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八ッ場ダム/シリーズ1<22.11.3記> 八ッ場(やんば)ダムの建設問題が、揺れに揺れているその現場を取材した。群馬県の渋川市から西へ、利根川支流の吾妻川を遡るように国道353-145号をひた走る。 中之条町から東吾妻町を通過して長野原町に入る 。そして国道を斜めに跨ぐ真新しいコンクリート橋は、JR吾妻線の付け替え線である。八ッ場ダムの建設に当たり、吾妻川の左岸から右岸に移す先行工事だ。
先ずはスタート。早速に渓谷美に浸る。遊歩道から上流側を振り返ると、国道の八ッ場大橋が見える。ダムができると、この橋は水没する。そのために、駅背後の山腹に新国道145号の付け替え工事をしている。吾妻峡の滝見橋も水没する。少し下流側にダム本体ができるからである。ダムサイトの設置位置を決める条件は、両岸の岩盤が強固で、しかも幅が狭いほうが水圧に耐えやすい。コンクリート量も少なくて済むので、建設費を安くできる。そういう条件のもとに、ここが選ばれた。そういう理由で。どこの水力発電所でもダムの下流は優れた渓谷美を持つ。
滝見橋の直ぐ下流に、コンクリートの構造物が見える。ここがダムサイトの予定地であろうか。八ッ場ダムができれば、ダムの下流側は水没しないので渓谷美は維持できるが、上流側は水没する。 耶馬溪しのぐ 吾妻峡 理想の電化に 電源群馬 戦後、治水・利水・発電を目的として、全国各地にダムが築かれた。資源の少ない日本が復活する大きな柱は、物作りで外資を稼ぐことであり、今もそれは変らない。群馬県は、ほとんどの河川が利根川水系で、ダム建設の最適地である。自然エネルギーを活用し、温暖化はないし大気の汚染もない。庶民感覚でいえば、いいことの方が多いような気がしてくる。
渓谷の両岸が迫っているために、流れ落ちる滝は小さいが、その数は多い。これらの多くは水没を免れる。
今年は猛暑のためか、紅葉は遅れていて、見ごろは1週間ほど先のようだ。ダムができてもこれらの景観は見られる。大蓬莱と小蓬莱があり、中国の美観である蓬莱になぞらえたものである。
吾妻峡を散策する一般的コースは鹿飛橋をもって終わる。「耶馬溪しのぐ吾妻峡」の圧巻の場所である。この景観は、ダムが出来ても遊歩道の発着点であることには変りがない。
さて、吾妻峡の散策を終えて、八ッ場ダムの工事が中断された領域を訪ねてみた。川原湯温泉駅の少し先のY字路を左へ入る。道路は閑散として余所からの訪問者とその車がほとんどで、地元住民の人影はない。郵便ポストと公衆電話も人待ち顔であり、その向うの王湯という共同浴場も閑古鳥。毎年1月20日には王湯前で「湯かけ祭り」が行われるけれど、いつまで続けられるのだろうか。道路を登った角の柏屋旅館は、吾が女房の仲良しグループが3月16日、宿泊したばかりなのに、直後休業してしまった。
道路の角を左に曲がると、川原湯神社の鳥居がある。石段を登るとすぐに、80度の湯が湧き出る新源泉がある。その脇には足湯があって、4人の浴客がいた。神社は参詣道を登った先にある。ダムができれば、この新源泉から上部の新開地まで引き湯されるのだろうか。
道はクランク状に右に曲がって先へ延びているが、やはり人の気配はなく、すでにスラム街の様相だ。温泉街が尽きると、その先は工事中の新道が上に延びている。カーブを曲がってT字路となるが、すでに完成した川原湯温泉トンネルの坑口に出る。これが新たな付け替え県道だ。旅館街とを結ぶ取り付け道路である。
付け替え県道に沿った代替地に、新築工事が進行中であった。ダム建設中止の議論が決着するまでは、代替地に移転する予定であった住民もしばらく様子見となった。
高架橋は完成しても、それに接続する土工部の道路は工事を中断している。対岸の道路は、高規格新国道145号となる。
住民のイライラは、もはや仮死状態といっても過言ではない。11月12日の新聞には、関東1都5県の負担金支払い留保によって、地元の生活再建事業の資金枯渇による、いわゆる資金ショートに陥る可能性を報じている。住民はいつまで翻弄されるのだろうか。
昼時になったので、この辺ではけっこう有名な浅間酒造で食事をとった。レストランに貼られたいたポスターが目に留まった。
客がごった返す1階の奥にビデオ放映の設備がセットされていた。平成13年に長野原めがね橋が開通し、くす球が割られテープカットをしている祝いの画面と、前原国土交通大臣のダム建設中止を発表する画面が長い翻弄の歴史を象徴している。
ビデオの開通式が行なわれた新国道の「めがね橋」を通った。下流側には新国道145号の3号橋(後に丸岩大橋と改名)。Y字型の橋脚だ。
工事で剥がされた場所も、遠からず植生回復する。代替地には集落が形成されつつあった。今後さらなる進捗を祈る。
その3号橋を渡る。橋上からの景色は素晴らしい。
付け替え道路はどこも未完成である。
最後に国土交通省のやんば館を見学。八ッ場ダム建設の広報を目的として、パネル・ジオラマ・放映・カットモデルなどの展示が行われている。工事進捗率は75%とあり、見学者の多くが「ここまでくれば、やったほうがよい。」という感想を述べていた。ちなみに民主党政権になってダム建設が中止され、国民の関心は一気に高まり、現地を訪れる人が多くなった。テレビの画面で橋げたが繋がらない十字架のような湖面2号橋の映像が、ダム建設の挫折の象徴と映ったからであろう。平成21年の8月から増加し、11月にピーク、22年の10月になって21年を下回った。 そもそも八ッ場ダムの建設に至った発端は、昭和22年(1847)の9月に発生したカスリーン台風である。戦後間もない関東地方を中心に甚大な被害をもたらした。これを教訓として、国は昭和27年(1952)に「利根川水系8ダム」の建設計画を発表し、昭和42年(1967)八ッ場ダムの実施計画調査が開始された。 |
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