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● ここへ行ってきました ●
23.6.26〜28大宰府・国東半島・別府・湯布院・阿蘇・高千穂・熊本 九州にはまだまだ見るべき所が多い。毎月CT社から送られてくる無料の旅雑誌に、手ごろなツアーがあった。阿蘇・湯布院は再訪であるが、他は初めてである。とりわけ高千穂は神話の里として魅力を感じていた。 <1日目:大宰府天満宮-国東半島-別府鉄輪温泉>
菅原道真は平安時代の貴族で、学者であり政治家でもあった。醍醐朝では右大臣にまで昇ったが、政敵-藤原時平の陰謀によって筑前国の大宰府に左遷された。道真が京の都を去る時に詠んだ「東風(こち)吹かば匂ひをこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」は有名。
国東半島(くにさきはんとう)は、大分県北東部に位置し、半島の中央部よりやや北寄りの内陸部には両子山をはじめとする山々がそびえており、丘陵地が海岸に向かって放射状に伸びて、全体的には際立った円形の半島である。国東の国とは何かということだが、半島の西にある宇佐をいうらしい。宇佐には6世紀以前から強大な政治勢力があって、邪馬台国宇佐説まであるという。
富貴寺(ふきじ)は、大分県豊後高田市(ぶんごたかだし)にある天台宗の寺院。本尊は阿弥陀如来、。国宝の富貴寺大堂(おおどう)は、九州最古の木造建築で、平安建築のひとつとして貴重な存在である。阿弥陀如来が鎮座する周囲の壁には、極楽浄土の壁画が描かれている。堂内の公開は悪天候の場合はできないことになっている。壁画が湿気を嫌うからである。バスで移動中、風雨が強かったので、さてどうかなと心配したが、近づいたら雨はあがっていた。この辺で生まれたというバスガイドは、私の行いが良いからだと得意顔、冗談は兎も角として、顔に似合わずなんでも知っていて、サービス精神旺盛なことには感心するばかりであった。
富貴寺のある国東半島は、神仏習合の信仰形態をもつ宇佐神宮と関係の深い土地であり、古くから仏教文化が栄えていた。富貴寺にも宇佐神宮の6体の祭神を祀る六所権現社が建てられていた。
国東半島から別府湾添いに走り別府市に移動する。やがて雄大な裾野に広がる市街地に入った。湯煙があちこちに立ち昇っている。別府温泉は、市内各地に数百ある温泉の総称で、源泉数・湧出量ともに日本一を誇る。それらは歴史の異なる8箇所の温泉郷から成っており、これらを総称して別府八湯(べっぷはっとう)と呼んでいる、鶴見岳と伽藍岳の東麓に湧き出す温泉である。
<2日目:別府-湯布院-瀬の本高原-阿蘇>
園内には、温泉熱を利用してアマゾン地方原産の大鬼蓮や睡蓮を栽培していている。
そうかと思えば足湯もある。面白いのは、源泉が熱いので適温まで冷ます装置があることだ。竹製のスダレのようなものを何段も組み合わせて上から源泉を注ぐ。すると粒状になって落下し、熱を空気中に放出するのである。我が群馬県の草津温泉には舟の櫂のようなもので湯をかき回して冷ます「湯もみ」というのがあるが、思わずそれと重ね合わせてしまった。
ここよりも山手の方に行くと「血の池地獄」というのがあるが、規模は小さいながらそれと同じ類の地獄がこの園内にもあった。
別府市の豊富な温泉パワーの利用は広範囲に及んでいる。温泉療養の病院、魚や野菜を温泉の蒸気で蒸し上げる地獄蒸し。冷暖房に利用するのは当たり前で、地熱発電を持つホテルもあるそうだ。市民生活だけでなく、古くは明礬の生産から、地熱発電、花き栽培、養魚業、温泉泥美容まで、様々な産業に幅広く利用されている。
別府ロープウェイの高原駅はすでに別府阿蘇道路、別名やまなみハイウェイの沿道にある。これから由布市に向けてその道を走る。隣接市だからそれほど遠くはない。いつの間にか右手に山が迫ってきた。由布岳だった。山の斜面は緑の草原と疎林に覆われている。道はいくつかのヘヤピンカーブを繰り返し、そのたびに由布院盆地が間近になってきた。
2005年、平成の大合併に際して、挾間町・庄内町・湯布院町が新設合併して由布市が発足した。観光都市である一方、大分市のベッドタウンとしての役割も併せ持つ。
今日は月曜日なのに土産物店や飲食店の並ぶ繁華街には若者の男女が多く、「どこでも年寄りばかり」という常識がここには通用しなかった。ところがグループでしゃべり合う言葉から東南アジア系の外国人と分かり納得した。元気な足取りとリッチな服装で、富裕層かななどと一瞬くだらないことを思ってしまった。そういえば店の看板や道路標識にも英語・中国語・韓国語が表示されている。ちょうど昼どきの時間になったが、飲食店で食事をするのもいいが、僕等はあちこちで少数多品種の食べ歩きをした。
湯布院町からやまなみハイウェイを阿蘇へ向かう。飯田高原(はんだこうげん)・長者原(ちょうじゃばる)瀬の本高原(せのもとこうげん)と、なだらかな高原地帯が連続する。九重連山と緑の草原が雄大な景観を見せてくれる。そのスケールは北海道にひけを取らない。あちこちに黒毛和牛、あか牛(朝鮮牛)、馬などが群れている。今やあか牛は熊本ブランドとして全国に広められようとしている。
そういえば馬も、熊本県は全国一の馬刺しの消費県だそうだ。それだけに馬生肉の検査体制もしっかりしているらしい。ここに興味深い記事がある。KUMANICHI.COMが伝えるもので、県と熊本市が5/10-6/2県内でユッケや馬刺しなど生肉用を扱う施設を検査した。厚生労働省の緊急監視要請を受けたもので、2,125施設(牛生肉88・馬生肉2,102・牛馬生肉の重複65)。その結果、牛生肉施設で自主検査未実施85、トリミング不適合38だったのに対して、馬刺しは全施設のうち1,088施設を検査した中間段階で全て合格した。《新情報2011.10.31その馬刺しにも寄生虫による食中毒発生の事例が厚労省から発表され、併せて流通過程で冷凍処理をするよう全国に通知された。》 阿蘇カルデラは世界最大級で、外輪山の中に阿蘇市・高森町・南阿蘇村の自治体があり、鉄道が走っている。現在、いたるところに数多くの湧水をもたらして、伏流水の恵みを受けた産業がさかんだ。昭和48年(1973)に熊本ー延岡間の鉄道建設で、阿蘇外輪山を貫く高森トンネルが着工されたが、毎分36トンの出水によってあえなく挫折してしまった。後述するが、高千穂町には、鉄道建設で廃墟となったトンネルを再利用した酒蔵がある。
阿蘇・草千里は標高1,130mにある広大な草原だが、今日は霧の中に時おり姿を現す程度で写真撮影は無理だった。草千里レストハウスの団体写真の小父さんも下山してしまったようだ。
白川水源は、南阿蘇村白川にある湧水池で、年間を通して14℃の軟水が毎分60トン湧いている。阿蘇五岳や外輪山の伏流水である。水の噴出す池は砂が盛んに湧き上がり水草は生えていない。池の脇には柄杓が用意されていて、ペットボトルに汲む人が多い。周辺の環境整備は、白川水源公園管理組合が管理しており、財源には観光客の支払う協力金が当てられる。
この日は阿蘇市内牧にあるAホテルに泊まった。夕食は「阿蘇あか牛御前」だった。 <3日目:阿蘇-高千穂-熊本>
しばらく走って高千穂神社に到着。高千穂は神々が天上界から降り立ったとされる、神話伝説が息づく山峡の町である。神社を参拝して、さっそく神楽殿に入った。夜神楽ならぬ昼神楽を観賞するためだ。本来なら夜でないと見ることができないが、昼間の観光客のニーズと、町おこしの利害とが一致したというわけである。
高千穂の夜神楽は、古くから伝わる民俗芸能であり、国の重要無形民俗文化財に登録されている。11月から2月の夜に奉納される。有名な舞い物語の一つを紹介する。『高天原で弟のスサノオノミコトの乱暴狼藉に耐えかねた天照大神(アマテラスオオミカミ)が、天岩戸に隠れてしまった。このため世界は真っ暗になってしまい、困った神々は一計を案じて、アメノウズメノミコトという女神に裸踊りをさせて大騒ぎをした。あまりの賑やかさに、何事かと天照大神が顔を覗かせた瞬間、タヂカラオノミコトが天岩戸を力まかせに引き開けて世界に光がよみがえった。』という。ちなみに天岩戸は信濃(長野県)の戸隠山まで吹っ飛んでいったというからスケールが大きい。
高千穂峡は阿蘇山の噴火によって、堆積した溶結凝灰岩を五ヶ瀬川が浸食して形成されたV字渓谷である。柱状節理の岩壁を上に仰ぎ、深き切れ込む河床を見下ろして、約1kmの遊歩道を歩く。中間地点で見上げると橋が3段に見える。カメラを構えた位置には4段目の橋があるから、いかに峡谷が深いかが分かる。旅行案内の写真には必ず登場する真名井の滝は、にっぽんの滝100選に選定されている。覆いかぶさる木々の緑を映して水面は神秘的な青緑色を呈している。
高千穂町から熊本市へ移動。市電の走る繁華街を抜けて熊本城に着く。熊本城は植木町の中心から南に伸びる舌状台地の尖端、茶臼山丘陵一帯に築かれた平山城である。この場所に初めて城が築かれたのは、室町時代で千葉城と呼ばれた。その後、隈本城が築かれ、加藤清正が城主となって大改築を行い、熊本城と改めて、現在のような姿になった。
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