福島駅で群馬県高崎市から新幹線とL特急を乗り継いでやってきた姉夫婦を迎えて、きょうだい会のメンバー全員がそろった。


    駅前の商店街

    木曽福島駅


  9. 3台の車に分乗して開田高原に向かう。先ずは地蔵峠が目的地である。国道361号をしばらく走り、旧飛騨街道にそれる。程なく前方に唐沢の滝が見えてきた。先客の車が3台ほど。いずれも本格的ないでたちのカメラマンだ。何回も場所を変え、或いは滝に近づいたりして、シャッターを押している。我が方にも、その昔FフィルムのDPEを担当していた義兄がいて、ここで我々グループの集合写真を撮ってもらった。車で通れるこの道と相前後して、左に右に交差する山道がある。この山道が旧飛騨街道である。そのようなところには、それを示す道標が建てられている。この旧街道を歩き昔を偲ぶ旅をしている旅行者が現在でもいるだろう。


    唐沢の滝

    旧飛騨街道


  10. ここを後にしてさらに高度を上げ、地蔵峠を少し越えたところに開田高原の雄大な景色を見られる展望台に着く。昼頃から少しパラパラ降っていただけに、御嶽山全体が雨雲に覆われている。ときどき稜線は肉眼で分かるのだが、写真に写すのは無理だった。またの機会だ。


    地蔵峠

    展望台


  11. 開田高原に下りて、木曽馬の里に向かう。木曽馬は日本在来種の馬で、一時、絶滅寸前まで至ったが、木曽馬保存会が中心となって活動が行なわ、現在は200頭ぐらいまでに増加した。小型の馬で大人しく、子供も安心して触れることが出来る。ここには30頭ほど飼育されており、乗馬も楽しめる。


    木曽馬の里


  12. 開田高原から木曽駒高原に向かう途中、地場産業の商品を売る店に立ち寄った。蜂蜜・工芸品・薬草・農産物の加工品などを扱っている。なんと言っても名産品は「すんき」と呼ばれる漬物だ。麹菌によって野菜を乳酸菌発酵したもので、塩は使わない。味噌汁に入れると美味しいといって、幹事役の姉は種菌を買い込んだ。僕達はすんきの試食をして酸っぱかったので敬遠し、餅粟と餅キビの脱穀品を買った。米に混ぜて炊くと美味しいので好きだ。
  13. いよいよ今夜の宿「駒の湯」に向かう。雨が降り出して、宿に着いてから本降りとなった。湯の源泉は冷泉である。加温・加水して薬草を加えて循環させている。内風呂・露天風呂ともに 強烈な薬草の香りが漂い、身体がよく温まるような気がする。もしかしたら薬草の臭いで、覚醒状態になるのではないかなどと思った。
  14. 広間で宴会が始まったが、お互いに歳をとって語彙がとぼしくなり、話し方がつっかえてばかりいる。「あれだよ・・・、それだよ・・・」が多くなってしまった。この土地に関連した話題が中心であるから、まあ何とか理解できたというものだ。
  15. テーブルが5人ずつの向かい合わせで、端っこ同士が聞こえるように、大声で2時間も中断なくしゃべっているのだから、すっかり疲れてしまった。静かな一夜を過ごそうとした広間の相客には、さぞ迷惑をかけただろう。・・・と、これは翌朝になっての反省であるから後の祭りだった。それでも朝食に顔を合わせた相客が僕達と顔を合わせた時に「いいわね〜」と言ったのは、皮肉だったのか、羨ましがったのかは判然としないが、妻は相手の笑顔から後者であろうと結論づけた。


    駒の湯

<3日目-伊那・有賀峠・ビーナスライン・佐久>

  1. 翌朝、宿の前で、きょうだい会は解散となり、伊那の兄嫁と同乗して伊那市のJA産直店でそれぞれ買い物をし、そこで別れた。高速道路は使わず、辰野町から有賀峠を越えて諏訪市に向かった。
  2. 辰野町は伊那谷の北端に位置し、天竜川が流れている。古来より交通の要衝として発展し、JR中央線と飯田線が分岐し、中央自動車道の伊北ICがある。


    辰野町の桜並木


  3. 昨日通った道とは違うルートでビーナスラインを通って立科に下りる。途中立ち寄ったのが蓼科第二牧場である。ライダーの若者が何人かストーブを囲んでいた、僕達もそれに加わり温かい牛乳を飲んで身体を温めた。牛は放牧はすでに終り、牛舎に入っている筈である。


    蓼科第二牧場の休憩所

    佐久から浅間山


  4. 立科から佐久ICへ向かう。高速道路も順調、前橋市へ帰る。碓氷軽井沢ICを通過中の、秋の日を浴びる高岩が綺麗だった。


    高岩の雄姿

<走行距離>全行程584km

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