このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
● ここへ行ってきました ●
25.5.30-6.1小豆島・淡路島・鳴門渦潮・瀬戸内二島めぐり <1日目> YR旅行社が企画したツアーに参加した。羽田空港を出発したのは12時45分であるが、送迎バスが群馬県内をあちこち廻って参加者を拾うため午後のフライトとなるわけだ。徳島空港に着いたのは14時である。
福良港のうずしおクルーズ乗り場のある一帯はうずしおの郷と呼ぶ南あわじ市の観光拠点である。道の駅・福良があり観光客は船待ちのあいだは大概ここで土産物を物色する。その隣には足湯施設がある。
それよりもその脇に福良津波防災ステーションがある。東南海・南海地震津波により、甚大な被害が発生すると予測されている。この施設は、津波の力を知り、日頃から防災意識を持つようにとの学習室である。観光施設ではないが、たいへん興味深く面白い。兵庫県管理の地方港湾施設である。耐候性鋼使用による錆色が特徴的で、いったいこの錆びた大きな鉄管はなんなのだと思わず引き込まれてしまった。
鳴門海峡は南あわじ市の門崎(とさき)と、徳島市孫崎の間にある海峡でその峡間は約1.4km。激しい潮流のため海の難所である。瀬戸内海と外海(太平洋側)の潮位差により起こる鳴門の渦潮が有名。淡路島からは観潮船うずしおクルーズ咸臨丸・日本丸が運航されていて、間近で渦潮を体感することができる。僕たちの乗ったのは咸臨丸。マストは3本だが、動力で走っているので、単なる飾りである。
渦潮は一日の2回見られる。大潮の方が渦は大きく、時に直径が20mにもなるという。当然のことながら月齢に左右される。潮流速度に応じて、速いものから大潮、中潮、小潮と呼ぶが今日は中潮である。
この日は中心が大きく凹むこれぞ渦潮という明確な現象を捕らえられなかった。一瞬の発見もカメラに納められる機会を何度となく逃してしまった。怒涛の如くという表現があるが、まさに波頭は砕け、波と波がぶつかり合い、無秩序に逆巻いて引き潮は大海に向かって流れていった。
次の観光地へ移動する。バスの車窓から沿線の風景が眼下に見える。タマネギ畑が多い。面白いのは畑中に壁のない小屋が多く建てられていることだ。タマネギの保管庫だそうだ。しかし今はすぐに農協に出荷し、小屋はほとんど使っていないとか。
淡路島を北上し淡路市に入り、明石大橋が見えてくる。山岳地帯に入り集落風景から高原の様相に変わってきて風力発電が姿を現した。しかし羽は止まっていた。もしかしたら、ここにも付近住民への低周波音による健康被害問題があるのかもしれない。
やがて、あわじ花さじきに到着。兵庫県が平成10年に設置した広大な面積を持つ。淡路島北部丘陵地域の頂上部のなだらかに広がる高原に一面の花畑が広がっており、明石海峡・大阪湾を背景に季節により変わる花の大パノラマが展開している・・・と思いきや・・・?
同じ道を引き返し南あわじ市の南淡路ロイヤルホテルが今夜のホテル。鳴門海峡と大鳴門橋を望む景色と、国立公園ならではの緑豊かな自然に蔽われている。近くには休暇村南淡路もある。
淡路島には考えようによっては荒唐無稽ともいえる神話がある。日本最古の歴史書である古事記によると、伊弉諾尊(いざなぎのみこと・男神)と伊弉冉尊(いざなみのみこと・女神)の二神が、国産みの際、天の沼矛(ぬぼこ)で混沌とした海原をかき回したとき、滴り落ちたしずくが固まり「おのころ島」が生まれたとある。おのころ島の候補地は淡路島内に複数あり、南あわじ市の沼島もその一つであるという。 夜は海ほたるを見に行った。南あわじ市の二か所の海岸で鑑賞できるのだが、我々ツアーの一行は阿万(あま)海岸に行った。バスは狭い農道をくねくねと進み、対向車があったらどうするのだろうと心配になったが、地元の観光ボランティアが誘導してくれて止まった先はただの真っ暗闇。海中電灯に誘導されて歩を進めた。道路が行き止まりとなって、ボランティアの声が拡声器から流れた。「皆さんここは阿万(あま)海岸です。ここに海ほたるが棲息しています。」 「これからその海ほたるをご覧にいれます。海ほたるは節足動物で大きさは3mmほどで目に見えます。皆さんは2列横隊となって2mの間隔を保って向き合ってください。その状態を絶対に崩さずに守ってください。」と3回ほど繰り返した。 <2日目> 淡路島の福良港から高松港へ移動し、瀬戸内ミニクルーズで小豆島の草壁港へ。船内にて、さぬきうどん弁当の昼食。
平成大合併で小豆島は一島一町になる機会はあったが、そうはならず土庄町(とのしょうちょう)と小豆島町(しょうどしまちょう)の二町におさまったのである。いずれにしても小豆島は香川県に属する。人口は約31,000人。日本におけるオリーブ栽培の発祥地とされるほか、そうめん、醤油、佃煮などが特産である。 もう一つ、自然の観光地として群を抜くものに寒霞渓(かんかけい)がある。そこを最初に訪ねた。寒霞渓は国指定の名勝である。東西7km、南北4kmに及ぶ大渓谷で、そこに約1300万年前の火山活動により堆積した疑灰角礫岩などが、度重なる地殻変動と風雨による侵食により、断崖や奇岩群を形成した。
土庄町に移動。役場の近くにあるのが土渕海峡(どふちかいきょう)である。1996年に世界一幅の狭い海峡としてギネスブックに認定された。
役場のある辺りが土庄本町と呼ばれており、海峡を挟んで合併前の淵崎村があったことから、この名前が付けられた。全長約2.5km、最大幅は約400m、最狭幅は9.93mで、土庄町役場では横断証明書を有料で発行している。 国道436を東に進み途中から北上して向かった先は、中山の千枚田。中山地区の北側にある湯船山の山腹に広がる田園景観である。湯船山の中腹にある樹林地から、名水「湯船の水」が湧き出しており日量400トンにも上るそうだ。この豊富な湧き水を、地元の人々は飲み水や生活用水、水田の耕作などに利用している。
次の観光地は、道の駅小豆島オリーブ公園。地中海をイメージした建物が多い。1989年にエーゲ海に浮かぶミロス島と姉妹島の調印をしている。
近くには企業の経営によるオリーブ園がある。 オリーブ公園から東へ向かい、内海に沿って南下すると坂手港に着く。神戸と結ぶ小豆島ジャンボフェリーの乗場場の壁に描かれた壁画に圧倒されえる。いったいこれはなんなのだ?そういえば昨日の高松港もそうであったが、あちこちに幟旗もあって、瀬戸内国際芸術祭2013と書いてある。
フェリー乗船待合室の屋外にも現代アートのオブジェが展示されていた。
結局帰宅後インターネットで調べて見ると、結構な御仁が壮大なコンセプトのもとに、ビッグプロジェクトを挙行するに至ったらしい。開催の実行委員長には香川県知事、総合プロデューサーには公益財団法人福武財団のの福武總一郎理事長が就任している。 埠頭駐車場のすぐ脇に平和の女神像があったので、これもそうなのかと思って見ると、どうも違うらしい。これは以前からあるもので、立札を見てびっくりした。北村西望の作品ではないか。長崎平和公園の平和記念像の作家である。
2日目の宿は草壁港に近いベイリゾートホテル小豆島である。明日の行程に有利な場所にある。恵まれた自然環境にあり、部屋から穏やかな内海がきれいに見える。眼下にファミリープールが見える。12階の展望大浴場も好評だ。 <3日目> ホテルからバスに乗ったと思ったらあっという間に今日の目的地に着いてしまった。そう今朝出発前に僕は運動を兼ねて歩いて醤の郷(ひしおのさと)に来ていたのである。ちなみに醤(ひしお)とは、塩を加えて発酵させた塩蔵品の総称のことで、米や豆を発酵させた「穀醤」が醤油の原型といわれている。 醤油の臭いが強烈でしかも黒塗りの工場群を始めとする黒い街並みに圧倒されていたのである。とにかく異次元の世界だ。小豆島にある近代以前の醤油蔵建築は日本で最も集積する醤油蔵が多い。
小豆島で醤油作りが始まったのは江戸時代、400年ほど前のことである。そもそも小豆島では弥生時代から塩作りが盛んに行われていた。質の良さで知られるこの島塩。そして酵母の育成と熟成に適した暖かな瀬戸内気候。発達した海上交通によって運び込まれる肥前・肥後(九州)の大豆や小麦。時間のかかる熟成をじっくり待てる心穏やかな島の人たち。これらすべてが一つになって、小豆島の醤油は生まれた。
しかし醸造期間が長いためコスト高ゆえに衰退の一途をたどった。やがて時は移り、終戦後の食糧難が起こったときに、それを救ったのが佃煮への活用だった。おいしい醤油を使って、保存や運搬にも適した佃煮を製造したのである。島の風土はこの時にも支えになった。開かれた海が材料の入荷と製品の出荷を助けてくれたのである。こうした数々の恵みのおかげで 小豆島佃煮は発達し、特に昆布佃煮は特産地になっている。 醤の郷(ひしおのさと)を離れ、内海に沿って南下し、今度は反転して半島の先端まで行くと二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)映画村である。 1954年、壺井栄の小説二十四の瞳を原作を、松竹大船撮影所が映画化した。監督は木下惠介、。ヒロイン大石先を演じたのは高峰秀子。反戦のメッセージを女教師と教え子のふれあいの中に描いた日本映画の傑作である。1987年には朝間義隆監督によってリメイクされ、ヒロインは田中裕子であった。そのときのオープンセットを活用して、テーマパーク二十四の瞳映画村が造られた。
再び道を戻ってバスは土庄町(とのしょうちょう)へ戻る。行程が行ったり来たりの繰り返しが今度の旅の特徴である。鳴門の渦潮のときも今度のエンジェルロードも引き潮でないと見られないからだ。そのタイミングをねらうために行ったり来たりになるのもやむを得ない。県道254の脇に小豆島国際ホテルの駐車場に車を停めて、ホテルの1階ロビーを抜けると目の前にエンジェルロードが広がっている。レンガ色の砂州が沖の方に延びて先客の姿が最初の島を越えたさきにも散策している。
小豆島の有名人には壺井栄・石倉三郎・正司敏江・中田ボタンなどがいる。 さて、小豆島の旅は終わった。来たときとは逆のコースで草壁港から高松港に渡った。すでに景色は見終わっているので、ひたすら空いているソファーで長々と身体を伸ばして睡眠をむさぼった。 高松市の栗林公園を訪れるのは30年位前の出張のとき以来だろうか。殆ど記憶がないので今回が初めてのようなものだ。
見終わる頃ポツリポツリと雨が降ってきた。天気予報が当たったようだ。最後の観光地は屋島である。 屋島は瀬戸内海国立公園にある海抜293mの半島形溶岩台地である。頂上部が平坦で、その形状が屋根に似ている所から屋島と名づけられたという。その展望は瀬戸内海随一といわれ、山上の各所にある展望台からは、行き交う船舶や讃岐平野が一望でき、眼下には檀ノ浦の古戦場が広がる。この戦いで源氏方の武者那須与一が、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とした故事は特に著名である。
四国八十八箇所第84番札所の屋島寺や、展望台からの高松市を眺望。バスの車窓から源平古戦場を眼下に眺め、五剣山も雨雲のかなたに見た。
屋島ドライブウェイには、実際は上っているのに、下っているように見える不思議な坂があり、「屋島ミステリー坂」と書かれた看板が立てられていた。専門的にはこの現象を「縦断勾配錯視」というそうだ。 三日間の旅は終わり、徳島空港から羽田空港へのフライト。前橋市の自宅には明日を迎えようとする深夜に帰宅。 |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |