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29.5.7 太田市 金山(かなやま)城跡 正式には新田金山城といい、藤岡市にある平井金山城と区別するために太田金山城ともいう。標高235.8mの独立峰にある。全山アカマツに覆われた金山に築かれた山城である。 昭和9年、金山城址全域を文部省より、名勝天然記念物に指定された。尾根道そのものが城であり、金山全体が無料の自然公園になっている。松本城のような天守郭をイメージすると当てが外れる。しかし平城と違って、石垣や土塁、堀切などによって難攻不落の城であったことが実感できる。 効率的に散策するには、車で西城駐車場まで登る。見はらし台とWCが用意されていて、ハイキング出発点に案内図がある。
駐車場から東側の尾根道を、ひたすら南下する城めぐりである。
要所に説明板により解説されている。馬場がこの先の一段上にあって、そこまでの通路を馬場下と呼ぶのだろう。石垣や木製の橋、あるいは石畳が尾根に築かれている。
石垣を一段上がると馬場通路である。尾根の南北に石塁が築かれて敵に攻められない構造だ。西に物見台が築かれている。
物見台からは敵軍の襲来が監視でき、現代では良き展望台となっている。
物見台から東に進むと馬場曲輪がある。
そこから右下に下りて行くと目の前に累々とした石垣が姿を現した。一方が開けた谷地状地形の下部に月の池がある。
大手虎口は複雑な石積みになっている。両側に石垣があり、通路はゆるい幅広の石段、その両側に排水側溝が設けられている。その排水が月ノ池に流れるのだろう。
大手虎口を上に辿るとT字路になる。見事な石垣土塁の連続である。右折してさらに左折して日ノ池。
日ノ池を半周して細い急斜面の近道を上に上がる。そこは新田神社の参道であった。
史蹟金山城阯と、本丸阯の石碑が建っている。
新田神社は明治13年4月8日の竣工、祭神は新田義貞公である。社殿の左側に御嶽神社が祀られている。
御嶽神社の左側に梅若稲荷神社が祀られている。
新田神社から参道を西側に移動すると、太田市街地を展望できる本城物見台がある。
上段曲輪に二つの建物が並んで建っている。大きい建物は台所で、小さい建物はかまどが据えられている。
すぐ近くには井戸跡もある。
城域の一角に中島知久平の胸像がある。SUBARUの創業者といえば、分りが早い。明治45年アメリカで飛行機の製作や整備などを研究、操縦の免許も取得した。それ以来日本で飛行機の製作に携わり、昭和12年、鉄道大臣となる。昭和20年、軍需商工大臣として敗戦処理。同24年65歳で死去。いまや太田市はSUBARUの企業城下町として、日本の自動車産業の一翼を担っている。
<リンク> 1.
史跡金山城跡ガイダンス施設
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