このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


 ここへ行ってきました 

 

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27.8.7-8 川治温泉から日光社寺へ
 
昔、栃木県の宇都宮市に住んでいた。それから群馬県に移転してすでに35年。記憶はかなり薄まった。インターネットで事前調査を充分にし、旅行計画を立て、ワクワク感と望郷の念をもって僕達夫婦は出発した。

<日光江戸村>
 テーマパークであるから、朝早いうちに現地に着くほうがいいとカーナビを設定した。江戸村は、江戸時代の建築群によって、忍者をメーンテーマにした奇想天外な演出をしている。人気の劇場は時間制限と途中入場禁止の制約がある。そのため先を競い列ができる。開門時間より40分位余裕をもって到着したが、切符売り場にはすでに大勢の客がたむろしていた。夏休みのこととて子供連れのファミリーが多い。僕ら爺婆の老いぼれはまれである。強烈な陽射しに日干しになりそうで、辟易の様相を呈してきた。
 切符売り場で通行手形を購入し、われ先にと門をくぐる。配られた村内地図と劇場開演スケジュール表を見比べて、どういう順番で見るか、誰もが頭脳戦を展開する。僕達は制約のある人気コーナーに目もくれず、村の最奥にある「北町奉行所」とやらを目指した。いつでも出入りできる制約のない劇場だ。
 スケジュール表によれば、「大忍者劇場」と「忍者からす屋敷」の二つが制約演目になっている。途中入場禁止・撮影禁止・携帯電源切りという制約を受ける。それには理由がある。場内が真っ暗になったり、明るくなったりする。そのたびに忍者が忽然と現れたり消えたりする。火薬を使ったり効果音を発するため、それに支障を与えるようなことは禁じられているのである。いわゆる忍法を披露するための措置という理由だ。


忍者からす屋敷

 屋外ステージ・火の見櫓



両国橋

飲食街通り

 僕らは首尾よく効率的なスケジュールが組めて早い時間に退場することが出来た。

<龍王峡>
 今日の目的地は川治温泉である。鬼怒川温泉は素通りするが、川治の手前に龍王峡がある。約3kmに及ぶ峡谷で、これを見過ごすわけにはいかない。大昔、海底火山の活動によって噴出した火山岩が、鬼怒川の流れによって侵食され、奇岩怪石の谷を刻んだ。その景観はまるで龍がのたうつ様だというのが、名前の由来である。
 広い無料の駐車場に車を停めた。滝見茶屋の脇を通ると峡谷への下り口がある。道標に導かれて急斜面のつづら折りの階段を下る。下り切ったところに観瀑台があって、小さな神社がある。そこから虹見の滝と、対岸に渡る虹見橋が見える。


峡谷への下り口

五龍王神社



虹見橋

虹見の滝

 ここから「むささび橋」までは峡谷の両岸に散策路が整備されている。僕らは時計回りに周回することにした。これには意味がある。峡谷が切り立った断崖のため、自分が歩いている側の川面が見えず、対岸の滝や渕を見ることになる。“相見互い”の関係にある。両方を見るには、橋の中央に立たなければならない。そして“龍王峡”の名のゆえんも納得できる。


右岸から対岸の渕を見る

むささび橋



むささび橋から下流を見る

むささび橋から上流を見る

 この区間は「白竜峡」と呼ばれ、流紋岩が際だつ場所であり、かめ穴が多く見られる。かめ穴とは、甌穴とも呼ばれ、流れてきた硬い石が、岩の凹んだところで渦巻きとなって大きな窪みをつくる現象である。
 五龍王神社近くの左岸にある竪琴の滝を見て周回コースの見学は完了した。


竪琴の滝

<川治温泉>
 鬼怒川支流の男鹿川が分岐する辺りに川治温泉がある。ここの一柳閣本館に宿をとった。部屋の窓から対岸に源泉の元湯が見える。なんとなく見覚えがある。40年ほど前に男鹿川の上流域で通信ケーブルの敷設工事をしたときのことだ。常宿の宿には風呂がなかったので、毎夕、男鹿川べりの露天風呂に入ったのが、ここに似ている。
 当時、男鹿川のせせらぎを見ながら入浴した。目隠しは何もなかったので、川向いのホテル丸見えだった筈である。入浴には地元住民の娘さんも平気で入っていた。自宅に風呂がなく、慣れっこになっているのだろうと想像をたくましゅうした。


薬師の湯

薬師の湯



元湯

一柳閣本館

<霧降の滝>
 以前から見たいと思っていたので今回実行した。大笹牧場ルートで景観を楽しむのもいいが、あとの行程を考えて霧降高原道路を北上した。間もなく右に分岐して行き止まりに駐車場がある。ここに二つの施設がある。「そば処霧降庵」と「山のレストラン」である。レストランの右手に道標があり、観瀑台まで260mとある。派生した尾根道は整備されていて歩きやすい。子供でも安全に歩ける。谷川から吹き上がる涼風が広葉樹の森を通り抜けて心地よい。
 観瀑台にはすでに10人ほどが写真を撮っていた。深い谷を眼下にして、白く輝く数段の滝が遠望できた。さっそく仲間に加わりシャッターを切り後続の客に場所を譲って引き返した。


霧降の滝

観瀑台

<日光の社寺>
 霧降高原から東照宮へのアクセスには一つの戦術があった。多くの観光客は市街地を通る。当然のことながら渋滞する。僕らはそれを避けて、霧降高原から東照宮大駐車場へのルートを選んだ。日光乗馬クラブをかすめて、稲荷川橋を渡り、すぐに右折した先が駐車場である。隣接して南側に輪王寺駐車場があるが、満杯で閉鎖されていた。東照宮大駐車場は入口のシャッターバーが閉じていたが、出口から3台出てきたことによって僕らは滑り込みセーフとなった。
 1999年12月、東照宮・二荒山・輪王寺の二社一寺が”日光の社寺”として、世界遺産に登録された。

1.東照宮
 駐車場から西側に誘導されて、武徳殿の裏手を通ると、表参道の石鳥居と表門の中間点に出る。五重塔が屹立している。


五重塔

 表門をくぐり左に曲がると三猿。外国人の三人娘が、見ざる聞かざる言わざるのポーズで写真を撮っていた。ことほど左様に世界遺産登録後は外国からの観光客が増えているようだ。日本人だと思ったら中国語や韓国語をしゃべっている人が実に多い。


言わざる・聞かざる・見ざる

 陽明門はシートに覆われて修復中である。門の通路を素通りすると、東照宮御本社。右手に歩を進めると坂下門で、左甚五郎の眠り猫がある。ここが奥宮への長い石段参道の入口になる。眠り猫は言わば奥宮の守り猫である。


東照宮御本社

眠り猫

 長い石段を黙々と登る。上下対面通行で、右側を整然と歩いている。登りきったところに拝殿がある。


奥宮への長い石段

 拝殿の檀上に青年神職が立って解説を始めた。先ずはお祓いをするというので、観衆を拝殿前に整列させた。観衆は静かに頭を垂れる。これが最初のパフォーマンスである。マイクこそ使わないけれど、声は朗々と響く。
 「皆さん、先ほど眠り猫を見ましたね。その猫を見て『寝ていたんでは、守りの務めを果たせないではないか』という人がいますが、それは違います。薄目を開けて下から睨んでいるのです。耳を立て、前足は低い姿勢で尻を上げ、いつでも飛びかかれる態勢をとっているのです。帰りにもう一度よく見てください。」と、のたもうた。

 さらに続く。「拝殿から反時計周りに一巡してください。境内の中央に宝塔があり、回廊をぐるっと廻りこんだ所に杉の木があり、空洞の中に祠が祀られています。それに拝礼し写真を撮る人で渋滞します。その場合は皆さん真似をする必要はありません。早い話が回廊から栗石の部分におりて追い越して構わないということです。」と冗談交じりのパフォーマンスであった。

 そのしぐさに僕はある場面を連想した。その連想とは2013年6月、渋谷のスクランブル交差点で、熱狂するサッカーサポーターを言葉巧みに誘導した、警視庁機動隊の「DJポリス」の活躍である。さすれば、ここでは「DJ神職」と呼ぼう。


奥宮のDJ神職

奥宮の宝塔

 陽明門を出て右(西側)に折れると鳴き龍で有名な薬師堂(本地堂)である。龍の顔の下で拍子木を打つと音が共鳴して鈴を転がしたように鳴く。
 本地堂は寛永12年(1635)に建てられ、規模としては東照宮最大の建物である。。昭和36年(1961)に火災により焼失し、その後再建された。


薬師堂(本地堂)

2.二荒山神社
 霊峰二荒山(ふたらさん・男体山2,486m)を神体としている。男体山山頂には奥宮、中禅寺湖畔には中宮祠が鎮座する。


二荒山神社

3.輪王寺
 「三仏堂」は現在、約50年ぶりの大修理が始まり、仮囲いで覆われており、通行場所が制限されている。


仁王門

大壁画の三仏堂

<鬼怒川の篭岩>
 栃木県塩谷郡塩谷町船生7245にある。ネット地図で見ると「篭岩オートキャプ場」というのがあり、その番地である。しかし今は閉場されているような気配を感じた。
 昔、40年ほど前に宇都宮市に住んでいた頃に、子供たちを連れて川遊びに来た懐かしい場所である。因みに作曲家の船村徹氏は船生の出身である。
 しかし篭岩のイメージは当時の面影が失われていた。県道77号の沿道に「とんかつステーキ篠」がある。そこから川岸に降りる砂利道を下って行く。しかし両側から樹木の枝がかぶさって車の侵入を妨げている。廃道に近い。僕たち夫婦は、途中で車を脇に寄せて歩くことにした。スニーカーは道の水溜りに嵌って、もう少しで靴が埋まってしまうところであった。


目印の食堂

 ようやく川岸に着くと、先ず目に留まったのはカワウである。オドシのカカシが寂しげに立っていた。
 渇水期なのかどうかはわからないが、累々たる岩石群がやけに大きく目立っていた。見様によっては水位が下がったためにそう見えるのか、川底の浸食が進んでそう見えるのか、よくわからない。


篭岩1

篭岩2



篭岩3

 大きな岩の上に上ってみると、昔、大水が退いた後の水溜りに15cmほどの魚がウヨウヨいて、網で掬おうとして一匹も獲れなかったことを思い出す。なんと其の水溜りがあったのである。
 しかし水深は当時20cm程だったのが、今は底が見えないほど深くなっている。魚がいるのかどうか見えなかった。しかし水溜りの形状は当時のままだったので、河床の浸食があったのかもしれないと思った。


昔、魚群がいた水溜り?

 岩石の上を歩くのは非常に危険が伴う。高齢者は砂州から見上げる程度にすることをお勧めする。
 尚、篭岩をどうしても見たい人は、車を食堂の駐車場に預けて、徒歩で川に下った方が賢明である。篭岩そのものは一見の価値ありである。渕あり瀬ありで岩そのものが、甌穴の地質で興味深い。

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