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 ここへ行ってきました 

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25.10.30-11.1 富士山麓周遊と伊豆の国市

<旅行計画>
 今回の計画は2012年の秋に実施する筈であった。かねがね静岡県三島市の源平衛川と清水町の柿田川を訪ねたかったのだ。両方とも富士山地下水の湧水地として名高い。
 ところが故郷の信州で不幸が続き、計画は棚上げとなっていた。やっと実施可能となったとき、今度は富士山の世界遺産が登録されて喧騒をきわめ、再び計画は頓挫した。
 やっと騒ぎは収まったので、紅葉シーズンのピーク前を狙い、計画を実行することができた。主として富士山麓の湧水池と伊豆の国市の韮山反射炉を訪ねる旅である。
 アクセスの関係で、まずは河口湖から訪ねる。そのあと、順次、富士山麓を反時計回りに巡り、途中いくつかの浅間神社も訪ねる。

<富士五湖-山梨県>
 
富士五湖はいずれも富士山の噴火による堰止湖である。湖底からの湧水は数パーセントと少なく、ほとんどは富士山に降った雨水が表層を通じて湖に流入しているものと考えられている。
 本栖湖、精進湖、西湖は湖面標高が約900mとそろっており、三つが地下でつながっているという「三湖連絡説」は以前から有力視されている。

<河口湖-富士河口湖町>
 
河口湖は、湖面標高が830.5mと富士五湖の中で最も低い。面積は山中湖に次ぐ大きさである。河口湖には天然の流出口がないため、古来より大雨により増水し、湖岸の村々に洪水被害が出た。現在は放水路があるため、冠水の恐れはない。
 南岸にアシなどの水草が繁茂し、カモなどの水鳥が浮かんでいる穏やかな岸辺に遊歩道があり、少し離れた沖の六角堂を見ながら散策ができる。
 湖南の仲ほどには冨士御室浅間神社がある。


河口湖六角堂

冨士御室浅間神社


 北岸には富士山を眺めるビューポイントが多い。現地の見どころマップなどの資料は、富士山を見ることを目的として、地図の南北が逆さまになっている。


大石公園より


<西湖-富士河口湖町>
 
西湖は山梨県指定の天然記念物フジマリモの群落地である。西湖には本来、自然排水による河川はなかったが、近年人工的に河口湖に放流する排水路が完成し、標高差を利用した発電も行われている。
 西湖の南側に国道139号の富士パノラマラインが通っている。溶岩流による洞穴や樹海、そして胎内樹形などが見学できる。
 鳴沢氷穴は冬期に氷ができて、初秋くらいまで見られるというが、この日も溶けないでいた。洞内外の温度差が大きいので眼鏡が曇り見えなくなる。大きな洞窟が二つ連なっているが、奥の堂内には蚕の種子貯蔵庫が再現されていている。


富嶽風穴付近の樹海

鳴沢氷穴入口


 西湖と富士パノラマラインの間に山並みがあり、尾根の上に紅葉台がある。富士山や青木ケ原樹海を眺めることができる。


紅葉台より


<精進湖・本栖湖-富士河口湖町>
 
この周辺は河口湖や山中湖と異なり開発されず、自然の絶景地である。本栖湖は水深138mで富士五湖の中では一番深い。水中では太古の大噴火によるクレーターや、沈んだ巨木などが見られるそうだ。遙か昔は、精進湖、西湖と一つの湖で、富士山の噴火によって今のように3つの湖に分断されたといわれている。

 本栖湖を離れ、富士山西麓の朝霧高原に向かう。今までの景色が一変し、ススキが生え、牧場などいかにも高原という雰囲気の様相だ。左手に富士山が付かず離れず見えている。国道139号をダラダラ下り、途中で県道414号の細道に入る。

<富士養鱒場-富士宮市>
 富士山の湧水を利用して、ニジマスを中心とした種苗の生産と供給を行ない、マス類の増養殖等に関する試験研究を行なっている。
 ニジマスなどの淡水魚の飼育水槽やパネルなどの資料によるマス類に関する展示解説のコーナーがある。ニジマスは北アメリカ太平洋岸の河川原産で、明治10年に卵で初めてアメリカより移入された魚である。その後日本でも採卵・ふ化が可能になり、大正15年には当時の政府が積極的にニジマスの養殖を奨励し、産業的に確立された。静岡県でも国内では3番目の県営養鱒場として、朝霧高原に昭和8年に富士養鱒場を開設した。年間を通じ水温10℃の湧水が得られ、芝川の水源になっている。


湧水池

アオサギ除けのネット



陽光に輝く富士西面


 少し下って右の小道に入ると小奇麗に整備された駐車場に着く。

<陣馬の滝-富士宮市>
 陣馬の滝(じんばのたき)は、芝川の支流である五斗目木川(ごとめきがわ)にかかる滝で、上流からの水の流れと、溶岩層のすき間から湧き出す水が滝をなしている。「陣馬の滝」という名は源頼朝が行った富士の巻狩りの際、滝の近くに一夜の陣を敷いたことから名づけられた。


陣馬の滝

滝の手前にある標識


<田貫湖-富士宮市>
 田貫湖(たぬきこ)は、断層活動により隆起した古富士泥流の窪地で、小さな沼地であった。それが関東大震災の影響で、周辺の水の供給を賄っていた芝川の水量が減少したことから、農業用水を確保するために、沼を人工的に拡張して人造湖となった。
 その西岸に休暇村富士があり、今夜はここに泊まる。窓から湖の正面に見える富士山の夕景がすばらしい。太陽が傾いていくごとに、その表情は刻々と変化していつまで見ていても飽きない。


休暇村富士


部屋からの展望



光り輝くカモの航跡


湖の散策路より


<白糸の滝・音止めの滝-富士宮市>
 富士山西麓を南に流れる芝川は、分流して西側の白糸の滝と、東側の音止めの滝に流れ落ちる。滝の溶岩断層からも、幾筋もの伏流水が大量に噴出している白糸の滝は、その景観が絹糸を垂らしたように見えることから滝の名前になった。現在、滝壷近くにある展望台は改修工事が行なわれていて近寄れない。


白糸の滝


 一方、白糸の滝の東側にある音止めの滝は、轟々と流れ落ちている。展望は右岸の崖上にある展望スペースから眺めるのであるが、狭いので大勢で見ることはできない。


音止めの滝遠望


<富士山本宮浅間大社-富士宮市>
 山の裾にあると思っていた富士山本宮浅間大社は、なんと市街地の中にあった。昔は富士山の裾野にあって孤高の神域であった地が、次第にベッドタウン化したのだろうか。境内は樹木に覆われているが、周囲には住宅商店街が密集している。
 本殿の右側に湧玉池という湧水がある。かつて富士山へ登る人々が、ここで身を清めてから山を目指したという。


本殿


湧玉池


 ここから次の見学地までかなりの距離を走った。

<楽寿園-三島市>
 楽寿園は明治維新で活躍した小松宮彰仁親王が明治23年に別邸として造営した。三島駅南側の道路に面している。園内には約1万4千年前の富士山噴火の三島溶岩流が広がっている。そこに小浜池という湧水による名園ができた。しかし昭和30年代中頃から渇水状態になってしまった。どうやら上流地域の地下水汲み上げが影響しているらしい。小浜池を源流とする蓮沼川と源兵衛川も流れが細くなり、地元の人に訊いてみると現在は上流域の工場から給水されているそうだ。
 源兵衛川の水辺には散策できるように置石や木道が設けられている。源兵衛川の名の由来は、その昔、水を田に引いた寺尾源兵衛にちなんだ名前であるという。


楽寿園入口


小浜池



源兵衛川


 三島市には、やたら鰻屋が多い。富士山の伏流水にウナギを曝すことにより、生臭さや泥臭さを消し、蛋白質を減少させることなく余分な脂肪分を取り除くので美味しくなるのだそうだ。

<柿田川-清水町>
 ここも三島溶岩流による湧水群である。柿田川公園の西側に第一展望台から見られるのが原水池だ。わき間と呼ばれる湧水の噴出口は、大小数十か所と云われる。間欠的に噴出す砂地があるかと思えば、ユラユラと砂地全体がうごめいたりしている。それらの湧水が集まり、川となって水藻をくねらせながら流れを形成している。いたるところにアユなどの魚が泳いでいる。
 第二展望台では、昔、紡績工場が湧水を利用していた井戸枠を見ることができる。コバルトブルーの幻想的な色合いを呈しており、この中にもアユが泳いでいる。


第一展望台にて


第二展望台にて


 小さな橋を渡ると通称船着場と呼ばれるところにもわき間がある。ここはかつて製紙会社が使用していた井戸跡がある。水が湧き出ている周りにはカジカがいた。
 数多くのわき間から集まった水は柿田川の水量を増し、石ころのない砂地で広く浅い川を形成する。そのため水草が生え、魚が泳ぎトンボなどの昆虫類も多い。


井戸跡のわき間


柿田川の緩やかな流れ


<伊豆の国市>
 
この日は大仁温泉の大仁ホテルに泊まる。「霊峰冨士を眺める格式ある湯宿」の触れ込みで期待していたのであるが、富士山は厚い雲に覆われて全く見えなかった。山上に位置するため市街地の夜景はきれいだった。

 翌日、近くにある韮山反射炉を見に行った。国指定史跡になっており、さらに世界遺産を目指している。
 幕末にペリー艦隊の来航を阻止するために大砲を造りお台場に設置することを進言したのが、時の韮山代官-江川英龍である。
 しかし道半ばで英龍は死亡し、跡を継いだ息子の英敏が築造を進め、安政5年(1858)に完成させた。しかしお台場に設置された形跡はない。


英龍の像


韮山反射炉



砲身

<東口本宮冨士浅間神社(須走神社)-小山町>
 須走口登山道の起点となる神社。富士講信者が多く立ち寄り、登拝回数等の記念碑が約80基残されている。


冨士浅間神社(須走浅間神社)


<山中湖-山中湖村>
 山中湖は、富士五湖の中で最大の面積を持ち、湖面標高が982mと最も高いが水深は最も浅い。相模川の源流で桂川と呼ばれている。富士五湖の中で唯一、天然の流出河川を持った湖でもある。延暦19年(800)の大噴火により、流出した溶岩流のひとつである鷹丸尾(檜丸尾第二)溶岩が桂川を堰止め、山中湖が形成された。


山中湖


<忍野八海-忍野村>
 
忍野八海(おしのはっかい)は三度目の訪問である。今回は8か所全部の池を巡った。かつて存在した忍野湖が乾いて盆地になり、湧水口が池として残った姿が忍野八海であるという。
 湧泉群は、地下の溶岩の間で約20年の歳月をかけて濾過され、湧水となって泉をつくったそうだ。
 観光客が多く土産物屋などの施設が建ち並び、人工池も造成されたりして、元々の自然環境が失われている。ちなみに「旅館池本荘」の脇にある「中池」と「はんのき資料館」敷地内の大型の池は人工池であり、忍野八海ではない。

 出口池は八海の中で最大の池。かなり離れた所にあるため訪れる人は少なく、最も自然の姿が見られる。お釜池は八海の中で最小だが、水量は多く、バイカモが揺れ動き水深が大きく青い神秘的な色をしている。


出口池


お釜池


 銚子池は池の底から間欠的に湧水し、砂を巻き上げている様子が見られる。濁池は川の水と合流しているので水量が多いように見えるが、地底からごく少量しか湧水していない。


銚子池


濁池


 湧池は八海の中で湧水量が一番多く、揺れ動く水面や深い水底の景観が美しい。珪藻土層からなる水中洞窟を持ち、周辺住民の飲用水としても利用されている。景観も良く、土産物屋に囲まれて観光客が多い。鏡池は逆さ富士が映ることから名付けられた。湧水量はきわめて少ない。


湧池


鏡池


 菖蒲池はショウブと外来種のキショウブ等が生えている沼状の池。底抜池は「はんの木林資料館」で入園料を払う。入った目の前に大きな池があるが、これは人工池。底抜池は一番奥に進んだ森の中に隠れるように潜んでいる。池の名前の由来は、洗い物が消えるという伝説からである。


菖蒲池


底抜池


<北口本宮冨士浅間神社-富士吉田市>
 この社は富士山の吉田登山口にある。日本最大の木造鳥居は修理中でシートが掛けられている。杉や桧の巨木には圧倒される。


北口本宮冨士浅間神社


 三日間の旅は終わった。訪ねた湧水池はほんの一部であり、山梨・静岡両県とも豊富な湧水による恩恵は際立って大きい。

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