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23.5.12〜14茨城県への旅 <まえがき>
茨城への旅行を思いたったのは去年の暮れであった。北関東自動車道の全線開通が2011.3.19に繰り上げされたからである。3月13日の足利インターチェンジで行なわれる「開通フェスタ」も楽しみにしていた。宿の予約も手配した。その矢先の3月13日、東北地方太平洋沖地震が発生した。大地震・大津波にとどまらず、東京電力福島第一原子力発電所の被害が日を増すごとに甚大であることが報じられた。
計画した観光地も当然被害があるだけではなく、余震も頻繁に発生している。一方、被災者のことを考えると、遊び呆けていていいのだろうかと、不謹慎な気持ちが湧いた。しかしそのうちに、被災地の方々から、ぜひ観光に来てほしい。そして買い物をして欲しいとの切なる訴えが報道されて、予定通り決行したのである。 <1日目:竜神大吊橋-袋田の滝-五浦海岸-国民宿舎 鵜の岬> - 北関東自動車道は群馬県-栃木県-茨城県を東西に結ぶ総距離145.2kmの道路で、以前から待望されていた。大した距離ではないが、それぞれの県界には丘陵地帯がはだかって、交通を阻んでいたのである。それが全通によって時間距離を一気に縮めたのである。実際に走ってみて実感を強くした。九つのトンネルがそれを物語る。
- 茨城県の最後のトンネルを抜けると、沿線の風景が一変した。瓦屋根の上にブルーシートを被せた家が多いのである。那珂ICを下りて目的地へ向かうと、平野部から次第に山間部へと変っていくのだが、一つ分かったことは、平野部において土地造成のために埋め立てたところが地震の被害が大きいらしい。液状化と思われるが、その影響は道路の陥没等にも著しい。
ブロック塀も落ちている |
マンホールの蓋が路面 |
- 常陸太田市-奥久慈県立自然公園の中心に、竜神川がV字型にえぐられた竜神峡。竜神川をせき止めて作られた竜神ダムにかけられた橋が竜神大吊橋。375mの長さは、歩行者専用としては本州一。ダムの湖面からの高さは100m。一度に3,500人もの人が渡っても大丈夫だそうだから、全く問題ないらしい。主塔は、竜神峡にちなんで竜をかたどっている。ゲート開門は8時30分であるが、僕らは1時間も早く着いてしまったので駐車場の展望台から橋の全景を見るに留めた。
竜神大吊橋 |
竜をかたどった主塔 |
- 袋田の滝は、久慈郡大子(だいご)町袋田にある滝。久慈川支流の滝川上流にあたり、長さ120m、幅73m。冬の氷瀑はテレビで放映されることがある。華厳滝、那智滝とともに日本三名瀑のひとつに挙げられる。観瀑トンネルを通り、エレベーターで新観瀑台に昇ると、そこからは四段の滝の全景が望める。昨夜の雨で水量は豊富とみえて、霧状の飛沫が顔にかかる。
袋田の滝 |
- それにしても袋田の町並みは閑散として活気がない。僕等が車に戻るまでの間に観光客の姿は10人を割っていた。土産店に店員の姿を見たのは2軒だけであった。地震の被害はなく、山の中腹に土砂崩れが1箇所みられたが、地震なのか単なる降雨によるものなのか判然としなかった。
- いくつも峠を越えて海岸線の国道6号に出る。途中から北茨城市の大津町に入って細い道をのろのろと進む。見かけたのは地震で潰れた家で、このあたりは古い漁村の町並みが続いており、こうなるのも運命かなあという感じがした。一方そうも言っていられないのが大津岬灯台である。鉄鋼のアングルで補強された支柱の中に横長状に黒く見えるのは、コンクリートが破損して落下した痕で、やはり地震は大きかったのだ。
潰れた家 |
補強された大津岬灯台 |
- 灯台の西側には建てこんだ家並みが広がっているが、随所にブルーシートをかけた家が多い。瓦屋根の家ばかりである。灯台のすぐ北側に五浦岬公園がある。この公園を突っ切って進むと断崖になる。入江を挟んで対岸に、いわゆる五浦海岸(いづらかいがん)の景観が望める。五浦とは五つの浦が開けていることからその名が付けられた。約1kmに渡って岬と入江が入り組む海岸線はすばらしい眺めだ。
五浦の被害状況 |
五浦岬公園 |
- 五浦海岸は岡倉天心や横山大観らが、美術活動にいそしんだ地で、日本近代美術史を彩る舞台である。天心は明治の日本美術院の主催者であった。思想家であり、日本美術院の主催者として、この地に住居を構えた。太平洋に張り出した岩盤の上に、天心自身の設計により、観瀾亭という赤い六角形の堂を建てた。天心はここで太平洋を眺め、波の音を聞きながら思索にふけったという。この地は平成8年度に環境庁より「残したい日本の音風景100選」として認定された。
- 観瀾亭は現在は六角堂と呼ばれて、茨城大学五浦美術文化研究所が管理している。2011.3.11の東日本大震災によって、六角堂は海中に没してしまった。断崖の上に六角形の赤い基礎が残されている。いずれは再建されるものと思われる。
<下の写真をクリックすると茨城大学五浦美術文化研究所のサイトにリンクされ、被災前の画像が見られます(再建復興されて、平成24.4.28から一般公開しております)。>
流出した六角堂 |
- 市道添いに天心遺跡の一つである長屋門があり、茨城大学五浦美術文化研究所の看板を掲げている。六角堂はこの研究所に入り見学するのだが、震災の為休館している。道路の斜め相向かいには天心の墓所がある。
茨城大学五浦美術文化研究所 |
天心の墓 |
- 茨城大学五浦美術文化研究所を後にして北に向かうと、程なく県道354号に合流し、その先に茨城県天心記念五浦美術館が見えてくる。しかし休館中-立入禁止の表示があり、地震の被害があったことは確実であった。
- 6号線をしばらく南下して、日立市十王町に入る。茨城県立国民宿舎-鵜の岬が今日の宿だ。日本一の超人気国民宿舎であるから、予約をするのに苦労した。3ヶ月前の1日から電話だけの申込みで早い者勝ちだ。2月1日受け付け開始の8時30分に電話したが話中で、何度か繰り返したが駄目。翌日の2日に電話して5/12(木)を予約できた。
- その矢先の3月11日、東日本大震災が発生した。国民宿舎-鵜の岬は大きな被害を受けて休館に追い込まれた。しかし頑張ってゴールデンウィーク初日の4月29日、再開に漕ぎつけた。
- 国民宿舎は伊師浜国民休養地内にある。広大な自然林を活用して整備し、スイレン池や小高い丘の上に散策路が配されて各年齢層ともに人気スポットとなっている。8階の展望温泉大浴場からは、左方に長く延びた白い砂浜と、中央から右手にリアス式海岸の鵜の岬が見える。崖上はクロマツを主体にした森に覆われている。眼下の渚には白波が砕けて潮騒を奏で、プライベートビーチの趣がある。
国民宿舎-鵜の岬 |
スイレン池 |
- 太平洋の視界は180度の大展望でまさに心が和む。ここ鵜の岬は、長良川などの鵜飼で使っている海鵜を捕獲する唯一の場所としても有名で、時期が合えばそれを見学できるという。震度6強の地震で捕獲小屋も破損したが、今は捕獲を再開しているという。しかし断崖のあちこちで崩壊の場所があり、立ち入り禁止になっている箇所が多い。
岬の断崖に鵜の捕獲小屋がある |
宿舎から太平洋の眺め |
<2日目:原子力科学館-国営ひたち海浜公園-大洗水族館-かんぽの宿大洗> - 国道6号を再び南下する。ちょうど通勤時間に当たって渋滞が激しい。カーナビを頼りに、海岸に近い方の道路に逃げたが間違いだった。道路の破損箇所があって通行止めになっていた。だから国道が混んでいたと納得した。その国道も随所に段差注意の看板がある。とりわけ久慈漁港から日立港あたりの国道は波打っているだけでなく、使用不能の車線を封鎖して、反対車線を仮設の対面通行にしている箇所もある。埋立地の液状化が顕著であった。あちこちにガレキの山もあるから津波の被害もあったのだろうか。
段差注意の看板 |
- ようやく着いたのが、東海村の原子力科学館である。原子力や放射線について基礎的な事柄を学ぶことができる。人類は、原子力や放射線を人の手で制御し、豊かな生活のために役立たせる方法を見出してきた。しかし先頃の福島第一原発の事故は、人類の奢りに警告を与える結果となった。スリーマイル島・チェルノブイリの原発事故、死者2名と667名の被曝者を出した東海村JCO臨界事故のパネルが掲示されているが、いずれは福島第一原発も加わることになろう。
原子力科学館 |
- ひたちなか市にある153.2haという、広大な面積を誇っているのが国営ひたち海浜公園。園内は、レンタルサイクルやシーサイドトレインでの周遊ができ、遊園地・林間アスレチック・バーベキュー広場なども人気。みはらしの丘は茨城県内の工事の建設残土100万㎡を利用して整備した人工の丘で、ひたちなか市では海抜58mと最も高い土地となった。丘の上からは360度の景観と、園内の緑の風景が目に鮮やかだ。太平洋が一望でき、頂上からは西に那須連山、南に筑波山が見える。この季節の花々は、みはらしの丘のネモフィラが一番人気。他にも菜の花・リナリアという金魚草に似た花・シャーレーポピー・クリスマスローズなどが楽しめる。
園内の風景 |
ネモフィラが咲く |
- 大洗町のアクアワールド茨城県大洗水族館は那珂川の河口近くにある。今度の地震において、観客やスタッフに負傷者はなく、生物や施設にも大きな被害はなかった。ライフラインも回復し、点検・修繕等により館内の安全が確認されて、4月11日通常営業を再開した。それにしてもここも観客は少なかった。しかし水族館の主役たちは人間達には何のかかわりもないかのように出迎えてくれた。イルカが空中を乱舞するオーシャンライブには、集団できていた幼稚園生がそのたびに歓声を上げていた。
熱帯魚 |
ペンギン |
- 宿に入るにはまだ時間が早い。そこで涸沼(ひぬま)までの往復で時間を潰すことにした。涸沼は河口近くで那珂川に合流し、水面の標高が0mの汽水湖である。富栄養湖で、透明度は0.7m、周囲長が22kmで胃袋のような形をしている。シジミの生産量は全国第4位である。湖岸に立つと対岸はるかに緑の帯が延び、広い空間を形成している。
- かんぽの宿大洗は太平洋に注ぐ那珂川を一望できる高台に位置している。震災を受けたが4月16日に営業を再開した。「がんばっぺ!大洗」を合言葉に、スタッフの接客態度からもその意気込みが伝わってきた。大洗と那珂湊を結ぶ海門橋の夕暮れの美しさは格別。広々とした大浴場からは、その絶景を満喫することができる。
かんぽの宿大洗 |
海門橋 |
<3日目:鹿島神宮-水郷潮来-香取神宮>
- 大洗町を後にして国道51号を南下する。やがて鹿嶋市に入って、森のかなたに大きなスタジアムが見えた。サッカーの鹿島アントラーズだと直ぐに分かる。鹿の枝角を英語でアントラー (antler) と言い、鹿島神宮に因んだものだそうだ。
カシマサッカースタジアム |
- 鹿島神宮は、茨城県鹿嶋市(市町村合併の際に島から嶋に改めた)にあり、全国に約600社ある鹿島神社の総本社である。かつて地震は「地中に棲む大鯰(おおなまず)が起こすものと考えられていて、その大鯰を押さえつける「要石」が、鎮護する地震の守り神として現在に伝わっている。鹿島神宮と千葉県の香取神宮と共に蝦夷(えぞ)に対する大和朝廷の前線基地であった。
本殿 |
奥殿 |
- 鹿島神宮には鹿園があり、30数頭の日本鹿が飼われている。藤原氏による春日大社の創建に際して、白い神鹿の背に分霊を乗せ、多くの鹿を引き連れて、奈良まで行ったとされている。
- 2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震により、二の鳥居・御手洗池鳥居が崩落し、多くの灯篭が倒れたり、池の水が少なくなったりしたが、国宝や重要文化財が損傷するという最悪の事態にはならなかったという。
- 水郷潮来はまだ観光時期には早い。「水郷潮来あやめまつり」は5月21日(土) 〜 6月26日(日) に設定されている。我が女房殿がまだ見たことがないというので、メイン会場の前川あやめ園に立ち寄った。駐車場に車を停めたとたん、自転車に乗ったお婆さんがやってきて、「船に乗らないか、いつもは5,000円だが、3,000円にまけとくよ。」という。しかしそんな時間もないので断った。
- このたびの震災で、岸辺の崩壊箇所や木橋の橋台が沈下して通行止めになっている箇所がいくつか見られた。H21年は80万人を超える多くの観光客が訪れたというが、さて今年はどうなるのだろう。
黄色のアヤメ |
ろ舟が並ぶ |
- 駐車場へ戻ろうとしたとき、今度は自転車に乗ったお爺さんが「舟に乗らないか」と誘いをかけてきた。さっきの婆さんの連れ合いではないかと思われた。丁重に断ったが、それにしても観光客が減っただけに、生きるのにみんな一生懸命なんだなあと、思わず感情移入するのであった。
- 茨城県の旅は終わったが、ついでのことに千葉県の香取市にある香取神宮に立ち寄ることにした。全国に約400社ある香取神社の総本社である。鹿島神宮と共に、蝦夷(えぞ)に対する大和朝廷の前線基地であり、重要視された。
二之鳥居 |
拝殿 |
- 香取神宮でも、震災によって石燈籠約110基が倒壊し、諸施設に被害を受けたようだ。幸い社殿や参拝者、職員には被害が無かったという。倒壊石燈籠などについては、余震が収まり次第、順次復旧するという。鳥居そのものの倒壊はなかったが、今後そのおそれありとして、基礎の補強工事をしていた。
石燈籠の倒壊 |
三之鳥居の台石補強工事 |
<あとがき>
今回の旅行は東日本大震災に関するコメントが多くなってしまった。破損箇所が目立ち、見学できない箇所も多かったせいかもしれない。それに、どこもかしこも観光客が少なく、現地の人たちの顔も冴えなかった。なんと言っても原発問題にいらだっているのだ。早く収束することを願うばかりである。 <走行距離>670km
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