このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


 ここへ行ってきました 

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24.8.1あちこちのスカイツリー(浅草・スカイツリータウン・隅田公園・東京湾)

<高速ツアーバス>
 CT社の企画する日帰りツアーで東京スカイツリーの見学をした。群馬県内の定点乗車地で予約客を乗せ、関越自動車道を南下した。今年の4月29日、関越自動車道高速バスの居眠り運転事故を起したのが藤岡ジャンクションだった。ツアーバスが遮音壁に激突し、縦裂きになって乗客7人が死亡、39人が重軽傷を負った。それから4か月を経過して、昨日の7月31日、国土交通省は高速バスの安全確保のため「新高速乗り合いバス制度」を発表した。高速ツアーバスと、鉄道関連会社などが運行する高速乗り合いバスの制度を一本化したのである。高速ツアーバスの運行を企画し、乗客を募集してきた旅行会社には、来年7月までに乗り合いバスの事業許可を順次取得させ、安全責任を明確にする措置である。
 今回のCT社は反応が速く、それは予約客が全員そろった藤岡高速バスターミナルでの挨拶に象徴されていた。先ず運転手が起立し、安全運行を表明したのである。その表情と態度を見て、安心感を抱いた乗客は多かったに違いない。4月に事故を起こしたときの運転手に対して、乗客の目撃証言がある。事故前から盛んにカーナビを見るなどの挙動不審があり不安を感じたという。次に女性添乗員が同社のツアー旅行に対する安全ポリシーを説明した。車内の飲み物サービスや観光ガイドは行わず、ツアーディレクターとして安全安心の確保に徹するという。併せて乗客にはシートベルト着用・ごみの持ち帰り・時間厳守などをお願いした。運転手と添乗員の挨拶から、CT社が関越自動車道高速バスの事故を他山の石として反映したのだろう。ともあれ我ら高年者はマイカー旅行が困難になるだけに、安心安全を重要項目にしたツアー旅行は有難いのである。

<ツアーコース>
 道の駅ららん藤岡発=浅草=東京スカイツリー…東京ソラマチ(自由散策)…とうきょうスカイツリー駅=浅草駅=日の出桟橋〈お台場夕涼みクルーズ〉〜台場=ホテルインターコンチネンタル東京ベイ(夕食)=道の駅ららん藤岡着

<あれこれ見学>
 関越道の南下を始めてすぐに、首都圏における浅草までのルートに渋滞のあることが情報板に表示された。そのため首都圏運行コースは、東京外環道から、環状七号線に変更された。

 浅草には何回か来ているが、今回は中国人の団体客が多く、威勢良く仲見世を歩きまわり圧倒される思いがした。もちろん各種案内板は英語・中国語・韓国語である。昨年の湯布院でみた風景と同じである。


仲見世の賑わい

浅草寺からのスカイツリー


 さて、バスはスカイツリーに移動した。車中、添乗員はツアー客の意を察してこう言った。

 「皆さんは最上階(450m)の天望回廊まで行きたいでしょうが、その時間的ゆとりはございません。当社は月1,2回のツアーを企画していますが、まだ350mの天望デッキまでしか組んでおりません」

というので、素直な僕は言われる通りの行動を考えていた。ところが、天望デッキに上がって下界を見下ろし写真を撮ろうと妻を手招きしたのだが来る気配がない。何やらベルトパーティションを張って混雑整理の列近くでソワソワしているのだ。妻の所に近寄ってみると、天望回廊(450m)へのエレベーターチケットを購入する列であることが分かった。その列には同じツアーで知り合った仲間とともに添乗員までが澄ました顔で加わっている。添乗員に訊いてみると、これから天望回廊に行くのだという言葉に僕は唖然としてしまった。なんと、先ほどの車中で言った舌の根の乾かぬうちに、ころっと変わってしまったのだ。ペテンではないかと思う僕と、「自分も今日が初体験です」と、涼しい顔でのたまう彼女の言葉に大きなギャップを感じてしまった。結局僕も最初から希望していたのだから、添乗員の変わり身の早さを良しとして、またもや素直にその最後尾に並んだのである。
 考えてみると5月22日に開業し、最初はチケットは予約制だった。その後入場者の扱いに慣れて当日券の発売を開始したのが7月11日。入場者の扱いもウナギ登りに処理できるようになったようだ。


左-隅田川・右-荒川

ショッピング街


 天望回廊を制覇して凱旋者のごとくエレベーターを降りると、東京スカイツリータウンと呼ばれる複合施設に自動的に導かれた。もう12時を過ぎたので、ソラマチで昼食を摂ることにし、赤チャンポン・白チャンポンを注文し、妻がその受け取り役をしている間に、僕は席取りを仰せつかって探し回った。しかしどこを見ても陣取られている。置き引きに遭わないように安物のハンカチやシャッポを置いてあって世の中には要領のいい人たちが多いものだな〜と感心しながらも、僕は青ざめてしまった。のろまな亭主はまた女房殿に罵られるに違いない。なおもキョロキョロした挙句、一人用のハイテーブルが空いたので、我ながら珍しく素早くそれを確保した。丁度妻が角盆にドンブリを二つ載せてこっちを見たので、得意顔で手招きをした。ハイタイプのカウンター丸テーブルは1m位の高さでチェアもなく、背の低い僕らでも食べにくい。ドンブリと口との距離が離れすぎてしまうからだ。股を広げて箸で麺をつかみ取る姿はブザマとしか云いようがない。バラエティのサンマだったと思うが、舞台小道具のハイテーブルに似ているので、あとはご想像にお任せする。とにかく無制限にジャンジャン客を入場させる結果がこういうことになるのだと、いささか恨めしく思った。

ツリー下部の広場から上を見上げる⇒

天望デッキ


 ところで喧騒を極めるスカイツリータウンから目を転ずると不釣り合いな光景が対極にある。こちらのソラマチを挟んだ道路の向かいに、従来の商店小路が見える。暖簾を吊るした寿司屋には客の出入りがない。ソラマチには三崎(三浦半島)の鮪寿司と銘打ったポスターを貼った店でニギリをパクパク頬張っている客がいるのとは好対照の光景である。どちらの店もソラマチのエントランスにあるオブジェベンチから眺められる。従来型の商店主たちの嘆きの声が聞こえそうな気がしてならない。周辺の環境は5月22日の開業日から一気に変ったのである。

 スカイツリー駅から浅草の集合場所までは自由行動をした。とは言っても添乗員からくどいほどのレクチャーを受け、貰ったマップに従って行動するのである。


ホームの駅名板

スカイツリーラインの電車


 予定外の天望回廊を追加したのに、まだ有り余る時間に寄り道したのは隅田公園である。スカイツリーの撮影ポイントがテレビで紹介されたのを思い出したからである。隅田川の右岸に沿う桜の名所である。ここから左岸の市街地に天空を突き刺すシルバー色の構造物はスカイツリーの愛称そのものと言える。堤防に立つと川風が吹き抜け、木陰を歩くと涼風が心地よい。


隅田公園右岸

隅田公園左岸


 集合場所に合流し、バスで移動したのは日の出桟橋。ここから松本零士がプロジュースした近未来型船でお台場夕涼みクルーズを約25分。船名は、HIMIKOとHOTALUNAの二隻で6月28日に運行開始された。航路は浅草からお台場海浜公園までであるが、今回は中継点の日の出桟橋〜お台場海浜公園のクルーズであった。宇宙船をイメージし、シルバーメタリックの流線形の船ボディに、ガルウィングの扉が特徴的で、船体屋上は遊歩甲板になっている。次々と変化する景観は思いのほか素晴らしかった。


近未来型船

竹芝埠頭方面


 この未来船に対して、近くを運行していた赤い船は江戸時代の御座船である。徳川家光の自家用豪華船「安宅丸あたけまる」を模して、東京湾の納涼船として建造された。


御座船

レインボーブリッジ



お台場

フジテレビ


 今までレインボーブリッジや陸地から見慣れた景色と違って、海上から見る景観は新鮮かつ刺激的で大いに満足できた。

 バスで移動した先はホテルインターコンチネンタル東京ベイである。竹芝客船ターミナルに隣接している。竹芝埠頭再開発事業により、オフィスビル・ホテル・レストランなどが海上公園と一体的に整備された。まさに東京湾の景観一等地といえる。


竹芝埠頭からのツリー


 ホテルのレストランからは海の景観を楽しみながら食事ができ、海辺の公園は散策を親しめる空間となっている。このホテルで約50種の洋食ディナーを堪能!といけば良いのだが、ローストビーフはどうにも口に合わず、口直しに冷水を飲んで生き返った思い。やはり信州育ちの僕には、野菜を中心とした田舎料理のほうが安心して食べられるなあ。

 返りの道中は妻が足をつって苦しみ、家に帰っていつものシャワーをやめて、風呂を沸かして疲れを癒した。

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