このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


 ここへ行ってきました 

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23.5.2〜3奈良井宿〜小野おんばしら

  <1日目-奈良井宿>

  1. 平成23年(2011)4月から始まったNHKの連続テレビ小説「おひさま」。長野県の安曇野と松本を舞台に、戦争前後の生活を一人の女性を主人公ヒロインが語る物語である。そこに何回か登場する昭和初期の雰囲気を伝える町並みに奈良井宿(ならいじゅく)が登場する。僕の生まれた旧楢川村に属していたが、平成の大合併によって塩尻市に編入合併した。昭和53年(1978)、宿場町として重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。中学時代はよく歩いたものだが、他県に住んで疎遠となった。しかし連続テレビ小説に触発されて久しぶりに訪れた。
  2. 江戸時代には、信濃川水系と木曽川水系とを往来する、中山道の鳥居峠を越えるための宿場町が発達した。それが木曽十一宿の中では最も栄えた奈良井宿であった。奈良井千軒と言われ、宿場町の長さは約1km程である。
  3. 木曽路の入口には、案内の石碑が建っている。「是より南 木曽路」とある。ここから谷筋は狭隘になる。杉林の背後には奈良井川がV字谷を刻んで流れ、やがて犀川と合流し、最終的には信濃川となって日本海に注ぐ。
     石碑を過ぎるとすぐに桜沢と言う集落がある。奈良井川の崖ップチに軒を連ねているが、明治天皇が立ち寄った名家がある。僕の同級生の生家であるが、彼は若くして物故している。その兄貴は旧楢川村の村長を務めたことがある。


    是より南 木曽路

    明治天皇 桜沢 御小休所


  4. 贄川の集落、さらには木曽平沢の集落を過ぎて、いよいよ奈良井宿に入る。駐車場は国道19号沿いの「木曽の大橋」のたもとにある。大橋は総檜造りで橋脚のない太鼓橋だ。橋を渡ってJR中央西線のガードを潜り、右に曲がると奈良井宿の北の入口である。外れに奈良井駅があるから鉄道の旅もしやすい。


    木曽の大橋

    奈良井宿の入口


  5. 街道筋には何箇所も水場があり、それぞれの小沢から引いた水を柄杓で飲むことができる。屋敷は、千本格子と二階を道路側に突き出す「出梁造り」の構造で、押しなべて家と家との隙間のない軒を連ねた異次元の町並みだ。


    水場

    軒を連ねた町並み


  6. 越後屋は行灯・軒灯・のれんなどで客の目を引いている。格子戸を入ると、漆器類の民芸品を並べてあり、おやき・手打そばなど手作りの食事が味わえる。
     造り酒屋の「杉の森酒造」には、二階の軒下に大きな杉玉が架かっている。一階二階ともに格子が見事である。


    越後屋

    杉の森酒造(株)


  7. 今しも、民家から出てきたお婆さんが、背負い駕籠を背中に負って坂道を登って行った。山畑に野菜を採りに行くのだろうか。僕も昔、山羊の餌を採りに行ったことがあるから懐かしく思った。
     伊勢屋は元々牛馬宿をしていたのだそうだ。土間の南側に馬屋があり、家に出入りしていたらしい。御休泊の看板を掲げており、今でも客を泊めている旅籠である。


    駕籠を背負う老婆

    伊勢屋


  8. 奈良井宿には、上問屋と下問屋の二軒があり、月の半期ずつ交代で問屋業務を行なっていた。その名残の上問屋資料館(手塚家住宅)は、国指定の重要文化財である。明治天皇奈良井行在所(あんざいしょ)の石碑が建っている。
     少し先へ行くと、鍵の手と呼ばれる卍形に似た交差路がある。攻めてくる追ってを欺く為の工夫である。


    上問屋史料館

    鍵の手-正面に水場


  9. 奈良井宿は峠に近い方から上町・中町・下町で構成されるが、中町に至って観光客の姿が多くなった。才田屋漆器店は木曽漆器を店頭に並べ、ひやかしの客で賑わっていた。


    観光客もチラホラ

    才田屋漆器店


  10. 鎮神社は、街道筋の住民が下総(千葉県東部)の香取神社から御神体を迎えて疫病を鎮めたのが名の由来である。もちろん旅人も道中の安全祈願をした。


鎮神社

<2日目-小野おんばしら>

  1. 信州(長野県)の諏訪大社に奉納される御柱祭を、テレビでご覧になったことはないだろうか。七年目ごとに挙行されるが、周期年で数えると6年間隔である。諏訪大社の関連神社は全国各地にあって、似たような祭典を行っているところが結構ある。ちなみに、わが群馬県でも2010年4月11日、南牧村(なんもくむら)で、御柱祭が盛大に行われた。本数は1本であるが、300年位続いているという。
  2. 今年、我が女房どのの里からお呼びがかかり、群馬県からはるばる車を飛ばすことと相成った。諏訪大社の翌年開催で、「小野おんばしら」と呼んでいる。
  3. 小野とは、塩尻市北小野と辰野町小野との境界にまたがる「両小野地区」と呼ばれる地域を指す。ここに塩尻市の小野神社と辰野町の矢彦神社の二社が隣接している。両社とも古くから信濃国二之宮として人々の信仰が篤い。それぞれ4本、併せて8本の御柱を建てるのだから、まさに荘大である。県外に出ている子弟や一般の観光客が押し寄せて狭い道は身動きができない程の賑やかさだ。
  4. 1月から3月まで「山出祭」、5月3日から5日まで「里曳祭」と「建て御柱」が行われる。観光客が殺到するのは、ゴールデンウィークに合わせた後者の祭りである。諏訪御柱の勇壮さに比べ、小野御柱はきらびやかな衣装に特徴がある。「人を見たけりゃ諏訪御柱、綺羅を見たけりゃ小野御柱」と言われるゆえんである。かん高い木やり歌に、歌い手・観客ともに酔いしれる。
  5. 3日にはJR中央辰野線に特別列車「おんばしら号」を走らせて、宮前の踏み切り付近で10分ほど停車させて御柱の曳行見学をさせ、さらに小野駅に着いてから神社へ5時間近い歩行見学時間を取ると言うイベントを設定した。木曽に住んでいる僕の姉は申込みをしたが外れてしまったという程に、人気を呼んだらしい。
  6. 小野神社への曳行は塩尻市の氏子が行い、矢彦神社への曳行は辰野町の氏子が行なう。


    小野神社


  7. 5月2日、里曳祭に招待してくれた親戚のすぐ近くが、矢彦神社へ奉納する御柱が明日の出発を待っていた。一方、神社の境内では氏子たちが建て御柱の準備に追われていた。


    矢彦神社

    建て御柱の準備


  8. 5月3日、出発地点にまします御柱は、4本のうちの3号柱である。四つの地区が一本づつ柱を受け持っている。8時15分、花火の号砲が連発し、女性の神主さんが祝詞をあげて、氏子が代わるがわる木やり歌を歌い、雲助と呼ばれるひょうきんな仮装の若手が高らかに声を張り上げてこれに続いた。


    安全祈願の祝詞

    里曳きの開始


  9. 雲助が、ハタキのおばけのような「おんべ(御幣)」を振って気勢を揚げる。進軍ラッパを吹いて、綱引きのタイミングを計る。曳行はコロをつかい、カーブで柱の向きを制御する。


    雲助がおんべを振る

    曳行


  10. 観光客も幾ばくかの動力源として、親綱に結ばれた白色の子綱を引っぱった。


    観光客も曳行に参加

    雲助の気勢がくり返される


  11. 里曳きは二日間にわたって行なわれるため、今日は中間地点で終了する。明日4日は引き続き里曳きのうえ、矢彦神社に達する。そして5日にクライマックスの建て御柱となり厳かなうちに御柱の奉納が完了する予定である。


休憩地点

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