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上州スポット
 ここがお薦め 

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13.7.22〜23 カモシカ平〜草津

 今回の上州スポットは、小中学生の夏休みに合わせて、理科的要素を盛り込んだ内容でご紹介する。

<カモシカ平>

  1. カモシカ平は、我が群馬県の県境を越えて長野県に入った所にある。とは言っても、アプローチは群馬県の北西部に位置する野反湖を基点とするのが一般的である。
  2. 今回の目的は、カモシカ平のニッコウキスゲを見ることにあった。そろそろ雷の季節である。山は早立ち早帰りが原則だ。しかも学校の夏休みが20日から始まったから、混雑を避けるためにも早いに越したことはない。前橋の自宅を出たのが5時40分。野反ダムの駐車場に着いたのが8時15分である。
  3. 野反湖はいつ来ても明るく広がりがあって気持ちがいい。群馬県の流域はほとんど利根川となって太平洋に流れる中で、この野反湖は湖尻側の富士見峠が分水嶺であり、魚野側の源流をなして、やがて信濃川に合流して日本海に注がれる。
  4. 今日のコースは、野反ダム〜三壁山〜高沢山〜カモシカ平往復〜エビ山〜野反ダムである。空は青く1500mの高原を渡る風は爽やかなり・・・といいたいところだが、今日は意外に蒸し暑い。昨夜はたぶん雨が降ったのであろう。カンカン照りで地上は湿度が高くなっていた。
  5. 野反湖ロッジの前が登山口、8時30分出発。広い砂利道を辿ると白樺の林の中にバンガローが点在している。やがて勾配が増し、急坂を登った中腹に宮治郎清水というのがあった。斜面から竹筒が覗いていて、ペットボトルの口に丁度入るような水量であるが、涼しげな音を立てて落ちていた。その水を両手で受けて飲むこと三杯、最初の水分補給である。
  6. やがて上信県境に辿り着く。オオシラビソコメツガの大樹と、ノリウツギの白い花、下草は緑濃い笹である。その県境に沿って高度を上げて振り返ると、野反湖のエメラルドグリーンが鮮やかであった。しばらくして三壁山(1930m)9時45分、 展望の利かない樹林の中である。
  7. そのまま通り過ぎて下りにかかる。野反湖を東に見下ろす形で県境を南下すると高沢山(1906m)10時12分。今日のコースの中間点である。ここで道は分岐してやや長野県側に下ったところが、めざすカモシカ平である。
  8. 遠くから見るとカモシカ平の斜面は緑の草原になっている。その中に艶やかなオレンジ色の花が咲いている筈・・・であった。しかし、ほんのまばらにあるだけだ。こんな筈ではなかった。どうしたのだろうか。同じ思いは他の登山者の顔にも表れている。何回も訪れている登山者の話によると、例年では今ごろ大群落を見られるのに、今年は最盛期を2週間も過ぎてしまったようだという。

    カモシカ平
    ニッコウキスゲは遅かった


  9. がっかりしたがすぐに気を取り直した。ニッコウキスゲが駄目なら他の花を愛でればいいではないか。実際かなりの花が咲いている。クルマユリ・オニアザミ・アキノキリンソウ・ヤマブキショウマ・イブキトラノオ・ヒオウギアヤメ・シモツケソウ等々数えだしたら切りがない。

    シモツケソウ
    シモツケソウ


  10. 再び高沢山に戻り、今度は県境から離れて南東に下る。道はあちこちぬかるんでいて歩きづらい。我々は下りだからまだしも、登ってくる人達は暑さも加わってみな辟易した顔をしている。
  11. エビ山(1744m)に着いたのが11時50分。ここは、頂上が僅かな草地になっていて展望もよい。周囲はぐるりと濃緑の山並み、そして眼下に明るく野反湖が広がっている。心地よい涼風を浴びて昼食を摂った。
  12. ここから北東に尾根を辿る。下るほどに湖は近づいて来る。樹林帯を抜けると笹原となり、キャンプ場が見えてきた。湖岸の草原は広く、そこかしこにゆったりとテントを張っている。水場は冷たく、缶ビールや果物が冷やされている。渇き切った喉を潤し、駐車場に戻ったのが12時45分であった。コースタイムは1周4時間15分ということになる。


<チャツボミゴケ>

  1. 今回の山巡りの中に、チャツボミゴケの見学があった。チャツボミゴケとは、簡単にいうと強酸性の水の中に平然と繁殖している苔のことである。
  2. その場所は、六合村(くにむら)の尻焼温泉から草津温泉にいたる林道の途中から、元山川を溯った標高1200mの高地にある「穴地獄」と呼ばれる所である。有毒ガスによる動物の死骸が穴の底に見られたのが名前の由来だそうだ。
  3. 穴地獄も含めてこの辺一帯は、現在「奥草津鋼管休暇村」という保養施設になっている。第二次世界大戦の勃発によって、鉄の不足をきたし、急遽、この辺りから褐鉄鉱を採掘したのである。この採掘場所を「群馬鉄山」と呼んでいた。採掘は、昭和19年(1944)から同40年(1965)まで行なわれた。
  4. ついでのことに、その鉱石運搬のために敷かれた鉄道が現在のJR吾妻線である。
  5. 元山川は、草津白根山から流れている。白根山は活火山であり、そこら中から温泉が自噴している。硫黄泉でPH2.8位の強酸性である。水温25、6度、1分間に4500リットル以上の温泉が渓流のように湧出している。
  6. 他の植物が生きられない水の中に、唯一チャツボミゴケだけが鮮やかな緑色をして自生している。よく見ると、苔の生えている範囲は、穴地獄に留まらずその上流や下流にも見られるのである。

    チャツボミゴケ
    ビロードのようなチャツボミゴケ


  7. 実はこのあと、草津温泉の西の河原や万座温泉の空吹きなどを見学したが、酸性に強い珪藻類が生育していたので、どこにでもありそうだが、チャツボミゴケについては珍しいのだそうだ。
  8. ところで、穴地獄は、鋼管鉱業株式会社の私有地である。管理事務所の受付で許可を貰い、道路の遮断バーを開けて貰わないと見学できないのでご注意願いたい。雨水で幾筋もの深い溝ができた砂利道を500m程登らなければならないので注意が必要。

<草津中和工場>

  1. 草津といえば温泉地ということになるが、今回のスポットにあえて「草津中和工場」を取り上げた。
  2. 前項の<チャツボミゴケ>において、「強酸性」について触れたが、ここでさらに述べたいと思う。
  3. 昔、群馬県の北西部に端を発して、中央部で利根川に合流する吾妻側は、酸性度が強く魚が棲めない死の川であった。これは白根山の硫黄分をたっぷりと含んだ伏流水が温泉となって流れ込むためである。魚だけでなく、橋その他の構造物も酸に弱い鉄やコンクリートが使えず、石造か木造によるしかなかったのである。
  4. 酸の強さは、たとえば白根山の火口湖である湯釜において、PH0.7〜1.3という世界一の数値を誇って(?)いるのからして分かる。草津温泉の中心街には湯畑があって、ここで湯ノ花を採取しているのもご存知であろう。
  5. 川を何とか生かしたいと考えるのは誰しも同じである。そして中和すればいいと考えるのも同じだ。中和剤に石灰を使ったらどうかと考えるのもこれまた同じであろう。資源の乏しい日本にも、石灰岩だけは豊富なのが救いである。
  6. その考えは昭和32年(1957年)、群馬県土木部の予備調査によって着手された。そして昭和39年1月1日運転開始となった。その後、建設省に移管され、現在は、国土交通省関東地方整備局 品木ダム水質管理所によって継続管理されている。

    展示室
    パネルとプロジェクターによる解説


  7. 中和する対象河川は、湯川・谷沢川・大沢川の三河川。その後、香草中和工場が増強されている。中和方法は石灰乳液を投入する方法であるが、PHの測定および制御は水質管理所の中央管理室で休むことなく行なわれている。たとえていえば心臓の働きと同じであろう。

    草津中和工場
    草津中和工場


  8. 石灰乳液が河川に投入されると、大量の中和生成物ができる。このため下流にダムを造り、それを沈殿除去するのである。そのダムを品木ダムという。
  9. この結果、農業用水にも利用され、電力も生産されることとなった。人知は温泉保養だけでなく、多分野にわたって大きく恩恵をもたらしたのである。
  10. 小学校の高学年になると、酸・アルカリ・PH・中和などについて学習する。このとき、先生の多くが中和の実例として、「草津中和工場」を引き合いに出すようである。
  11. 詳しく知りたい方は、下記サイトをご覧ください。

品木ダム水質管理所

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